推しは推せるときに推せとばあちゃんは言った

金澤流都

時をかけるばあちゃん

 1999年、僕は小学四年生だった。クラスのもっぱらの関心は、ノストラダムスの大予言で、7月にはみんな死んじゃうんだからと言って宿題をサボってめちゃめちゃ怒られてるやつとか、それまでにうまい棒をたくさん食べたい、と、駄菓子屋に通ってうまい棒を毎日食べるやつとか、それを馬鹿馬鹿しい、と笑うやつとか、とにかくみんなノストラダムスの大預言が好きだった。

 僕は、「滅びてしまうかもしれないけど、毎日真面目に生きていないと天国にはいけない」と解釈して、コツコツ宿題をこなし、習字教室やそろばん教室にちゃんと通い、クラスのみんなには「つまんねーやつ」と評されていた。

 もうすぐ7月、というある蒸し暑い日、僕は習字教室から家に帰ってきて、畳の上に大の字になった。本当に滅びちゃうのかな。それは怖いな。6年生がなんだかヒソヒソ言っている、よく分からないえっちなこととか、大人みたいなカブシキとかトーシとか、そういうこともできないのかな。

 そんなふうに考えて、天井を見つめていると、ばあちゃんが梅シロップを炭酸水で割ったやつを持ってきた。炭酸で割ったやつはちょっとレアだ。父さんの晩酌でハイボール? とかいうのを飲むときに使っている炭酸水なので、僕が勝手に飲むと怒られる。でもばあちゃんがやると父さんも諦める。


「どうしたの、悲しい顔して」


 ばあちゃんはそう尋ねてから、テレビをつけた。古臭くて恥ずかしい、友達に見せられない家具風の、リモコンのないやつ。ちょっと調子が悪くて、ばあちゃんはテレビの横を一発叩いた。テレビは、時代劇の再放送を流し始めた。


「うん、ノストラダムスの大予言って当たるのかなって。もし当たっちゃったら、漫画読めなくなっちゃう。続きが気になるのに」


「ノストラダムスの大予言……ふふっ、懐かしい」


「ばあちゃんが子供のころも、ノストラダムスの大予言みたいなのあったの?」


「そういうわけじゃないけど、素敵な言葉を教えてあげる」


「素敵な言葉?」


「推しは推せるときに推せ」


「……推し?」


 よく意味がわからなかった。ばあちゃんは、


「たとえばゆーくんの好きな、何だったっけ、海賊の漫画の女の子」と言ってきた。


「ナミ?」


「そう。恐怖の大王がくる前に、どれくらい好きなのか、自分で考えて……いっぱい、ファンとして出来ることをしなさい、ってこと」


 なるほど。深い言葉だと思った。


「ばあちゃんはね、推しを失わないために生きてるの」


 よく分からなかったが、なんとなくばあちゃんが悲しそうに見えた。梅シロップを飲み干すころには、ばあちゃんの言葉を半分くらい忘れていた。


 ――さて、恐怖の大王は結局やって来ず、僕は大人になり、小中学校のころ好きだった海賊の漫画は終わる気配もないまま飽きてしまった。32歳の春は、コロナ禍というやつで街を見渡せばみなマスクをつけていて、そんな中僕は部屋でひとり、動画を撮影していた。

 僕はいわゆる個人勢Vチューバーというやつで、かわいいアバターでありながら男の声で喋る、いわゆるバ美肉おじさんというのを、「凍星ひかり」という名前でやっていた。流石に食べていくほどの収益はないが、楽しい副業という感じで、会社から帰ってきて夕飯を食べたら動画をUPしている。

 スパチャを読み上げていると、「世津子」という人から結構な額のスパチャが飛んできていた。


「世津子さんありがとうございます!」


 そう言ったとき、ばあちゃんの名前が「世津子」だったことを思い出した。

 そして、ばあちゃんが「推しは推せるうちに推せ」という、令和の言葉を言っていたことを思い出した。しかしばあちゃんは僕がハタチのときに死んでいる。

 なんだかぞくりとした。そのまま咳が出た。なんだか喉がいがらっぽくて、その日はあまり長い動画にしないでそのあたりで切り上げた。

 次の日、発熱外来に連絡し、検査をしたところ、新型コロナウイルス陽性であることが分かった。そして、僕の容体はみるみる悪くなって、ついに入院までして、重症病棟に入ることになってしまった。たくさんの管に繋がれて、このまま死ぬのかな、と思いながら、天井を見ていると、誰かが耳打ちするような声が聞こえた。

「この世界線でもあなたを救えなかった。凍星ひかり、必ずあなたを救うまで、わたしはやり直します」

 その言葉を聞いた瞬間、僕は絶命した。


 2009年の夏。大学の夏休みで帰ってきた実家で、ばあちゃんは病に伏せっていた。

 ばあちゃんはすっかりボケてしまったとかで、よく分からないことをモヨモヨと言うようになっていた。

 でも孫の顔は覚えているだろう、と顔を合わせると、ばあちゃんは


「凍星ひかり」


 と、誰の名前か分からない名前で僕を呼んだ。


「違うよ。僕は祐輔だよ」


「私の最推し、凍星ひかり。どうか死なないで」


 だから、僕はその名前を、そのまま自分の名義として使っている。ばあちゃんの、「推し」の名前だから。

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