帝国が大陸統一したので第三皇子の俺はスローライフじゃダメなんですか?

土屋シン

出立編

招かれざる客

 神は天にいまし、世はすべて事もなし

 エド帝国が大陸を統一してはや30年。戦乱の世を駆け巡った皇帝は病床で、もはや自ら采配を振るうことも叶わぬが、らその長子である皇太子が摂政として辣腕を振るっており、治世は実に盤石であった。

 ミト=エドは帝国の第3皇子である。2人の兄はそれぞれ摂政、帝国軍元帥代理として皇族の責務を果たしているが末弟のミトはというと今年16にもなろうというのに王都郊外の村で農民のフリをして悠々自適の暮らしを生活を満喫していた。


「平和だ。平穏だ」


 ミトは斜面の草地に寝転がり、天を仰ぎながらそんなことを呟いた。

 季節は春。花々は固く閉ざしていたその蕾を開き、生き物たちは喜びこぞって草むらを踊る。新緑の風が吹き抜けるとミトの薄灰色の前髪が風に揺れ、翡翠色の瞳にかかった。

 ミトは鬱陶しそうにそれを払い除けるとゴロンと体を横にむけた。目の前の草地を見つめるとスズバッタが羽を伸ばし今にも飛び立とうとしていた。ミトはそれに狙いを定めるとバッタの飛び立ったその瞬間にピッと指で挟み込んで捕まえた。


「形の良いスズバッタだな。これはシュラにいい土産になるな」


 シュラというとは侍従をしている12才の女の子であり身の回りの世話やミトの住む東山離宮いわれる建物の家事全般を任せている。離宮といっても大仰なものではなく、そこらの豪農の家と大差ない程度のもののため住み込みの従者はシュラを含めてわずか数人であった。


「さて、腹も減ったしそろそろ帰るか」


 ミトは凛々と羽音を鳴らすスズバッタを手で優しく包み込むとおもむろに立ち上がった。

 ミトが東山離宮の門をくぐると、取るものもとりあえずといった様で駆けてきたシュラとぶつかった。その拍子にシュラの肩がみぞおちにぶつかり、ミトは捕まえていたスズバッタを取り落としてしまった。


「うぉっ。シュラいきなり飛び出してくるんじゃないよ。おかげで土産のスズバッタがどこかへ行ってしまったじゃないか」

「も、申し訳ありませんミト様。で、でも丁度よかったです。今、ミト様をおよびするように仰せ使って、急いで飛び出してきたんです」


 シュラはその黒髪の下から涙目でミトに訴えかける。その声はミトに会えたことで安堵したといった感じだが、震えを隠せていない。そこからミトは事の重大さを察知する。


「何か火急の用みたいだな。煩わしいことは全部後にしろ。すぐにそちらに向かう」

「で、では裏庭の方にお願いいたします」

 

 シュラの声を聞くとミトは返事もせずに裏庭に駆け出した。 

 裏庭には数人の侍従のほか、ミトの配下でない者が2人いた。

 1人は赤髪赤眼の美少女。歳の頃はミトとほとんど変わりないだろう。もう1人は恐らくは30代半ばの短髪の男。断言できないのはその男が苦悶の表情のまま冷たくなっていたからだ。仰向けに寝かされているが、正面に傷もないのに血溜まりができているところを見ると背中に致命傷を負ったのだろう。


「シュラ。何があったかわかるか」

「わ、わ、わたしは分かるのはこの方たちがいきなり庭に駆け込んできて……ミト様に助けを求めてやってきて……ええと、男の人の方は庭に、きた時にはもう虫の息で……ええと……ええと……そう。それで侍従長がミト様を狙う刺客かもしれないからととりあえず私を使いに出してええと……ええと……そうミト様に伝えて安全な場所に連れてくようにって言われましたぁぁ!」

「そうか。ああ。わかった。シュラは今度からもう少し落ち着いて行動しような。安全な場所に連れてくってとこが完全に抜けてるから」

「ふえぇ……ごめんなさい。でも、ミト様が負けるとこなんて想像できなかったから……」

「……まぁ、いいか。それで、待たせたな。そなたは……」


 ミトは少し考え込んで言い直す。


「そなたらは何者だ」 


 それに対して赤髪の少女は跪き、深々と首を下げる。


「まず、エド帝国第三皇子ミト様の庭園を血で汚すことになったこと平にお詫びいたします。我々はエド帝国東方ニエンの地をお預かりするカイエン家家臣サイ=ロックウェルが長女アルルとここに倒れ伏すものは我が郎党でございます」


 緊張からか部下を失った無念さからかアルルと名乗った少女の声は僅かに震えている。しかし、それでも役目を果たさんと気丈に振る舞うアルルにミトは憐れみを覚えた。


「して、用件はいかに?」


 ミトは尋ねる。


「我が主君アイン=カイエン様より皇帝陛下への書状を持参して参りました。本来ならば王宮へ向かう予定でございましたが、不貞の輩に襲われご迷惑と分かりながらも、命からがらこの離宮へと逃げ込んだのでございます」


 ミトは眉をひそめた。いかに世俗から離れ

たミトといえど、ニエンの地の大領主カイエン家に反乱の兆しありとの報告が宮廷に上がっていることは知っている。また、ロックウェルといえば名家カイエンの中でも古参の重臣である。その令嬢ともあれば、いかに第三皇子のミトといえども扱い方を間違えれば、大問題に発展する可能性がある。


(まるで、歩く火薬庫が庭先に転がり込んできたような状況じゃあないか)


 ミトは内心苦々しい思いでアルルを見つめる。


「無礼を承知でお願いいたします。この身はいかように扱っていただいても構いません。ですが後生でございます。当主様の書状をどうか皇帝陛下へお届け願えないでしょうか」


 アルルは震えながら額を地面に擦り付け鼻声で懇願する。

 ミトの位置からは表情のまでは見えなかったが、その悔しさ、恐怖心、緊張は十分に伝わった。ミトは腕を組みしばらく考え込んだ後静かに答えた。


「あい、分かった。アルル殿、貴殿の主君の書状はこのエド帝国第三皇子ミトが責任を持って皇帝陛下へ奏上しよう。貴殿は客人としてもてなす故、安心して当館でしばらくの間逗留されよ」

「ミト様。いいのですか?」


 シュラが恐る恐る問う。


「大丈夫だ、シュラ。恐らく彼らに敵意はないよ。第一、俺を殺しても対してメリットないしなぁ」


 ミトは覚悟を決めたとばかりにため息をつくと、ボサボサと頭をかく。


「あ、シュラ。アルル殿の世話役、君に任せるよ」


 ミトはそう言って、後処理は侍従長に任せ自室に戻ると深いため息をついた。 


(とりあえず、使者の身柄は確保しつつ手紙のことは摂政のエント兄上に任せるのが上策か。それにしても厄介なことになってしまったなぁ)


 

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