不器用

夏生 夕

第1話

春です。


夜に降る雨が空気を冷やし、吹き抜ける風がキンと張りつめた朝を呼んできます。

しかし、暦の上では春です。


春と言えば出会いと別れの季節です。

世の中の空気が循環して行きます。

それがどうでしょう、この部屋は。

足の踏み場のないほどに本が散らかり、段ボール箱の上には空のカップ麺の容器とペットボトルが転がっている。


先生。

これでは空気の循環どころか時間まで停滞してしまいます。

先生。

これでは筆も停滞して当然です。


…謝ってほしいわけではありません。

そんなことで状況は変わりませんから。

わたしにもう少し理性が無ければ、下げた頭から垂れるその前髪、掴み引き倒して部屋の隅へぶん投げていますよ。


さぁ先生、顔を上げて。

まずはその辺の1000円カットでもなんでも、散髪していらっしゃい。

そのまま町内を一周。これはノルマです、絶対ですよ。

帰りに醤油を一本お願いします。

その間に部屋の掃除はしておきます。週に一度は掃除を、とは言いましたが、無理なことがはっきりわかりました。

もう結構、手出しは無用です。


さぁ町を見ていらっしゃい。

器用に生きる人々の生活を目の当たりにしてくるといい。


家では父であり夫である散髪屋のおっちゃんに髪を切られ、


隣人とのコミュニケーションを密に取りつつ商売をするおば様がたに声をかけられ、


学生として勉学に励みながらアルバイトをする少年少女に助けられ買い物をする。


そうして、自分の不器用さを嘆くといい。

嘆いた後には、あなたにはこれしか無いのだと諦めて、さっさと筆をとりなさい。

思いっきり書いたらいい。

あなたには、書くことしか出来ません先生。

掃除だってままならない。

それでもいいんです先生。


あなたは書くことができる。

わたしはそれで、十分だと思いますよ。


だから早く原稿を寄越しなさい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不器用 夏生 夕 @KNA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説