掌の上
ミトは東山の離宮の自室に戻ると半日ほど出てこなかった。先日での議場の騒ぎでどうしても引っかかることがあって考え込んでいた。より正確に言えばそれによってもたらされる面倒ごとを回避する方法を考えていたが、結局思いつくこともなく覚悟を決めたとばかりに自室をでて客間に向かった。
「アルル殿、入っても構わないか」
「どうぞ」と中から静かな声がした。
「失礼する」
「殿下、この度は私共の願いを聞き届けていただいたばかりか、部下の弔いのみならず、客人としての持てなしどうお礼をもうして良いか……」
ミトが客間に入るや否やアルルは深々と首を垂れた。
「いや、礼など不要です。それよりも単刀直入に聞きたい。カイエン家の現状は今、いかようになっておられる」
予想外の質問にアルルは体をこわばらせる。
「……ここは私の家だ。今はこの部屋の中はあなたと私の2人きり。他の者を気にすることはない」
ミトはそう優しく諭す。しかしながら、アルルの覚悟はまだ決まらず逡巡しているようであったためミトは仕方なく次の言葉を切り出した。
「本日の会議でカイエン家への軍派遣が決定した」
アルルは驚いた顔をした。もちろん覚悟こそしていただろうが最悪の事態を告げられ我慢できなかったのだろう。
「私は叶うことなら、カイエン家を救いたい。叶うことなら戦などしたくはないのだ」
ミトは苦い顔でつぶやいた。そこでようやくアルルは重い口を開いた。
「……殿下は手紙の内容は把握されておりますか?」
「ああ、把握している」
「当主様が病床であるというのは半分事実であります。しかし半分は事実ではございません」
「というのは」
「……当主様は何者かが盛った毒によって倒れたというのが父の推測でございます。ただ確たる証拠もない故……」
アルルの握る拳に爪が食い込む。
「そうか。それでその何者かというのは分かるのか」
「わかりません。ただ、当主様が倒れたのちは、家臣筆頭のアモン=ゼコイ様が家中を取り仕切っております……」
「つまり、そのアモンの手の者による、犯行の疑いがあると言うことか」
「……」
「家中でそれを指摘する者はいないのか」
「恥ずかしながら、家中の主たる家臣はゼコイ家にすでに取り込まれており、我がロックウェルの他に抗う力のあるものは……」
アルルはそこまで言うと黙り込んでしまった。
「なるほどな。助かった。お陰でこの度の騒動おおよその検討はついた。なればこそ、この度の戦は何としても防がねばならない」
ミトは落ち込むアルルを励ますようにあえて明るく声をかけると部屋の外に声をかけた。
「シュラ!シュラはいるか!」
ミトが声を上げて、しばらくすると甲高い声が帰ってきた。
「はい、ここに!ただいま参ります」
シュラが部屋の戸を開けるとミトは急かすように言った。
「今すぐ旅支度をしてくれ。内密の旅だ。相応の格好を手筈してくれ」
「どちらまで行かれるのですか?」
「東方はニエン。カイエン家まで参る!」
「かしこまりました」
部屋を下がろうとするシュラにミトは思い出したかのように追加の用件を申し付けた。
「あと、アルル殿も連れて行く。彼女の分も旅支度を頼む」
「へ?私もですか?」
アルルは口をポカンと開けた。当然だろう今にも戦をしようとする相手の手の者だ本来ならばよくて拘禁、悪ければ……殺される。
「摂政殿下のご命令でアルル殿には信頼のおける監視をつけろとのご達しだ。エド帝国第三皇子以上に信頼のおける監視はいないだろう?」
「そ、そんな屁理屈が通るのですか?」
アルルの言葉にミトはカカカと笑う。
「サスケ!出てこい!どうせ天井裏にでもいるのだろ!」
ミトがそう声を上げると、天井裏から男がぬるりと降りてきた。あまりの気配のなさにアルルは悲鳴を上げたほどだ。
「コイツはサスケだ。摂政殿下の配下で俺の身辺警護と監視をしている」
アルルは知っていたなら教えろとばかりの不満げな目でミトを見つめる。
「そう睨んでくれるな。天井裏は部屋の中ではないから、部屋の中は2人きりだったしな。嘘はついてないぞ」
ミトは悪びれるそぶりもなく言う。
「それで『兄君のご意志』としてはこれで構わないのだろう。まったく。スローライフが台無しだ」
「流石はミト様。手間が省けて実に楽でございますな」
「ど、どういうことですか?」
アルルは戸惑いを隠さずに問う。
「まず、第一に兄上は公の場で『俺に政治はまだは早い』とおっしゃった。つまりは、俺はあの一言で今回の一件について政治的な立場から爪弾きにされたというわけだ」
「では、何もできないじゃないですか」
アルルは当然の不満を口にする。
「政治的にはな。だから、俺のこれからの行動は全て俺の独断、非公式なものとなる」
ミトはアルルの疑問をそのままに言葉を続ける。
「兄上は会議で摂政の立場から軍の派遣はやむないとした。しかしながら、わざわざその前に個人の意見としてカイエン家の安泰を願った。これはつまり政治的判断としてはカイエン家との戦は避けられないが個人的にはそれを望んでいないということだ」
ミトは僅かに黙り込んだあと頭が痛いといった素振りをする。
「……これらから推測するに、兄上のご意志は帝国軍を派遣するまでに、俺が個人的行動として密かにカイエン家の騒動を治めよといったところかな」
「全くその通りです。一つ足りないところがあるとするなら『あれだけの大見栄を切っておいて自分は動かないなんてことはないだろうな』だそうです」
「完全に掌の上と言ったわけか」
ミトはため息をついた。
「しかし何で、そんな回りくどい方法を」
アルルが質問する。
「……それは恐らく、今回の騒動を画策したのがロエン兄上だからだろうな」
「な、なぜそのようなことを」
「ロエン兄上は日頃から自分が戦国の世に生まれたならどれほどの武功をあげられただろうかと言っておられるようなお方だ。乱世では獅子奮迅の活躍をしたカイエン家と戦をしてみたくなったといのが一つの理由だろうな」
「そんな」
怒りをあらわにするアルルの言葉を遮ってミトは続ける
「もちろんそれだけでなく、今回の戦を起こすことで自らの軍派閥をより強固にする狙いもあったのだろう。だが、到底許される理由ではない」
ミトは覚悟を決めて言う。
「相手はロエン兄上だ。王宮内に証拠を残すほど甘い相手ではない。ならばこそ、できることは一つ。戦が始まる前にカイエン家の窮地を救い、ロエン兄上の企みを阻止する」
「そういうことなら、俺も行かせて貰いますぜ」
ミトの考えを理解したのかサスケは飄々と口にした。実際、隠密、諜報、武術に長けるサスケがいなければ今回の作戦は成功しないとミトは考えていた。
「よしならば、善は急げだ。アルル殿、すぐに出発する!」
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