きつねの悔い
夏伐
第1話 むかしむかし
私は、まずかったかなぁ、と月を見て思い悩んだ。公園の池にはしょぼくれたきつねが反射している。魚がばしゃりと水面を乱した。
時折、こうして一人になるとどうしても思い出してしまう。
何年経とうと、何十年経とうと、あなたが消えようと。
その疑問は、いつも月に溶けて飲み込まれてしまう。
幼い頃、親とはぐれて体調を崩し、道端で鳴いていた。それを助け、家に置いて看病してくれたのが私の恩人だ。
彼は老いた人間で、とても優しかった。
名前も知らない、言葉も通じない。私たちは不思議と仲良く暮らすことができていた。本当の子供のように、私はおじいさんの後ろをついて歩いた。
そんな満ち足りた日々に、おじいさんはポツリと言った。
「私には息子が一人いたんだ。どこかに行ってしまって一度も帰ってこない……。だから私はひとりで暮らしているんだ。あの子は今頃、どうしているだろう」
そう言った。彼にとってみればただ思い返して言っただけだろう。きっと私に聞かせることに意味はない。
ただ、私は思ったのだ。
おじいさんの本当の息子を見つければきっと恩返しになる。
そしてほんの少し思ってしまった。おじいさんにとって私は、本当の息子に比べたら大事ではないのかもしれない。
私は近隣の村々を駆けまわりおじいさんの息子を探した。だが見つからなかった。
そうして思いついたのが化術だ。山に住む者を訪ね歩いておじいさんの息子の風貌を聞いた。
化術に長けている老いたきつねは丁寧に教えてくれた。私は何度も人間に化ける練習をした。
その間、おじいさんは私を探していたが、今帰るわけにはいかなかった。そうしてついに上手に化けることができた。
私がおじいさんの家に戻ると、彼は驚いた表情をしていた。
「何年も家に帰らずにごめんなさい。俺がちゃんと働くから、安心して」
そう言うとおじいさんは涙を流して頷いていた。
それからは平和にゆっくりとした時間が流れていた。おじいさんが寂しそうに、
「いつも私の後ろをついてまわっていたきつねが、どこかに行ってしまったんだ……あの子は今もどこかで泣いているんじゃないかと心配でねぇ」
外に視線を巡らせてそう言っていた。
私は申し訳なさと嬉しさでいっぱいだった。おじいさんを悲しませている、それだけ愛されていたのだと思うとどこか嬉しかった。
だがそれも長くは続かなかった。
家に本当の息子が帰って来たのだ。おじいさんは混乱していた。私もとても焦ってしまった。
どうして何年も帰ってこなかったのに今になって帰ってくるんだ!
私と本物の息子は姿形も声も一緒。おじいさんは、うん、うん、と頭を悩ませていた。
「俺はいつか故郷に錦を飾るために家を出た。ようやく金が貯まったから帰って来たんだ」
「俺だってそうだ。父ちゃが心配で帰ってきた」
昔の事は分からない。この家の息子が出て行った理由など知らない。だって私はその頃この世に欠片も存在していなかったのだから。
だから本物の息子と大幅に意見が違わないように必死に言い訳をしていた。その度におじいさんは、あちらを見、こちらを見、頭を抱えていた。
ついに我慢が出来なくなったのだろう、本物の息子は私を指さして怒鳴った。
「俺が本物だ! お前は何なんだ!」
意見をぶつけ合わせて、本物は出て行ったことを反省し、親孝行のために帰ってきた事が分かった。
私が息子として暮らしていた間はおじいさんにとっても本物の息子にとっても偽物だ。
本物だと思っていたのは――思いたかったのは私だけだった。
このまま私がこの家に居座っても、三人で暮らすことはできるだろうか。そんなこと、きっと出来はしない。
それなら、と私はペコリとおじいさんと本物の息子に頭を下げた。
「実は、私はおじいさんに救けられたきつねです。恩返しにあなたに化けたのですが、本当のあなたが返ってきたならば私はこれで失礼します」
おじいさんの家を飛び出て、私は山に逃げかえった。しばらくしくしくと泣く生活が続いたが、おじいさんの息子に化けるために協力してくれた皆は私を慰めてくれた。
おじいさんを騙すような事をしてしまっては、もうあの家にきつねとして戻ることも出来ない。
それでも、そっと見守ることは続けていた。
何かがあればきっとおじいさんを助けよう。そう思っていたが、おじいさんがこの世を去る最後まで、彼の息子はしっかりと支えていた。その後いつしかパートナーを見つけて、子供が出来た。
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