推しを推す時間がなくて苦しい
八百十三
第1話
夜の11時。愛用のパソコンの前で俺はコンデンサーマイクに声を向ける。
「はいはーい、それじゃ今日の飲酒雑談配信はこの辺で終わりにします。
画面の中にはLive2Dで動く、ガタイのいい青年のイラストがある。お酒ガチ勢系Vtuber、
リスナーが終わりの挨拶、「おつコウジ」をコメントで打ってくれている。最大同時接続人数は21人、今日も上々だ。
「おつコウジありがとうございまーす! それじゃ、おつコウジー!」
俺も〆の挨拶をして、エンディングのイラストを表示させる。BGMが流れきったところで配信終了、配信ソフトの配信も終了、これで配信はおしまいだ。
「……よし、オッケー。さーて」
息を吐いて腕を伸ばしてから、俺は配信後の作業にかかる。Twitterで終了の告知をして、配信終了したライブ配信からダッシュボードに戻る。
そこまでやってから、俺はブラウザで開きっぱなしにしてミュートにしていたタブにカーソルを合わせた。
「今の時間までやってたり、なんて奇跡は……」
そのタブでは、同じくVtuber、酒好き黒猫Vtuberのユークリッドさんのライブ配信が流れていた。定期配信は同じく夜の9時から11時、もしかしたら時間が長引いてまだやっているかもしれない、なんて期待を抱く。
だが、表示されているのはライブ配信終了の画面。俺はがっくりと肩を落とした。
「ない、かー。だよなぁ……」
また配信を生で見ることが出来なかった。肩を落としながら、俺はかたわらの水のペットボトルに手を伸ばす。残った水をごくりと飲み干してから、深くため息をついた。
「はぁ……つら……ユークリッドさんの配信見に行きたいのに……」
ユークリッドさんは俺の推しだ。それも最大級の推しだ。鞄には缶バッジがさり気なくついているし、スマホの待ち受け画面はユークリッドさんだし、LINEスタンプも勿論買った。
推し活にぬかりはない。しかしライブ配信を視聴する、という推し活だけが、俺の配信と被っていて出来ないのだ。
「しょうがない、アーカイブ見よう」
ため息を付きながら配信終了した画面で再生ボタンを押す。配信が終わった後にユークリッドさんの配信のアーカイブを視聴するという流れも、最早日課だ。
オープニング画面が流れ、全身真っ黒毛皮の小柄な猫獣人が現れる。
「こんばんにゃ~。貴方の隣に静かにすり寄る酒好き黒猫Vtuber、ユークリッドで~す」
この黒猫Vtuberがユークリッドさんだ。人外系の男性Vtuberとしてはなかなかの人気者だ。
「はぁ……可愛い……」
何より可愛い。とても可愛い。とろんとした眠そうな目つきも、ぴこぴこ動く三角耳も揺れる尻尾も、全部可愛い。
もうすっかりユークリッドさんの虜になっている俺が、アーカイブを視聴しながらため息を吐いた。
「ほんとなぁ……なんでことごとく、俺とユークリッドさんの配信時間が被ってるんだろ……もう俺の個人枠の日取りをずらすか?」
どうにかして配信を見に行きたい、コメントを打ちたい、名前を呼んでもらいたい。しかしそれをするには、どうしても俺の配信が邪魔をする。
ぽつりと呟くように言うも、すぐに我に返って首を振った。
俺は毎日なにかしらの配信をしているのだ。個人枠をずらしたとして、そうしたら他の配信とぶつかってしまう。
「っていやいや、無理だろ」
首を振ってから、何度吐いたかも分からないため息をつく。日付をずらすのは無理、なら配信時間をずらそうか。とはいえ9時スタートの11時終了が、今のところ固定化している。遅くするとしても早くするとしても、俺の配信に来てくれている蔵人の皆さんに悪い。
時間をずらして、固定客となっている蔵人の皆さんが配信を同じように見てくれるかと言ったら、そうではない可能性もあるのだ。以前に、試しに配信を8時スタートにしたことがあるのだが、同時接続人数が若干伸び悩んだこともある。
「うーん……」
悩みながら、俺はぼんやりとユークリッドさんの配信のアーカイブを見ていた。飲酒雑談配信だ、画面ではユークリッドさんが、ワイン片手につらつらと話している。
「コラボもしたいよねぇ~。僕もいつでもウェルカム、気軽に誘ってくれていいよ~って言ってるのに、どうも皆誘いにくいみたいでさぁ~」
「ふーん……ん?」
と、ユークリッドさんの発した言葉に俺はハッとなった。
コラボ。そう、俺とユークリッドさんがコラボ配信をやれば、俺はユークリッドさんを推せるし、俺の配信時間をずらす必要もない。活動時間が基本丸かぶりなのだから、日程調整さえ出来れば問題ないのではないか。
いい案だ、と思うが、それはつまりユークリッドさんに直接コンタクトを取らないとならないわけで。
「いやいやいや、無理だろ絶対」
すぐに声を上げながら頭を抱えた。俺がユークリッドさんにコラボのお誘いをかけるとか、出来る気がしない。最推しの相手なのだ。
と、悶ているところで部屋のドアが開いた。
「お兄ー、何してんの?」
「はっ……
部屋に入ってきたのは弟の瑞樹だ。俺がVtuberをやっていることは勿論知っている。二人揃ってユークリッドさんのファンだ。
俺のディスプレイに目を向けた瑞樹が、にやりと笑う。
「あー、ユークリッドさんのさっきの配信。お兄最推しなのにまた見れなかったんだ」
「しょ、しょうがねーだろ、俺だって配信があるんだから!」
俺を
笑みを崩さないまま、部屋に入ってきた瑞樹が口を開く。
「で、さっきの大声はどうしたの」
「あー……それがな……」
聞かれていたのか。そのことに赤面しながら俺は話した。コラボすれば推し活と配信を両立できるのではないかと考えたこと。しかしそのためには俺から色々動き出さないとならないこと。その勇気が湧かないことを。
「はーん。つまりお兄には勇気が無いと」
「言うなよ……でも、絶対俺、ユークリッドさんを前にしたらまともに話せないと思うし」
そう、俺が懸念しているのはまさにそこだ。コラボ配信を組むとしたって、何かしら話題を振ったり企画を組んだり、やらないといけないのだが、いざユークリッドさんを前にして、問題なく進行できる気がしない。
だが、ニヤニヤしながら瑞樹は事も無げに言ってくる。
「いいじゃんそれでも。推しを前にして限界化する生配信なんて、撮れ高バツグンじゃん」
「う、え、えぇ……」
瑞樹の容赦ない言葉に、俺は言葉に詰まった。
それは確かに、見ていたら絶対面白い。リスナーも増えるだろう、きっと。だけどそれは俺がめちゃくちゃ恥ずかしい。
困惑する俺の肩を、瑞樹がぽんと叩いてきた。
「大丈夫だよお兄、お兄だってユークリッドさんに全く知られてないわけじゃないんでしょ」
「まぁ、そうだけど……」
言われて、しどろもどろになりながら俺は視線をディスプレイに向けた。そこではまだユークリッドさんがゆらゆら動き、あれこれと話している。
Twitterでは交流がある。Discordのサーバーでも一緒のところにいる。フレンド申請はまだしていないけれど、確かDMは開放されていたはずだ。
と、俺の座っていた椅子を瑞樹がくるりと回した。俺をディスプレイに向けさせながら朗らかに言う。
「ほら、後は連絡すれば大丈夫だって。お兄もVtuberやり始めて三ヶ月は経ってるんでしょ、いけるいける」
「う……いや、ちょっと待ってくれ、文面を考えないと」
そう、DMを送るにしたって文面を作らないといけない。
そこから俺はDMの文面を考え始めた。失礼にならないように丁寧な口調で、つとめて事務的に、と心がけても、どうしても粗がある気がしてチェックしてしまう。
夜中の1時に近づく頃、再び部屋のドアが開いた。
「うーん……」
「お兄ー、寝ないのー?」
既に寝る準備を済ませたらしい瑞樹が扉の隙間から覗き込んできた。
「あ、まだ考えてたんだ」
「瑞樹……見てもらえるか、多分大丈夫だと思うんだけど」
俺は疲れ切った表情で瑞樹に手招きした。正直、誰かのチェックが欲しくてしょうがない。
送る予定のDMの文面をざっと眺めた瑞樹は、はたしてコクリと頷いた。
「うん、大丈夫じゃない?」
「いいか……よし、送るぞ……!」
ここまで来たらもう引けない。俺はDMの送信ボタンをクリックする。
「えいっ!」
気合とともに、DMの文面がDiscordの画面内に表示された。これで送信は完了だ。脱力するように俺は椅子にもたれかかる。
「はぁぁぁ……」
「DM一つ送るだけなのに、なんでそんな疲れてんのさ」
精根尽き果てたといった様子の俺を、呆れるように瑞樹が見てくる。人の気も知らないで軽々しく言ってくれるものだ。
「疲れるだろお前そりゃあ……はー、もう疲れた、明日に――」
明日に返事が来ているか確認して、俺も寝よう、としたその時だ。ポコンという音とともにDiscordに通知が来る。
「お?」
「おお?」
DMが届いたことを示す通知だ。画面を見れば、ユークリッドさんからの返事が来ている。
「早っ」
「えっ、マジで、えっ」
困惑しながら俺はDMに目を通した。「是非ともお願いします! コラボしましょう!」の文言を見て、再び俺は頭を抱える。
「うぉぉ……どうする俺……」
「やったじゃん、頑張ってよお兄、配信楽しみにしてるから」
別の意味で頭を悩ませ始める俺を置いて、瑞樹はさっさと部屋から出ていった。
そこから、トントン拍子にコラボの日程と内容が決まり、あまりの順調さに頭を悩ませ始めるのは、また後日のことだ。
推しを推す時間がなくて苦しい 八百十三 @HarutoK
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