第2話 君が良い
おじいさんの孫はすくすくと育ち、大人になり、パートナーを見つけた。さらにその子供の世代になった。山や野原も開発されて私たちもおじいさんの子孫もどこかへ引っ越さざるを得なくなった。
私はもちろん、おじいさんの子孫の近くへ住み着くことにした。幸いにも化術は大の得意だ。
人間社会はどんどんと入り込む隙間は減っていった。だがつけ入る隙はある。人間を化かすには心につけ入るのが一番だ。
昨今の人間は、どうにも孤立しがちだ。個人個人の心にはポッカリとした闇が覗いている。
私は、例えば――事故で子供を失った家族だとかパートナーに出て行かれた番の片割れだとか、そういう家族の隙間に入り込んだ。しっかりと人間として暮らすことも忘れない。
人間として暮らすにはそれなりに悩みもあったが、それでもおじいさんの子孫を見守ることは私の人生の目標の一つになっていた。
今の社会は恐ろしい。
きつねには『エキノコックス』という寄生虫がいる。だからもしきつねがいても近寄ってはいけない。
テレビでニュースキャスターが「野生のきつねにはくれぐれも近寄らないでください」と言っていた時、私がどんなにショックを受けたか理解できるだろうか。
つまり、おじいさんの子孫ときつねの私が暮らす未来はこないのだ。
諦めつつも、私はどうしても去ることは出来なかった。
今は、妻が子供を置いて出て行った家族の心の隙間に入り込み、おじいさんの子孫とはママ友になっている。子供を預け合うほどに仲が良い。
働くのも大変だし、子育ても大変だ。子供として暮らすのも大変だし、大人として暮らすのも大変だ。生きるのは大変だ。色んな人間に化け続けた私は色んな人に共感できる立派なきつねになっていた。
彼女は私の事をとても気があう友達だと思っている。それはそうだ。私はおじいさんの子孫をずっと見守ってきて、そしてずっと愛されたいと願っている。ずっと片思いをしている。
「そういえば、私の家に伝わっている変な話があるの」
ふとそんな話になった。夏の心霊特番で家系の因縁特集なんて怪しいものを再放送していた時だったか。
子供たちを見守りながら束の間の休息を楽しんでいた。テレビを見ながらお茶を飲み、のんびりと煎餅を食べる。
「ふうん。どんな話?」
「ごんぎつねみたいな話」
ごんぎつね、とは日本では有名な話だ。小学校の授業で習う一種の共通認識事項の一つ。
悪戯きつねが、償いのために人間に届け物を続ける。だがそれは空回りし、反省をしながらそれでもきつねは人間に対する償いを止めなかった。そして、また悪戯するつもりだと怒った人間はきつねを撃ち殺してしまう。
と、そこで今まで届け物をしてくれていたのは、この悪戯きつねだと気づいた人間は手に持っていた銃を落とす。
この人間ときつね、それぞれの気持ちを想像して答えなさい――と、こういう内容だ。
「へぇ……不思議な話ね」
私はドキリとした。彼女は笑って煎餅をポリポリと食べた。
「昔からピンチに陥ると誰かが助けてくれるの。元々は先祖がきつねを助けたことがきっかけで今も見守ってくれているらしいのよ。ハッピーエンドのごんぎつねみたいでしょう?」
きつねが出てくるだけで、私は悪戯などしていない! 言いたくなるが言ってはいけない。
「占い師だか何だかに『先祖が助けたきつねが守護している』と言われたなんて話もあるのよ」
「祟られてるとかそんな話じゃなくて良かったわね」
「私も何だかんだ信じちゃうのよね。昔から色んな人が助けてくれたし」
小さい頃、迷子になった彼女を助けた事もある。私は、今化けているこの姿とは違う姿で何度も彼女に会っている。
「旦那が単身赴任で子育てでウツになりそうな時に良いママ友に出会えたし」
ふふ、と彼女は笑った。私が助けになっているのなら本当に良かった。私もつい照れくさくて笑ってごまかした。
子供が絵本を読んで、とせがんできた。なんだか最近は子供たちにも愛着がわいてきた。今の私のパートナーは、妻から離婚と慰謝料の請求をされている。
ひっきりなしにかかってくる電話。しかしその電話をかけているはずの妻は目の前で料理を並べている。
混乱しているようだったが、私に子供たちも懐いている。何か言いたそうにしているものの、彼は沈黙を選んだようだった。
子供を膝に乗せて、絵本を読み聞かせる。
彼女の子供も近寄ってきて彼女は子供を抱きかかえた。テーブルに乗せた絵本を囲んで皆で、私の朗読を楽しそうに聞く。
こうした時間がお気に入りだ。おじいさんと過ごしたあの頃を思い出す。
絵本は『鶴の恩返し』。有名な昔話だ。
助けた鶴が女に化けて恩返しに来るは話だ。
「ママもパパに助けられたの?」
「どうして?」
この女とあの人の馴れ初めなんて知らないが、私は優しく子供に問うた。
「ママきつねさんだから」
「もう、この子ったら大人の話を聞いてたのね」
私は焦りつつ、絵本の読み聞かせを続けた。めでたしめでたし、で終わる物語。
人間と人外が結婚する話を異類婚姻譚という。この国では昔から語られている話だ。
それと、子供の発言。それがぐるぐると頭を巡った。
そして、私は反省しつつ昔を思い出し、元の姿で深夜の公園にやってきたのだった。
昔から勘の良い人間には私の正体がバレていた。
今までおじいさんも彼の子孫に対しても『親』に対する愛情を求めていたから気づかなかったのか。
こうして人間社会に溶け込んでいるなら、彼の子孫と結ばれる、一番そばで見守るという選択肢があったことにどうして気づけなかったのか。
きつねの姿のままポロリと涙を流して、月を見つめていると、ふいに気配を感じた。
振り向くと、今化けている人間のパートナーが驚愕した顔で立っていた。
「君は、きつねだったのか……? そんなバカな話……」
今まで人間を化かしてきた中で、こんな事は一度もなかった。今回のように時は化け物と追い出されていたし、そうでなければ疑われることはなかった。
彼の様子から家を出る私をつけてきた事は想像できた。ならば言い逃れもできないだろう。
迷った私は、昼間読んだ絵本の言葉を思い出した。
「ご恩は決して忘れません。私はとある方に助けられたきつねです。恩返しのためにあなたを利用したことは謝ります」
「いや……、俺も助けられたし……」
「ですが、姿をみられたからにはもうここにはいられません。長い間ありがとうございました。子供たちにはよろしくお伝えください」
私はペコリと頭を下げた。キツネの姿のままでは、どうにも犬の伏せたポーズに似てしまう。
「待ってくれ。子供たちも君に懐いている。君さえ良ければうちにいてくれないか!」
彼は何だか必死に私を繋ぎとめようとしてくれていた。
パジャマに上着を羽織っただけの姿で、膝が土まみれになることもいとわずに目線を私に合わせている。
「私は……、でも……」
今の時代、出て行った妻が戻ってきたと思ったらきつねが化けていた、などと言われても信じてくれる人はいない。おじいさんの子孫とはママ友として良い関係を築いている。
私だって今の生活を捨てたくはない。
「君が妻ではないのは気づいていた。きつねでも良い、君が良いんだ」
彼がプロポーズのような言葉を吐き出した。差し出された手を見て私は迷う。
彼がくれた言葉は、おじいさんの一番になりたかった幼い頃求めていたものに限りなく近い。
「お願いだ」
「……はい」
私はどうしてそう言ったのだろうか。これでは先ほど後悔した異類婚姻譚そのものじゃないか。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
なんだかぽーっとして、人間の姿に化けて彼に頭を下げた。
この気持ちは一体なんなのか、私には分からなかった。
きつねの悔い 夏伐 @brs83875an
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