あなたにだけは一刀流

飯田太朗

昔から、一筋だから。

 奇声を上げて突撃してくる彼女。俺は突き出した小太刀でそれを受け止める。


 ……相変わらず鋭い太刀筋だな。


 立て続けに繰り出される小手と面の嵐をさばきながら思う。考え事をする余裕は、まだある。でもこの分だと……。


 彼女の鋭い叫び声が道場に響く。審判をしていた平田先生と、新谷先生が旗を上げる。赤。彼女の旗だ。


「小手アリっ!」


 ずきりと痛んだ右手首。力のない女性の一太刀とは言え直撃すればそれなりに痛い。ましてや日ごろ鍛えている百合子の一撃だ。俺はため息をついて竹刀を構え直す。駄目だなぁ、百合子には敵わない。そう、実感する。



 俺は剣道の成績で大学まで進めたスポーツ優待生だ。進学先はそれなりに有名な私立だった。

 親父は地元のこの道場で二刀流の剣士として有名だった。続く俺も二刀流の剣士として育てられた。高校までは二刀流で公式試合に出ることはできないので、俺もしばらくは一刀流のように見せていたが、二刀流の稽古は中学の頃からしていた。二本の竹刀を扱うにはそれなりの膂力が必要なのだが、俺は家系的に大柄なので、少しトレーニングを積めば問題なかった。


 そして、大学生になり。

 晴れて二刀流が公式試合で使えるようになった俺は、十三の頃から六年間温めてきた剣術で好成績を収めていった。大学の公式戦で、「クワガタムシ」と言えば俺のこと、らしい。

 芦田菊花とはそんな大学の剣道部で知り合った。

 びっくりするほど色が白くて、線も細い。とても竹刀を振り回す女には見えないし、まさに名門私立にふさわしい、お嬢様中のお嬢様という感じの女の子。彼女は俺が稽古を終えてクールダウンのストレッチをやっているところに来た。


「練習お疲れ様」

「ああ、お疲れ」

「よかったら、一緒に帰らない?」

「え? ああ、いいけど」


 芦田との仲が部内で噂されるようになったのはその頃からだ。俺の方にそんな気はないが、周囲がもてはやした。部内一のお嬢様、芦田菊花を二刀流で攻略した剣士として……。



 百合子の連続した剣戟。

 とても一本の竹刀でさばいているようには思えない。こちらの構えの穴を正確に突いてくる。二刀流は一見すると攻撃力に優れた構えに見えるが、実際は鉄壁の防御力の方が売りだ。そんな俺の剣の隙を的確に縫って攻撃を仕掛けてくる。幼馴染故、なのか。それとも俺の心の弱さか。


 やっとのことで彼女の逆胴をさばくと返す手で彼女の面を殴った。いい音がして、審判三人の内二人が俺の旗を上げる。一本。よし、これでイーブン。


 百合子が竹刀を構え直す。一本返されたのに鬼気迫る覇気。同い年の女の子で、これだけの殺気を出せる奴がどれだけいるか……いや、いないだろう。

 俺は彼女が向けた竹刀の先にじりじり追いやられながら考えた。百合子はショートカットだ。手入れが楽でいいらしい。しかしそんなショートカットで思い出す女子が一人。



「よっ」

 大学の、食堂で。

 スポーツ進学の俺は大学の課題にはめっぽう弱かった。それでも「文武両道」を心掛け、分からないなりに必死に食らいついてやっていた。練習終わりには必ず食堂で課題をやる時間を設けていたし、家でも通学途中でも、勉強は欠かさなかった。引本蘭はそんな俺に話しかけてきた。艶のいいショートカットがふわっと揺れる。


「課題どう? 進んでる?」


 引本は俺と同じ発表班だった。つまり俺の進捗は引本の成績に直結していて、俺は迷惑をかけたくなくて一生懸命勉強していた。引本は俺のそんな努力を見ていてくれた、らしい。


「ごめん。イマイチ分からないところがいくつかあって……」

「どれどれ?」

 と、引本は俺に講義の内容を丁寧に教えてくれた。聞いたところによれば、家庭教師のバイトをしているらしい。人気講師らしく、面倒を見た生徒はみんな成績がよくなっているそうだ。


「すごい。分かりやすかった。ありがとう」

「へへ。いいってことよ」

 

 それから俺は、大学の講義のことについて引本に教えてもらうことが多くなった。必然、だろうか。俺と引本の仲が噂される。

 これ以上仲良くなって引本に迷惑をかけるのもなぁ。


 そう思っていたある日、引本が訊いてきた。


「ねぇ、さ」

 俺がちょっとひやりとしていると、引本は言いにくそうに、続けた。

「好きな人とか、いるの?」



 試合は結局、百合子が勝った。

 連続した剣戟に俺が根負けした。体力では分があるはずの俺が、気合で負けたのだ。最後の一撃は片手突き。細い彼女が放った鋭い一撃は見事に俺の喉元を捉えた。恐るべし、小泉百合子。俺の幼馴染。


 百合子は実家の小泉武道具店で働いている。高校を卒業してからずっと家の手伝いをしていて、隙間の時間で幼稚園の頃から続けている剣道をやっている。学生時代、それなりにいい成績を収めてスポーツ進学の道もあったのだが、卒業する時期になって百合子の母が病に倒れた。百合子は進学を諦めた。


 けど百合子はそんな苦労を微塵にも顔に見せない。私生活も剣道でも、鬼気迫る勢いを見せている。俺は彼女の弱った顔を見たことがない。本当に幼い頃から、ブレないのだ。


 稽古終わり。道場からの帰り道。


 雨が降っていた。俺は傘を忘れていた。仕方ない。濡れて帰るか。どうせ汗かいたから濡れても大したことないな、なんて思いながら道場から出ようとした時だった。


「ん」


 背後から、傘。ピンク色の、かわいらしい。


 百合子だった。制汗剤の匂いがふんわりと漂う。

「風邪ひくよ。ほら、一緒に帰ろう」

「ああ、わり」


 百合子は背が低い。百五十くらい。一方俺は百八十を超えている。三十センチ以上の差は大きい。俺が屈むようにして傘の中に入っていると、百合子が「はい」と傘を渡してきた。ご厚意に甘えて俺は百合子の傘を持つ。いくらか、歩きやすい。


 それでも百合子が濡れないように、傘は少し傾ける。しばらく蒸れたアスファルトの上を歩いていると、百合子がつぶやいた。


「大学で、モテてるんだって?」

「はっ?」

 俺が振り返ると百合子はそっぽを向いていた。

「おばさんが、自慢げにしてた。同じ学部と、同じ部活に、仲良くしてくれる子がいるんでしょ。私生活でも二刀流じゃん」

 おふくろめ。

「私立だもんね。綺麗なお嬢様がいっぱいいるんだろうな」

 まぁ、いるにはいるけど……。

 しばらくお互いに黙って歩く。けど、俺の頭の中はいっぱいだった。


 違う。違うんだよ百合子。俺はずっと、お前が、お前のことが……。


 小泉武道具店の前に着く。百合子がぽつりとつぶやく。

「傘、いいよ。今度返して」

「お、おう……」


 百合子を武道具店の軒下まで送っていく。彼女が店のドアに手をかけた頃になって、俺は、ようやく俺は、決心がついた。


「……俺、恋は一刀流だから。昔から、一筋だから」

「は?」


 百合子が振り返る。化粧っ気のない、どちらかと言うとごつごつした、俺の幼馴染。でも笑うとかわいいし、実はすっごく華奢だし、努力家で一途だし、スタイルだってそれなりにいいし、料理だって上手い。何より一緒にいるとドキドキする。それは小さい頃からずっとそうだった。馬鹿みたいな話で、昔は一緒にお風呂も入ったことあるような間柄なのに、今同じ状況になったらきっと、俺は俺でいられない。そんな、そう思える、唯一の、俺の初恋の人。


「……お前しか、見えてないから」


 百合子の目が一瞬、緩んだ気がした。

 背後の雨脚が、少し強くなった。

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あなたにだけは一刀流 飯田太朗 @taroIda

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