横顔のトークルーム

森村直也

横顔のトークルーム

 新着ニュースに目が留まる。本文を開いたとしてもたった七行で終わる記事だ。息を飲み込み息を吐く。ぎしりと椅子が音を立てる。もう一度重い息を吐き出して、私は物書き机を離れる。

 キッチンに立つ。冷蔵庫の缶ビールへと手をかけて、ためらった手はドアを閉じる。埃を被ったブランデー瓶を取り上げて、惜しむ気も無くグラスへ注ぐ。せめてもの良心とばかりに最後にひとかけ氷を浮かべた。

 物書き机でタブレットは、政治、経済、芸能ゴシップ、ゲームに漫画、『世の中』の関心高いあらゆる事への賛成反対同意不同意、意見溢れるSNSを表示している。グラス片手に発言欄へと手を伸ばし、私は結局アプリを閉じた。

 ブランデーをちびりと嘗める。広がる香りを味わいつつ、ため息と共に汎用アプリをタップする。君が映るまではほんの数秒。

『こんばんは』

 浅黒い肌、太い眉。一目で外国人とわかる濃い顔立ちを緩ませて、君はメインウィンドウで笑みを見せる。カメラに写った私を見てか、問いかけるように首を傾げる。

『どうかしましたか?』

 サブウィンドウの中の私は、寂しげな微笑を浮かべる。

「今日も話を聞いてくれるかい?」

 君は私の要求を拒否しない。見た目から想像するよりずっと自然な発音で、どうぞ、と私の方を見る。

 私は口を開いて閉じて、そして、開く。

「人を三人殺した、殺人犯の話だ」

 ゆるく回したグラスの中で氷が軽やかな音を立てる。


 火災と三つの焼死体。警察は放火と断定し、殺人事件だと発表した。被害者は全焼した小屋の持ち主、農場の経営者夫婦と社長の弟であるその専務。容疑者は外国人従業員の男だった。

 私はそれを、土曜日の夜の地上波初放送の映画の中で、興をそぎ落とすテロップの形で知ったのだ。

『それは残念でしたね』

「全くだ。主人公が気配を感じて振り返った先にテロップがあったんだ」

 君は苦笑いを浮かべている。きっと私も同じような顔をしている。

 容疑者は逃亡を謀り叶わず、職質により逮捕された。殺害理由は金銭トラブルで、ごくごくありふれた事件だった。

「しかし、当事者にはありふれた事件ではなかった」

『当事者というと』

「被害者の専務の妻だな」

 君は眉根を寄せて痛ましげな顔をする。

 私も同じ顔をしていただろう。家族が突然亡くなった。元気に送り出した背中が、正視に耐えない姿となって帰って来た。幸い私は想像でしかそれを知らない。けれど、辛いことだと思うくらいの共感性は持っていた。

 数多溢れる記録映像の中で、専務の妻は常にハンカチを握っていた。目を赤くし、鼻を赤くし、涙声が地声であるかと思うほどに。

 ――外国人を雇うと聞いて嫌な気はしていたんです。けれど私には仕事のことは判りませんし、義姉には杞憂だって笑われました。この十年、杞憂だったとようやく思えるようになったのに。

 君は私の言葉に視線を落とす。唇をきゅっと引き結ぶ。

「彼女の主張は単純な差別だ。言葉が判らない、習慣が違う、彼女の慣れ親しんだコミュニケーションが通じない。彼を知らない」

 君は言葉を返さない。ただ先を促すようにゆるくゆるく首を振る。

 記録映像には町の人々のインタビューも残されていた。

 ――怖いわねぇ。嫌だなぁって思っていたのよ。

 ――何考えてるか判らんしな。

 ――いつも汚い恰好で。

 ――女の子とよく一緒だったね。

 ――女の子、嫌そうな顔してたのよ。脅されてたんじゃないかしら。

 君は視線を落としたままだ。眉根を寄せる。口角が下がる。涙は無くとも悲しみが伝わってくる。

 そして君らしいとも私は思う。怒るより悲しみに振れるところが。

『弁護する人はいなかったのですか?』

「記録の中ではね。見つけることが出来なかったんだ」

 外国人従業員は複数いたはずだったが、彼らの言葉は残っていない。経営者夫婦の一人娘の証言は探し出すことが出来なかった。

「娘は当時高校生で、隣県の高校に通っていた。下宿生活をして、週末だけ帰って来ていたらしい」

『高校生で』

 君はようやく私の方へと視線を向けた。私はそれに頷いてみせる。

「たっての希望で進学したらしいんだ」

 IT教育で有名な高校なのだと専務の妻は誇らしげに語っていた。反対する父親を説き伏せ、七倍もの競争を勝ち抜いて進学したという。

 ――萌花ちゃんもかわいそう。知った人に裏切られて、両親を一度に失って。ようやく忘れることが出来るかと思ったら、あんなものが流行ったりして。

 話を聞きたい。訪ねた私に専務の妻はそう呟いて涙ぐんだ。

『あんなもの?』

 私は思わず笑みを零す。君は怪訝な顔を返しつつ、話の腰を折るような言葉は発しない。促すように。待つように。

 私はブランデーを一口含む。氷の音が部屋に響く。

「容疑者は即座に起訴されて、裁判は無期か死刑かで争われた。自供があったし、容疑者自ら精神疾患を否定した。最初から弁護側の旗色は悪く、世間にも同情的な色はなかった」

 SNSでは過激な意見が飛び交っていた。外国人労働者への賛否やら、真否の知れない被害やら。無責任なマスコミは、死刑の賛否を数字で報じた。賛成六割、反対二割。人々は影で日向で噂した。優良経営でご近所付き合いも取引先からも評判のいい経営者に落ち度があるはずがない。金銭トラブルは犯人の責で情状酌量の余地もない。身勝手で残忍で反省している様子もなければ死刑になっても当然だ――。

 殺人事件としては異例と言われるスピードで審議は進んだ。一審、死刑判決。二審、死刑判決。最高裁では上告棄却。事件から僅か四年で死刑が確定した。

 君は再び視線を落とす。大きな目を僅かに伏せる。

 私は乗り出していた身を正す。深く背もたれに身を預ける。深く深く息を吐く。

 ところで。声を出せば、君は促すように私を見た。

「君と会ったのは一昨年だったね」

 君はきょとんと瞬きする。何を突然、とでも言いたげに。そして問いかけに応じるように口を開く。

『そう、ですね。一昨年の今頃でした』

「君のことはね、君の友人に紹介されたんだよ」

 君の目が見開かれた。私は驚くだろうと思っていたし、案の上だとほくそ笑む。

 ――彼と話してみて下さい。きっと興味を持つはずです。

 その友人とは仕事で出会った。紛争終結間もない東南アジアの小国で頼んだ、通訳件ガイドだった。

 ――少し前まで日本にいました。農場で働いていたんです。

 目標となる金額を手に入れ帰国した。日本語を正しく学び直し、通訳としての仕事を得た。友人はそう私に言った。彼には感謝しているのだと。

『その人のことは覚えています。僕たちは同じ職場で働いていました。国に帰ったのですね』

 満面の笑み。そう表したくなる顔で君は笑む。そしてふっと視線をよこした。

『彼?』

 私はブランデーを流し込む。喉が焼ける。熱が広がる。染みていく。

「SNSを中心にその頃ブームになりかけていたウェブサイトがあった。『トークルーム』と呼ばれていた」

 昼でも夜中でもどんなときでも。時間を問わず場所を問わず。家族には話せないこと。友達には知られたくないこと。抑えきれない憎悪、悔恨、恨み辛み。何であっても構わない。

 静かなバーでマスターとする酒のつまみのような。隣に着いた女の子にただ言いたいことを放つような。深夜の匿名掲示板を流れて埋もれる言葉のような。もしくは、やがて別れ話を切り出すだろう交際相手にそうとは気づかず零すような。そんな話をただただ聞いてくれるという。

「私も聞いたことくらいはあったが、彼の一言でアクセスしてみようと思った」

 視界がふわふわ落ち着かなくなる。体温が上がる。そろそろ酔っ払いの域に入る。君は穏やかな笑みを湛えて私を見ている。ただ言葉の先を待っている。君に私はどのように見えているのだろう。

 SNSでのブーム。誰かが言い出した『似ている』の言葉。持ち寄られた情報と、突き合わせられた情報と。数は力だ。力はより大きな要らぬ力に補足される。

 やがて専務の妻は気付かされた。

 ――『トークルーム』というウェブサイトをご存じですか?

「ルームのホストは東南アジア系の男性で、クェン・ヴァン・ホアイと名乗っていた。犯人と同じ、君の名だ」

 君は目を見開いた。驚きの顔をタブレット越しに見せてくる。

「その頃犯人はまだ容疑者で、二審の最中で拘留中だった。なのに、彼にそっくりだと言われる、彼と同じ名を持つ君が若者の間でブームになっている」

 ここから先は記録映像ではなく、私はリアルタイムに視聴していた。

 専務の妻はウェブサイトの責任者を訴えるとテレビカメラの前で息巻いた。精神的苦痛を受けたとして慰謝料を求めるという。しかし結局、訴状は提出されなかった。トークルームの管理人は不明であり、サーバーは海外に置かれていた。殺人犯は勾留中で、もちろんサイトの存在すら知らない。

 専務の妻は嫌がらせをされたわけでもなく、被害があったわけでもない。ただ、似た顔、同じ名前のAIが、人の話を聞くだけだ。訴えるだけの理由はなかった。

 私はブランデーの残りを呷る。咽せて、呂律が怪しくなる。それでも。話したい。誰かに。君に。

 揺れ始めた視界の中、君の視線を確かに感じる。たとえそれがCGでしかなかったとしても。

 専務の妻の訴えを『法』は相手にしなかった。しかし、相手にしたところもあった。マスコミは世間に訴える。『殺人犯を野放しにして良いのだろうか?』

 トークルームはマスコミと野次馬の手で、誰もが知るサイトとなった。話したい人が話を聞いてもらうためではない。興味本位と冷やかしの『殺人犯と会話が出来る』サイトとして。

「もちろん冷静な意見もあった。これはただのAIで、拘留中の容疑者じゃない。嫌ならアクセスなんてしなけりゃいい。『彼』は受け身で、人を殺すわけでも、再起不能にするわけでもない」

 けれど、冷静な意見は往々にしてかき消される。

 犯罪者となど話が出来るべきでない。アクセスなどもってのほかだ。

 中学校で調査が入った。高校で警告が回った。ヒステリックな意見が飛び交い、さらにアクセスは増えていった。サイトを騙るコンピュータウィルスが広がり実際に被害が出たことで、何度目かの炎上が起こる。

 やがてトークルームへのリンクは切られた。アプリはNXDOMAINを表示した。

 私は画面上方をチラリと見やる。そこには七つのコロンで区切られた、三十二桁の十六進数が並んでいる。

「私はIPアドレスを聞いていた。だから今でも君と話ができるってわけだ」

 君はすっかり困惑顔だ。無理もない。私とこうして話す君は、一般知識と私との会話しか知らない。私が知っている君でしかない。君は君の本当の姿を語らない。

 そして私は今一体どんな顔を君に見せているのだろう?

「君を知って、『彼』のことを、君のことを調べ始めた。そして、違うと思ったんだ」

 マスコミが報じるのは、彼をよく知らない人々の偏見ばかり。彼とよく町を歩いていたとされる娘――おそらく経営者の娘の話も、同僚達の話も、彼を知る人たちの言葉は全く報じられなかった。

 そして私は娘の話を聞けていない。彼の家族も知人も見つけることが出来ていない。通訳兼ガイドのあの友人以外には。

 私が知り得たのは僅かな噂話ばかりだ。娘には十年来の想い人がいたらしい。デジタルクローンに興味を持っていたらしい。両親とは上手くいってはいなかったらしい。卒業後、海外の大学に進学して以降音信不通。保険金と遺産と農場を処理したのは弁護士で、弁護士は娘と特に親しかった。

 そして、何も言わない約束なのだと、私に君を紹介したあの友人の謎めいた微笑みがシミのように思考に広がる。例えば――。

「君は、いや、君のオリジナルかもしれない彼は、本当に、ほんとうに人を殺したのか?」

 君は困惑顔のまま、口を開く気配はない。

 私が知る君は、人の話を聞くのが上手く、しゃべらせるのが上手く、理不尽には怒るより悲しみ、共感性を持ち、こちらが怒れば落ち着くまで付き合ってくれ、喜んでいたら一緒に喜び、悲しんでいたらただ寄り添う、そういう『人』だ。

 君は答えない。君は答えを知らない。君は彼であったかもしれない。けれど君は、彼ではない。

 私はライターで。君と出会い、君と話し、真実を知りたいと願い、現実を前に今ただ強い酒を呷り。ただ酔い潰れようとしている。


 今日、彼に刑が執行された。


 真実は絞首台の上で、病院のベッドの上で、車道で、家庭で、あらゆる場所で。突然、永遠に消え続ける。

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