推し活は健康にイイ説

三浦常春

推し活は健康にイイ説

 薬における治療・予防には限界がある。


 国民の寿命が延びる一方で健康寿命に変動がないことを憂いた上層部は、こんなとち狂った説を提唱した。


 その名も、「推し活は健康にイイ説」。


 食事、運動に次いで現れた健康法に懐疑的な視線を向ける者もいれば、一部の層にはひどく突き刺さったようで、実感という名の火力に推されて瞬く間に広がっていった。


「今日も『推し活』特集かぁ……」


 箸を咥えてリモコンを握りしめる。行儀が悪い、と母から叱咤しったの声が飛んでくる。


 特定の人物や物を応援し、讃える行為――『推し活』。かつてはオタク気質の文化圏において主流であったそうだが、近年になって一般にも認知されるようになってきた。


 推しは健康にイイ。


 推しが生きているだけで元気になれる。うつ気分が吹き飛ぶ。推しに会うために適切なダイエットをする。コンサートで叫んでストレスを解消する。


 オタク特有の妄言が学術的根拠をもとに裏付けされ、雑誌やらテレビやらでもてはやされ、そうして今に至る。


「最近話題だよなぁ。父さんもな、このブームにあやかってアイドルを推すことにしたんだ。最近結成されたばかりの子たちらしくてな」


「それ地下アイドルってやつでしょ。そんなの推したって何の得もないじゃん」


「いやいや、『推す』ことに意味があるんだ。何たってテレビがそう言っている」


 テレビに踊らされる哀れな大人を視界に収めながら、私は箸を進める。テレビは『推し活特集』を映したままだ。


 私と父、母、それから妹。見慣れた四人の食卓は、テレビというたった一つの賑やかしを中心に据えている。テレビがなければ、今『推し活特集』が組まれていなければ、きっと会話どころか視線を合わせることすらなかっただろう。


 特筆して仲がよいわけでも悪いわけでもない。極めて平均的な家庭。内から見る限りでは、そういう平凡とした関係性だ。


「実感はどうなの、お父さん」


「うーん、生き甲斐は感じるようになってきたかな。仕事と家族との生活と、それ以外にもう一本柱が立った感じというか」


「あは、テレビと同じこと言ってるー」


 きゃらきゃらと笑みをこぼす妹。


 中学生になったばかりの彼女は、「流行」というものに目を向けるようになった。年頃の女子特有なのか、それとも新天地へ乗り出したことで視野が広くなったか。陰に紛れるように学校生活を送っていた私とは大違いだ。


「お母さんは韓流ドラマの……何て言ったっけ、『夏のカンタータ』? その主人公を推してるし、アタシはアイドルでしょ。お姉ちゃんからそういう話を聞かないけど、気になっている人とかいないわけ?」


「……好きな漫画はあるけど」


「キャラクターは?」


 『推し』は基本的に人物やキャラクターに対して使われる言葉だ。漫画とか小説とか、作品自体を差すことは少ない。それは昨今の『推し活』ブームにおいても同様で、私は未だに――高校生になってもなお『推し』を見つけられずにいた。


「うーん、憧れる女の子とかカッコイイ子とかいろいろいるけど……」


「マジ? お姉ちゃん、性欲あるの?」


 またしても母の方から叱咤の声が聞こえてくる。これは妹が悪い。


 しかし、妹の言わんとしていることも確かで、『推し』と呼べるほど熱狂的に好むキャラクターは存在しないことも事実だった。


 グッズを揃える、ライブに行く、公式から提供される情報やPVに一喜一憂する。そこまで熱狂的に、夢中になることのできるキャラクターは今も昔も存在していなかった。


 ただ普通に、物語として楽しんでいただけだ。物語として好きだっただけだ。


 『推し』とは、きっと違うのだろう。


「私はキャラクターを含めた全ての物語が好きなの。キャラ単体じゃない」


「もったいない。推せば健康にだってなれちゃうのに」


 妹は唇を突き出して、じっとりと目をすがめる。その目がひどく、痛かった。


「健康になりたいから推すわけじゃないし。だいたい、あんたはミーハーすぎるの。流行りのものに何でも飛びついてさ。失礼だと思わないの?」


「失礼? 何に。推されることは推される側にとっても嬉しいでしょ。何が悪いわけ」


 たくあんをガリガリと噛み砕きながら唱える妹の何と憎たらしいことか。白飯をつつこうとしていた箸を降ろして、立ち上がる。


 漠然と、何となく、違和感があった。いくら待っても言葉として紡がれることはなく、ただじっと、妹を見下ろすことしかできない。


 妹と母と父、三つの困惑の視線が私を貫く。


 テレビの内容は切り替わり、いつの間にかきらびやかなアイドルへと話題を移していた。母と妹が、黄色い声を上げた。



   ◇◆◇



 何となくもやもやとした気分のまま自室に戻ると、いくつもの目が私を出迎える。


 フィギュア、ポスター、ぬいぐるみ、マスコット、缶バッチ、キーホルダー、ポストカード、クリアファイル。


 友人や家族と出かけた時、たまたま見かけたグッズたち。ほら、あんたの好きなやつじゃん――その言葉に押されて買い集めた。


 作品が好きだから。グッズに興味なんてないのに、好きだから、その一心で買いそろえて、いつしか私の部屋は倉庫のようになっていた。棚の上も机の上も、ベッドも床も壁も。私の部屋はりもしないグッズに覆われている。


 妹は言う。結局、誰『推し』なの?


 私は言う。分からない。


 妹が部屋を訪ねて来た時の、お決まりのやり取りだった。


 ベッドの上を占領していたぬいぐるみたちを降ろして、やっとの思いで横になる。慣れた流れでスマートフォンを起動して、動画配信サイトを立ち上げると、真っ先に広告が飛び込んできた。


 ――推したい子、見つかりましたか?


「見つかるわけないじゃん……」


 かわいらしいカラフルな広告と相反して、私の胸中はひどく淀んでいた。


 推しは健康によい。だから推しを作るべき。『推し』を作ることができない自分は、間違っているのだろうか。


 『推し』と好きは違う。『推し』こそがファンとして至上の貢献であるならば、私の気持ちは――好きということの気持ちは、何が報いてくれるのだろう。


 ふさぎ込む気持ちを抑えるべく、好きな実況者の動画を再生する。動画の冒頭にはほぼ確実に広告が表示される。ここでも私の目に飛び込んできたのは『推し活』、それもグッズだ。


 祭壇を作る、愛玩する。実例とともに精巧なフィギュアを紹介する、たった三十秒の短い動画だ。


 好きな作品の、グッズ。


 ちらりと部屋に目をやる。同じものはない。


「ああ……、そうだね、買わなきゃね……」


 促されるままに通販サイトを開く。背中を押すのは物欲でも何でもない、後ろ指を差されないための、ただの義務感だ。



―了―

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