第8話

 清一郎は予定どおり八時過ぎに姿を現し、私が唐揚げを二度揚げしている間に直哉の部屋へ向かった。今更、期待はしていない。

「唐揚げか、いい匂いがするな」

 戻って来た清一郎はダイニングには行かずキッチンの、私のそばに来た。

「……何」

「何してるんだろうと思って」

「あなたの分は二度揚げせずに取っておいたから、今揚げてるの」

 音の変わった唐揚げを取り出すと、ふうん、と気に障る相づちを打った。

「何か、言いたいことでも?」

「冷や飯食わされる覚悟で来たのに手厚いもてなしだなと」

「違う。揚げたての方がおいしいからってだけ」

 溜め息交じりに答えると、苦笑する。

「そうか。てっきり無理やり時間こじ開けてきたから、慈悲を与えてくれたのかと思ったんだけど」

 そういう、分かっていて全部言うところが今は嫌いだ。

「直哉と、何話したの?」

「取り返しのつく失敗と、つかない失敗の話」

 油切りの網から唐揚げを持ち上げる箸先が止まる。

「あと、お母さんの慈悲深さに甘えすぎるとお父さんみたいなクズになるって」

「言ったの?」

 弾かれたように顔を上げた私をじっと見たあと、清一郎はまた苦笑した。

「言ってない。俺の悪口言ってないんだろうなと思って」

「当たり前でしょ。私は冬の日本海に沈めたいけど、直哉の親だもの」

 うっかり口走ってしまった本音に反応を待つが、しばらく経っても返って来ない。唐揚げを皿へ移し終えて睨み上げると、へらりと笑った。なぜ、機嫌が良くなっているのだ。

「いや、そんな近場でいいんだなって。『ベーリング海で切り刻んでカニの餌にする』くらい言うかと思ったのに」

「あそこに行くまでどれくらい時間かかると思ってんの? その間二人きりなんて、死んでもいや」

 眉をひそめて言い返すと、はは、と声を出して笑った。

「はい、これ持って行って。味噌汁入れるから」

 突き出した唐揚げの皿を受け取り、清一郎は一息つく。

「直哉は、大丈夫だよ。少なくとも、俺みたいな失敗はする子じゃないから」

 私を見ないままなんの保証もない言葉を吐き、背を向けた。

 胸に落ちた痛みが疼き出す前に冷蔵庫を開け、味噌を取り出す。取り分けていた一人分の鍋に味噌を溶き入れると、唐揚げとは違う穏やかな香りが立った。

 それでも、ごはんは誰にとってもおいしい方がいい。

 少しだけ癒やされた胸に安堵して、汁椀を手にした。




                                 (終)

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うちの息子を部屋から誘い出すレシピ 魚崎 依知子 @uosakiichiko

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