鬼と金

 一行が船宿を早々に後にして丸1日が経ち、鬼が出ると噂の橋までたどり着いた。

 雨上がり、鉛色の空を川面が写しとり、空気は重たく澱んでいた。

 件の橋に鬼はいなかった。その代わりに、短髪の男が話の通り、でんと橋の中央であぐらをかいていた。一見細身のようにも見えるが、それは座っていても分かるほどの高い背丈からだろう、男の体はそこいらの武者にも引けを取らないほど、筋骨隆々としていた。男の脇には衣服や武具、鎧などが雑然と積まれている。


「件の鬼とはあれですかね?」


 アルルがミトへ語りかける。


「鬼か。なるほどなよく言ったものだ」

「めんどくせぇ。俺がやりましょうか?」


 そう言って懐刀を取り出すサスケをミトが制する。


「いや、せっかくの鬼退治だ。俺がやろう」 


 ミトはそう言うと背嚢をドサっと置いて杖だけを持ち出すと橋を渡り出した。


「おいテメェ。この橋を渡りたいのか。だったら通行料を払ってもらうぜ」


 男は座ったままミトにはなしかける。


「通行料か。それは知らなかったな。参考までに聞いておこう、いくらほどだ?」

「抵抗しないなら、見ぐるみ全部とはいねぇや。有金全部だ」

「抵抗すると言ったら?」


 ミトは不敵に笑いかける。 


「黄泉の河原の渡し賃だけは残しといてやるぜ!」


 男はそう言うと雷鳴のごとく素早く飛び上がり、手にした金砕棒を叩きつける。

 ミトはそれを棒立ちのまま、紙一重のところでかわす。


「綺麗な太刀筋だ。我流にしてはやる」


「うらっ!」と男は金砕棒を横薙ぎに一閃にするが、ミトはこれもまたスルリとかわした。


「その体躯で力も申し分ない。荒削りながら技もなかなかだ。望めば雇い口はいくらでもあるだろうに何故、こんな真似を?」


 ミトは飄々と訊ねる。 


「てめぇにゃ関係ねぇ」 


 男は金砕棒を袈裟斬りに叩きつけ、そのまま手首を返して再び横薙ぎにする。ミトはそれを一歩引いてかわすが、男はそれを読んで鋭い突きを繰り出す。

 しかし、上手だったのはミトであった。男の突きをヒラリと飛んでかわすとそのまま橋の欄干に着地し、ケラケラとわらった。 


「おお、今のは良かったな」

「くそっ。てめぇ何なんだ……」

「ハハッ。単なる木綿商の若旦那だよ」

「そんなわけねぇだろクソが!」


 男は思い切り振りかぶりミトに向かって金砕棒を叩きつける。大人の腿ほどの太さの木造りの欄干がバリバリと音を立てて割れたが、すでにそこにミトの姿はない。ミトは男の懐に潜り込んで一撃をかわしていたのであった。


「今のも中々。だが惜しむらくはその素直すぎる性格だな」


 一瞬の隙をついたミトの攻撃。眉間、顎、鳩尾を瞬く間に杖で正確に射抜いた。これには流石の大男も耐えきれず「がはっ」と吐瀉物を吐きながら大の字に倒れた。


「さて、そろそろ目的を白状してもらおうか」


 ミトは挑発する様に男の股間を杖でつつく。


「…………てめぇに言って何になる」


 男は肩で息をし満身創痍といった感じで答える。


「俺たちとしては、急ぎの用もあるしこのまま衛兵に突き出しても構わないのだが……。俺はお前の目が気になってな」

「……目?」

「お前の目は、鬼のそれではない。何かを守ろうとする者の目だ」

「……」


 男はむっつりと黙り込んで、空を睨みつけている。すると、橋の向かい側の袂から小さな顔がひょっこりと顔を出した。歳の頃は7つか8つのぐらいだろう少女である。その小さいのはとてとてと、おぼつかない足取りで男に駆け寄るとその袖を掴んで声をかけた。


「兄っちゃ!《にいっちゃ》兄っちゃ!大丈夫か?こいつにいじめられたのか」

「チヨぉ。危ねぇからおめぇは、あんまり外に出るなとあれほど言っただろう……」


 男は掠れた声で優しく少女の頬を撫でた。


「でも雨が降りそうだったのに兄っちゃ傘持って行ってなかったから……」

「俺は世界一強ええ男だから大丈夫だっていつも言ってんだろ。今もこれからやり返すところだからな。雨がまた降って風邪でもひいたらいけねえ。オメェはうちぃ、帰ってろ」


 男はそう言いながら徐に立ち上がると、少女の頭をくしゃくしゃと撫でた。 


「……うん!」


 少女はそう力強く頷くとミトにあっかんべーと、して来た時と同じようにとてとてと走り去っていった。 


「……話せ。事と次第によっては力になってやる」


 ミトはそう言い、欄干にもたれかかった。


「だまってろ……。てめぇに出来ることなんか何一つだってねぇんだよ」

「そんなことはない。俺はこの国では大体なんでも出来る男だからな。大概のことは余裕で出来るわけさ。もちろん。世界一強い兄っちゃを負かすことだってな」

「うるせぇ……。俺はこんなとこで負けるわけにゃいかねぇんだ……。世の中にはなぁ死んでも負けちゃぁならねぇ瞬間ってのがあんだ……」


 そう言う男は金砕棒を杖に立っているだけで精一杯といった風であった。しかし力強く叫んだ。  


「世の中にはなぁ! 死んでも倒れちゃならねぇ瞬間ってのがあんだ! それが今だ!」


 男の膝は震えている。それでも気迫は衰えるどころかますます、燃え上がり、瞳は今にもミトを射殺さんとばかりに輝いていた。ミトは男の発する気に僅かに恐怖すら感じた。


「死んでも倒れぬか。ふん。面白い。名を聞いておこう」

「キドウだ!」

「わかった!こい!キドウ!最高の一刀を受けてやる!」

「うらぁああああああ!」


 キドウと名乗った男は金砕棒を引きずり駆け出すと思い切り振りかぶりミトの頭めがけ振り下ろした。

 その刹那、男の視線には白い閃光が走った。気がつくと衝撃とともに視界が歪んだ。キドウの記憶はそこで途切れた。


         ◯


「……どれくらい気絶していた」


 キドウがミトたち一行を見上げて問いかける。


「数分だ。頑丈だな」


 ミトは頭の側にどさりと重い袋を落とした。袋からは落ちた衝撃で金貨が溢れ出していた。


「お前にやる。好きに使え。…………俺たちは行く」


 そう言うとミトは背を向け歩き始めようとした。すると、キドウはポツリと呟くように話し始めた。


「俺の……俺の唯一の家族が……妹が目の病なんだ……町医者が言うにはもう右半分はほとんど見えてねぇ。……一刻も早く名医にに見せなければ、来年には完全に光を失う……と」


 よほど悔しいのだろうキドウの目には涙が溜まり今にも溢れ出しそうであった。


「アイツはまだ7つなんだ。これから人生の酸いも甘いも知っていくって時に、そんなのあんまりじゃないか……」

「治せる医者がいるのか?」


 ミトが問いかける。


「丁度、この街にメイイって名前の腕のたつ医者が、領主の治療に来てんだ。だから俺はそいつのとこに行って妹を見てくれねえかって言ったんだ。そしたらアイツ平民相手はみる気はないってよ。……どうしてもと言うなら!金貨300積めって言いやがった!だから!だから俺はっ……!」

「そうか……」


 ミトはそう呟くとアルルに向かって言う。


「アルル殿すまないが少しだけ寄り道しても構わないか?」

「はい。私も丁度同じ事を考えておりました。ここで見捨てては家の恥。放ってはおけません」

「アンタ達いったい何者なんだ」


 キドウは不思議そうに問いかけた。


「しがない木綿商の若旦那一行だよ」

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