第40話 変化を愛でること

 変わるものが多くあるなかで、変わらないものも少なからずある。


 変わらないものに縋るほど生に執着していないけれど、それでも変わってしまった風景に寂寞せきばくとした気持ちにもなる。


 仕方のないことだ。それが生きるということだから。


 とっくの昔にそう割り切っている。


 その割り切った先はなんとも味気ない時間が続いていたけれど、今は悪くない、むしろ愛おしい時間が流れている。


 変わるもの、変わらないもの。全て慈しみ、愛でることができるこの時間が堪らなく愛おしい。


 この風景も、新鮮で眩しい。そのおかげか自分でも驚くほど心が穏やかだ。

 前から覚悟していたから、という理由もあるかもしれないけれど。


(今だからこそ、そう感じるし思えてくる。何一つ凪いでいない、この穏やかな時間が最後まで続けばいいのだが)


 そんなことを考えながら、陽古は道路まで歩いてきた。


 田舎のわりにはかなり広い二車線(時雨が言っていた)の道路は、かつてなかったものだ。彼の人が生きていたときに散策したときは一車線しかなかった。この先に続く道もなかった。


 土木建築はあっという間に進歩するものだな、と物寂しさを感じる前に感心したものだ。


 この地に移り住んでから大分経つが、自分は思っている以上に村に対して愛着はないようだ。


 振り返ってみると、どうも土地というより、人と空と山に自分は愛着があるらしい。


 わびしさを感じるのは、この村の風景の変化よりも、人が死んだことくらいだった。


(私はその程度の感傷だが、時雨はどうなのだろう)


 と、考えたところで下から、わんっと犬の鳴き声がした。見ると、真っ黒い犬が陽古を見上げていた。


 この黒い犬はもう生きていない。クロというこの犬は、お盆のときに一時的にこちらに帰ってきたのだが、どういうわけかお盆が過ぎてもあの世に戻ろうとしない。


「クロよ。早くあの世に戻ったほうがよいぞ」


 そう言うと、クロはしれっとした顔をして逸らした。

 困ったな、と肩をすくめる。


 陽古には強制的にあの世に送還させる能力はない。そういう能力があったとしても、この犬に使うことができない。


(微かに神通力を感じる……つまりあの世で神犬になる修行をしている)


 昔は賢い白い犬しか神犬の資格はなかったようだが、今はそういうわけではないらしい。


 神犬は人間の言葉が完全に理解できる。つまり、陽古が言っている言葉も理解できているというわけだ。


「お前はまだ修行の身なのだろう? ここにいたら不味いのではないか?」


 反応はない。恐れ知らずか、はたまたちゃんと許可を取ってあるのか。後者であってほしい。


「そもそも、どうしてここにいたがるのだ?」


 クロの耳がピクッと動く。ちらっとこちらを見たと思ったら、またそっぽを向いてしまった。


「なにか理由でもあるのか?」


 答えない。無理もない。人の言葉は理解できても、修行の身では喋ることができないのだから。


(時雨が心残りであるのなら、ずっとここにいただろうし、時雨の傍に積極的にいようとしない。この犬はどんな目的があるのやら)


 そう考えたとき、視線を感じて思考を一旦止めた。


 視線を辿ると、左側、向かい側の人用の通路に一つの人影が遠くで突っ立っていた。


 見たことのない少年だ。歳は時雨と同世代のようだ。制服らしきも着ているから学生なのか。まるで狐のような目をしている。


 陽古は瞠目どうもくした。あの少年と目が合っているからだ。


 初めは気のせいかと思っていた。だが、少年は目を逸らさずこちらを凝視し続けている。


 まさか、とジッと少年を見つめる。しばらく見つめ返していると、少年が動いた。


 我に返った様子でハッとした後、慌てて陽古から視線を逸らし、そそくさと歩く。


 少年は道路に面した家に向かい、玄関を開く。どうやらそこは少年の家らしい。


 なんとなくその家に近付いてみる。クロも着いてきた。その家は時雨の家のように木造の家ではなく、二階建ての今風の家だ。


(結界……が掛けられているような感じがしないな。では、術者の家系ではないということか)


 昔はこの辺りにも陽古の姿が視える呪術師が一人いて、村人の相談相手をしていた。その霊能者の一族は陽古の姿を視ることができても、陽古と関わりをもとうとしなかった。


 そういう線引きを大事にしていた一族だったが、いつの間にかその一族は見なくなった。時代の流れだろうと、大して気にしていなかったのだが。


(もしくは呪術師の家系だったが、子に技術を伝えずそのまま普通の家系になったか)


 陽古は長く生きたが、実際に家系が途絶える現場を見たことはないから、あるあると頷くことはできないが、時雨から借りた小説ではそういう設定の人物がいた。


 小説は現実と違うが、その可能性は大いにある。


(うむ……これも人の時代の流れか)


 ボーッと家を見上げていると、扉が開く音がした。玄関のほうに視線を向くと、先程の少年が玄関先からこちらを覗き込んでいた。


 少年は目を瞠って、口をパクパクさせている。


 もうはいないと思っていたが、一応様子を見ようと玄関を開いたら玄関前にいて驚いた、ということだろうか。


 こういうときには、どんな反応したらいいだろうか。時雨のときとはまた違った出会いだ。


 そういえば、と似たような場面を小説で見たことがある。小説の内容を思い出しながら、片手を軽く挙げてみる。


「こ、んにちは?」


「いやなんで疑問形」


 少年は慌てて口をつぐんだが、陽古は確信した。この少年は、自分の姿だけではなく声も聞こえることを。


 少年の顔色がサァッと青くなる。首を傾げていると、バンッと荒々しい音を立てて玄関の扉が閉じてしまった。


 ふむ、と腕を組んで思案する。


 彼が自分のことが視える。だからといってこれ以上関わるつもりはなかった。いつもならそう思う。


 だが、今回は違う。あることを閃いたのだ。


(時雨と同い年みたいだが……うむ)


 陽古はクロをうながし、時雨の家に戻ろうときびすを返した。






「…………ああ、アイツのことか」


 その夜、陽古に突然、道路側の家に住んでいる子供のことは知らないか、と訊かれた。


 最初は誰のことか全く分からなった。道路側に面した家はこの辺りだと六軒ある。その内の三軒は老人しか住んでいないので、実質三軒だ。


 どの家の子だ、と黙り込んでいると陽古が、時雨と同い年くらいの子なのだが、と付け加えられて誰のことなのかすぐに分かった。


 優のことだ。思わず眉をしかめる。


「同級生だよ」


「おさななじみ、というものか?」


「まあ、一般的にはそう呼ばれる間柄だろうけど、それほど親しくない」


 陽古が首を傾げる。


「なんだ、けいえいのなか? というやつか?」


「けいえいじゃなくて、けんえん。まあ、そんな感じだな。で、アイツがどうしたんだ?」


「時雨と同い年くらいの子を初めて見かけたのでな。少し興味が湧いただけだ」


「興味ねぇ」


 これには内心少し驚いた。陽古が個人に対して興味を持った、と言うのはこれが初めてだった。


(いや、じいちゃんに興味あったみたいだし、たまたまか?)


 なんだか釈然しない。


「名前はなんというのだ?」


「武田優。幼馴染みたちからはユウって呼ばれている」


「なんでだ?」


「優れているって書いて優だから。優ってユウとも呼ぶだろ」


「ああ、それで。あだ名というやつだな。幼馴染みたちと言っていたが、他にもいるのか?」


「小学校じゃ一学年一クラスしかなかったから、全員が一応幼馴染みだな」


「不本意っていう顔だな」


「そう、だな」


 正直、同級生の親のヒソヒソ話で嫌な思いもしたし、子供特有の無邪気なのに邪気がある言葉を浴びせられ、前ほどでもないが棘はまだ残っている。


 気にしなくはなったが、やはり傷付いた記憶が残るわけで。幼馴染みの話をすると、そのときの思い出して苦いものが込み上がってくる。


「そのユウという者は、時雨になにかしたのか?」


「スグルだって。参加していないのに雪玉投げられたり、持っていた消しゴムを取り上げて返さなかったり。まあ色々だな」


 小さな嫌がらせだが、けっこう積み重ねているので今でも嫌いである。


「ほう。悪ガキだったんだな」


「そうなんだよ。なぜかオレばっか嫌がらせしてさ。今でも絡んでくるし」


「それはつまり……こういうのをなんというだったか」


 少し考え込んで陽古が、ああ、と手のひらにぽんっと拳を置いた。


「テレビで言っていたぞ。そういうのを、男子小学生が好きな子をいじめてしまうのと同じ、というと」


「やめろよ、気色悪い」


 同性愛について偏見はないつもりだが、優からそういう目で見られていると言われるだけで全身に鳥肌が立ってしまう。


 優は彼女がいて、別に同性が好きなわけでもないということは知っているから戯れ言だと一応聞き流さすことはできるが、想像するのが嫌なのである。


「まあ、つまり確執があるということか」


「確執っていうほどじゃないけど……そうかな」


 あちらは気にしていないけれど、こちらが気にしているだけだ。ただ温度差があるだけで。


「そこまで複雑ではないということだな?」


「複雑ではないけど。なんかグイグイ訊いてくるな……」


「む? そうか? 不快だったらすまない」


「別に。あ、そういえばばあちゃんが和菓子を買ってきてくれていたな」


「和菓子? なにがある?」


 途端に陽古の目がキラキラと光る。


「オレの分って渡されたのがみたらし団子と豆大福」


「豆大福!」


 さらに目を輝かせた陽古に小さく笑みを浮かべ、腰を上げる。


「緑茶も淹れてくる」


「いいな! 時雨、はやくはやく」


「はいはい」


 階段を下りて、祖母が使っている和室を通っていく。


 そこで小さく溜め息をついた。


(急に話を逸らしたけど、陽古の意識がすぐに和菓子にいってよかった)


 陽古の反応に違和感を抱いて、それを面に出したくなかったから咄嗟に和菓子の話に持っていったのだ。


 陽古が優に少し興味がある。それはなんとなく違うような気がして、どうも釈然としない。


(どうしてそう感じたのか分からないのが、余計にモヤモヤするな)


 歯の間に食べかすが挟まったような、落ち着かない感じがする。


 これ以上は考えたくなくて、先程の陽古の笑顔で違和感を抑え込んだ。

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こうして僕らは『愛』を知る 空廼紡 @tumgi-sorano

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