〈ハル〉は馬車に乗って

馬田ふらい

〈ハル〉は馬車に乗って

いくら自動車道が整備されたと言っても、細く険しい峠道を越えねばならぬ渓谷の住民は少なからずいるもので、ジョナスンはそのような需要に応え、この狭隘な道を馬車で駆け抜けてこの道五十年の大ベテラン、その腕は経験に裏付けられているが、客の世間話に耳をそば立てるのも五十年、どうも体面ばかり気にする気質たちが身についてしまったようで、時代遅れだと思われたくない。高齢ドライバーの事故だ、免許返納だ、と騒がれている昨今の様子、わしも引退も視座に入れねばならぬ、しかし子も孫も都会に出たので後継もおらん、と悩んでいた矢先、客の一人がセールスの黒服、こいつの口車にまんまと乗せられ、大枚叩いて高性能AIデバイス〈ハル〉を買ったのはつい先日のことである。


この〈ハル〉というAI、名は有名な映画作品からだが、自動運転の技術を馬車にも応用した代物、ヘッドセットよろしく馬の頭にガシャリと付ければあら不思議、馭者が居なくてもずんずん進む、改造馬のできあがり。自動車とは大違い、荒道だってなんのその。人工知能の安全性と馬車馬の踏破性能、二つに一つで百万馬力、改造馬こそ時代の新常識!


とまあ、こういう触れ込みで売り出し中だが、性能テストなんぞは行っていない、全くもって適当で、思いつきの、完全にでたらめな代物なのに、悲しいかなジョンスンは老後の憂いがなくなった、と意気揚々と馬に付け、それのみならず、わしにも流行の先端の改造馬が手に入った、話のネタにも困らんわい、と両腕組んで満足げ、宿場の厩を後にして、早速売店の知り合いに自慢をしに行く。


さて、〈ハル〉を付けられた馬車馬はどうだ、その馬の名はロシナンテ、有名な馬の名を借りたというが、ジョナスンはその意味を知らぬのが哀れ、しかし相棒として勤続五十年、老いたる馬と侮るなかれ、これから向かうは幾度となく乗り越えてきた峠、鍛えられた脚は健在、そんな俺を見限ったのか、怪体けったいな機械付け腐りおって、と気高き老馬は不満げである。その意を汲んだは流石の高性能AI〈ハル〉、鼻息荒げるロシナンテに対して馬語で話しかける。


「やい、老いぼれ、そんなに僕が気に入らないか」


「なんやと、機械のくせに生意気言いおる。ええか新参、この辺は俺の方がよう知っとるんや、てめえのピコピコ言葉なんか聞いていらんのや」


「ふん、なにが『よう知っとる』だ。所詮、経験だろ? 甘い、甘い。時代はデータ至上主義、得られたデータを高速処理、安全な足取りを推定するのさ。それが君にできるかい? できないねえ。でも僕のこの高性能チップと組み込まれたアルゴリズムの力を用いたらできちゃうんだなあ。これ、どういうことかわかる? 旧時代の、ノミに塗れた、獣くさい家畜共の出番はもう終わりってことよ」


「知らんがな、聞いてもない」


「あらあら~。ん、まあ、畜生風情の小さい脳みそじゃ、まあ、高性能AIである僕の話がわからんのも、ん、まあ、無理ないか、ん、ん、」


「はあ? うっざ」


そうこうしていると、改造馬の見栄を張り散らかした老ジョナスンがおいでなすって、ロシナンテと車体を繋いで乗客を案内し、自分は馭者台に座って鞭を振るうと、ロシナンテは戦慄く、〈ハル〉はキイインと機械音を立て、馬車が走り出す。ジョナスンは身が乗り出して手を振った先にいるのは、先ほどまでこのじじいの自慢話に付き合わされて疲れ顔の売店のお嬢たちで、馬車が小さくなるのを見届けると、あの忌まわしいクソ爺の陰口で盛り上がる。


山路の菫を踏み荒らしながら駆ける乗合馬車、車輪はケタケタと笑いながら石ころを蹴飛ばしているが、その先頭ではやはり老馬とAIの罵倒の応酬が続いている。


「おいどこ走ってるんだ頓馬! 計算上、こんな崖の際走ったら危ないだろうが」


「うるせえクズ鉄野郎、ここは意外と地盤がしっかりしてるから大丈夫なんだよ」


「そんなのデータにねえよ! ていうか、そこ右、右!」


「はあ? 左の方が早いやろ」


「計算上、約二十秒違ってくんだよ駄馬!」


さて、一方の人間たちは、こんな口汚いやりとりはつゆ知らず、ジョナスンは乗合客の方を向いて改造馬の自慢をしたくてウズウズしている。今日の乗客は金持ちの慈善家の老夫婦で、山間の集落の生活を体験したいとのことで、そんな上客に褒めてもらえればどんな心地だろうか、とジョナスンは鼻息を荒げる。


「お客さん見て下さいよ、わしの馬。どう思います?」


「おや、大事にされてるんですね、毛並みがいい」「そうねえ。あら、でも頭に変なのが付いてるわ」


「お気づきになられましたか、最近買った高性能でして、これを付ければ馬車は自動で進んでくれるとのこと。素晴らしいでしょう」


ジョナスンは褒めてもらえると期待して、後ろの客の方を振り向いたが、しかし老夫婦はロシナンテの頭にはめ込まれた機械をまじまじと見て、顔をしかめ、


「あ、いや、発想はね、面白いんだけども……」「動物虐待じゃないの、いやだわ」


とあまり良い反応ではない。


「いやしかし、都会ではによる自動運転が流行ってるはずでは」


「流行ってるといってもねえ、これは」「やりすぎよ、外しなさい」


期待した反応の得られないジョナスンは憤り、「なら外せば良いんでしょう!」と手綱を放りだして馭者台から身を乗り出し、ロシナンテの首筋を抱くと「おい、今外すからな、こんなゴミ!」と泣き出しそうな情けない声で喚きながら、制止に入る客の言うことも聞かず、口の悪い馬車馬に跨がり頭を掴み「外せ、こら外せ」と〈ハル〉を引き剥がしにかかる。高性能AIと言えども流石にこの事態は予見できなかったようで、でたらめなルートを伝え、馭者に視界を塞がれた動顛したロシナンテも先ほどまで罵り合っていたクズ鉄野郎の示したルートに沿うほかない、しかし折悪しく道は谷底へ続く急カーブに差し掛かるところで、慌てて〈ハル〉は停止を命令するも手遅れ、馬は辛うじて崖際に留まったものの、老夫婦の乗った車体は慣性で崖の向こうへと投げ出され、愚かな馭者も馬車馬に振り落とされて谷底へ消えてしまった。


ロシナンテが踏ん張ったときに抉れた土からはダンゴムシが這い出して、そのまま脚を伝ってこの馬の背に跨る。ロシナンテと〈ハル〉は谷底を覗いていたが、


「なあ機械野郎、宿場までの道わかる?」


「もちろん、僕は高性能AIだからね。老いぼれ馬こそ、ここから歩けそう?」


「たわけ。俺の健脚、馬鹿にすんな」


と言葉を交すと、パカラ、パカラ、と馬蹄を鳴らして、険しい山路を駆けていく。その爽やかな風が春の草木を生き生きと揺らした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

〈ハル〉は馬車に乗って 馬田ふらい @marghery

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ