鬼道編

雨と噂

 出入りの商人に紛れて東山離宮を出立したミト、アルル、サスケの一行は帝都を離れ一路東へと向かっていた。


「もうすぐカルナ川ですね。帝都からバレずに抜け出して2日。ここまでは順調ですね」


 アルルが空を見上げて呟く。

 カルナ川は帝都の東をはしる川であり、帝都を守る大外堀でもあった。そのため川にかかる橋の本数は極端に少なく、最短でニエンの地を目指す一行は川を船で渡るつもりであった。


「ああ、だがどうしたものかな」

「何か悩み事でもあるんすか?ミト様」

「それだよその呼び方。ここまでは人に合わなかったからいいもののカルナ川ではいやでも船でほかの人たちと乗り合わせることになる」

「そうなったら、呼び方で身分がバレかねない。ことによっては帝都を抜け出したことをロエン元帥に知られかねない、そういうことですね」

「流石のアルル殿。話が早い。それでどうするかだが……」


 ミトは腕を組むと、うんうんと唸る


「よし、これから俺たち一行は帝都の木綿商人の若様とそのお供ということにしよう」

「へぇ、そりゃ名案ですねぇ。ならこっからはミト様じゃなくて若様ってのが呼ぶべきっすね」

「そんな……! よろしいのですか? ミト様」

「アルル殿も気にせず若と呼んでくれ。代わりに俺たちもアルルと呼び捨てにさせてもらう」

「ありがとうございます……では、以後そのように」

「そいじゃ、若様。話が1つ」

「どうした? サスケ」

「雨の匂いがしますぜ。しかもこいつは強い雨な匂いだ。船が出せなくなるかもしれない。急いだ方がいいですぜ」


 いつの間にか空は鈍色になり、重たい空気と土の香りがどんよりと漂うようになっていた。


         ◯


 一行がカルナ川に着く頃には雨は本降りになり、肌を叩く雨粒が痛いほどだった。案の定川は荒れに荒れ、結局一行はカルナ川のほとりの船宿で足止めを食らってしまった。

 一行のカルナ川の近くに入った時には、どこの宿もすでに多くの客でごった返しており、ずぶ濡れのミトたちは一件の船宿の2階でなんとか腰を落ち着けることができた。

 ミトはその船宿の埃っぽいの大部屋の片隅に脱いだ外套と荷物でもって、陣地を作るとそこへ地図を広げた。


「カイエン家の治めるニエンの地までは、このまま行けばあと1週間と言ったところか」

「そうですね。私もおおよそそれくらいの行程でした」


 濡れた髪を乾いた布で拭き取っていたアルルはそう言うと、地図を上から覗き込み自らの辿ってきた道のりを指でなぞる。


「ロエン元帥が軍を集結させるまでどれくらいかかるかが、今回の肝っすね」


 サスケは壁にもたれかかり暇そうに、手持ちの懐刀を磨いている。


「それはエント兄上が妨害工作をするだろうから、軍が集結するまでに1ヶ月はかかるとみていい」

「それなら、ある程度余裕はありそうっすね」

「ああ、この雨さえ上がってくれればな」


 ミトは外を見上げると憂鬱さを隠さず言う。

 一行は帝都を出てこれまでの行程を順調に進んでいた。しかし、カルナ川は雨に弱く、少し雨が降れば簡単に川が荒れて舟留めとなり、船が出なくなってしまうのである。


「ここに来るまでを思えば、かなりおさまってますし、夕方には雨が上がって、明日には舟留めも解除されるのではないのではないでしょうか」


 アルルは立ち上がり、近くの窓までいってそれを開けると空を見上げた。


「あんた達ここには来たばかりかい?」 


 そこへ、商人風の小男がアルルに寄ってきて話しかける。小男はどうやらこの辺りを旅慣れた商人らしく、アルルの隣に立つとじっとりと湿っているそのを胸元を見つめいやらしく笑った。


「はい。私たちは先程、帝都から来たばかりです。もうそのうち雨も止みそうですし川も渡れますね」

「川を渡りたいのか。そりゃあ残念だな。この雨じゃ、しばらく川が荒れるぜ。川面を見てごらん赤茶く濁ってるだろう? あれは山の方で大雨が続いてる証拠だ。舟留めが解除にされるのは当分は先になるぜ。まあ、焦らず待つことだぁ」

「それは困ります。私たちは一刻も早く川を越えないといけないのです」

「困ると言われてもなぁ……。あっと……いや、今は無理だな……。まぁ……あきらめてゆっくり待ちなさいな」


 顔を乗り出して訴えるアルルに対して、小男は諭すようにいった。

 それに対してこれまで傍観していたミトが地図を持ち出して聞く。


「地図をみるとここから1日南に降ったところに橋があったはずだが、そこならどうだ?川が荒れると使い物にならないようなものか?」

「あんたら、帝都からきた商人と聞いたが?」

「ああ、私は帝都の木綿商だ。品物の買出しで東方へ向かうところなんだ。あんたこの辺りに詳しいんだろう? ぜひ教えておくれよ」

「そうかい。帝都から来たばかりかい。そうかい。そうかい。なら知らねえのも無理もねえ」

「なにをだ?」


 ミトがそう訊ねると小男はちょいちょいと指先で胡麻をすった。情報料をよこせということだろう。ミトは懐を探ると銀貨を1枚小男に握らせた。

 小男はその銀貨を窓から入る僅かな光で照らし輝きを確かめるとニンマリ笑った。


「毎度あり。確かに」

「それで何の話なんだ」


 そう訊ねるミトに小男は顔を近づけると、話すのも恐ろしいといった風に小声で言う。


「今、件の橋は鬼が出るんだ」


 鬼といえば赤ら顔でツノが生えた大きな生き物で人を襲い喰らうというが、もちろん想像上の物である。それでもこの小男は橋には鬼が出ると言った。


「鬼?そんな馬鹿な話があるか。くだらない。金を返せ」


 ミトが一喝する。しかし小男は話を続ける。


「まあまあ、肝心の話はこっからですよぉ旦那。何でもその鬼は橋の真ん中にでんと陣取っていて橋を渡ろうとする者から金目の物をぶんどっているそうな。町の衛兵も出動したが歯が立たたず、仕方なく領主が雇った腕自慢の剛力武者たちが挑みかかったがいいが皆んな返り討ちにあって身包み剥がされたとか。それからも武者修行の戦士が挑んで川に捨てられただの、縄張りのゴロツキどもが取り囲んだが手も足も出なかっただとか、なんとか。ひでぇ噂にはことかがねぇ」


 男はそう言いながらわざとらしく身震いした。


「とにかく、件の橋の方もしばらくは使いもんに何ねぇってことよ」


 小男はそう言うと銀貨を懐にしまって、大部屋のほかの衆のところに駆け寄っていった。おおかたまた、同じような手口で小銭を稼ぐのだろう。


「本物の鬼かどうかは置いといて、なんかヤバそうっすね」

「渡る者から金品を奪う鬼か……情報が本当だとすると町の衆も困っているだろうな」

「どにらにしても、舟留めが解除されない以上その橋を渡るほうが早くつきます。そちらに参りましょう。若様」

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