第111話 冒険を究める信仰
青い海。青い空。
何処までも続きそうで、しかし確かに島や大陸という果てはある。波は流麗な線を描き、風は天から得た予測通りに海を駆ける。
神々の造られたこの世界は、やはり美しい理に則って動いている。
僕は船の上にいた。
船旅も早半月程か。様々な生き物や現象が見える景色は一向に飽きない。
カモミールは思いっ切りはしゃいでいたな。と、懐かしい思い出につい微笑む。
それはきっと、陸地が近いからだ。
この長くも有意義だった船旅は、もうすぐ終わる。常に揺れる環境も朝の冷える潮風すらも名残惜しい。
「そろそろ、今日中に到着するはずだな?」
「ん。そう」
ワコが端的に答える。乏しい表情ながら、早い帰還を待ち望んでいる事が僕には分かる。
舳先に並び、行く先を眺める。
思いを自然と共有。波音を背景とした沈黙が心地良い。
彼女とも長い付き合いで、こうした時間が当然のようになりつつある。
そろそろ、この気持ちも改めて言語化するべきだろう。
と、急に波が勢いよく弾けた。
船が大きく揺れる。体が傾き、転ばないよう耐える事に苦労。
ワコが気持ちぶすっとした顔で振り返った。
「ねえ。ちゃんと海見てる?」
「ああん!? 見てるに決まってんだろうがよ!」
荒っぽく返したのは、陸鮫の頭目。
部下を引き連れて船員として乗り込んでおり、テキパキと船を動かしていた。立派な仕事振りは確かに的確に見え、指摘は本人としては不満だろう。
ただ、竜人と陸鮫は、同じ海に生きる者達だが流儀には大いなる差異がある。度々航海の方針で対立していたのだ。
だから事あるごとに揉めてしまう。僕達で諌めるのもなかなか難しかった。
ワコは本来、一人でも船を操れた。
しかし今回は他の船員がどうしても必要だった。
なんせ片道半月以上、
あの愛と奇跡と理論の証明、神の降臨から三年半。
南北が再び繋がった時からしばらくは、激動の日々だった。
無数の役所仕事、教団の儀式の見直し、政治や商売の折衝、人々の混乱。多くの問題が多くの尽力で落ち着くまで、数年がかり。そして新しい日常も、やはり馴染むまでには苦労が絶えなかった。
それでも皆で祝い、労い、豊かさを楽しむ。苦労以上の充実した幸福があるのは確かな事実だった。
そんな時、僕達が暮らす大陸から見て北西の方角に、別の大陸がある可能性を知った。
諸問題は一応解決済み。となれば、向かうしかないのだ。未知を解き明かすのが僕の信仰である以上は。
ただ、騒動が落ち着いたので多くの人を動員出来るようになっており、事は当初より大規模に。
僕の好奇心だけではなく、国の威信を背負った計画となってしまった。
また激動の日々に逆戻りだったが、愛おしい汗だと受け入れた。
その甲斐あって計画は無事完遂。
縁と交渉は始まったばかり。北西大陸に駐留する者も大勢おり、僕達は一足先の帰還。
だから仲間内で気ままな船旅であった。
気安いからこその問題が、今正に起きているのだが。
「今の波、もっと静かに乗れた」
「そうかよ、随分甘ったれた考えだな!」
「二人とも落ち着いてくれ。この空気で帰るつもりか?」
僕がなんとか説得を試みるも、聞く耳を持ってくれない。片や冷めた目、片や怒り心頭。見た目は違えど態度の固さは共通していた。
航海中、何度も繰り返した光景。
ワコはやはり、海については特別なのだ。強情だとは思っていたが、ここまで頑固に譲らないとは。新たな一面は興味深い、などとそうも言っていられない。
諦めるしかないのかとさえ思う言い争い。
だが更に続いた声には、二人も劇的な反応を見せた。
「その通りです。そろそろ静かにしませんか。力ずくで止めるのは好ましくありません」
「うげ」
「ん……」
アブレイムだ。
穏やかな雰囲気でありながら、細い目は冷酷に貫く。
彼の恐ろしさの前に、争いという悪は存在出来ない。
布教の為に大陸へと同行した彼は、交渉、教育、戦闘、あらゆる面で大活躍だった。
「あちらの方々を見習いましょう。異教にも理解を示した寛容さは尊ぶべき善性です」
「チッ……悪かったよ」
「ん。ごめんなさい」
不承不承引き下がる二人。
ワコは舳先を向き、頭目は仕事に戻る。これで今日はもう大丈夫だろう、と信じたい。
これ幸いと僕は速やかに話題を変える。
「師匠はまだ続けているのか?」
「はい。ギャロル殿と喧々諤々」
研究者と商人。
船室にいるはずの二人もまた、やはり噛み合わない。こちらは一応、白熱はしても討論や交渉の内だったが。
研究。利益。
大陸での活動の方針を巡って議論が尽きないのだ。どちらにも利と理があり、決め手は優先度の違いでしかない。
優秀なだけに、どちらも譲らなかった。
僕としては、支持するのはやはり師匠の方だ。
大陸では、実に興味深い者達が住んでいたから。
「一つ目の種族と、巨人。是非研究に協力してもらいたい。だから彼らの要求は叶えたいのだがな」
彼らは初めから友好的で、争いにはならず歓迎された。こちらからも美術品や技術を渡せば好評だった。交渉は順調そのもの。
そして今以上のものを求めれば対価として、より価値ある物を要求される。報酬は当然だ。
ただ、研究者の好奇心。予算を管理する側からすれば、納得出来ない支出でしかなかった。
しかし、未知は価値ある鉱脈のようなものだ。
まだまだ解明すべき事柄は無数にある。
人間の創造主ならぬ他の神々が創造した存在だろうと、僕は知りたい。
そして未知の解明は、豊かな発展に繋がる。
新たな食、医術、服飾、移動手段、娯楽。新たな知恵は新たな幸福を作る。
進歩は尊い。人の努力と信念の結果である。
人の幸福は神に守られているが、最後には人の働きによって果たされるのだ。
「仕方ない。帰ったら自分で報酬分を稼ぐか」
「いえ、それは止めた方がいいでしょう。今は疲れを労るべき時です」
「ん。しばらくお休み」
「……まあ、その通りだな」
アブレイムとワコに諭され、僕は肩をすくめた。自嘲しつつ計画を一旦胸にしまう。
そう、いかに優れた人間だろうと働き続ける事は出来ない。
休みは重要だ。全知全能たる神であっても必要だったように。
「帰る場所があるというのは、素晴らしい事だな。有り難さが身に沁みる」
「ん」
僕の言葉に、ワコも微笑んだ。一音の同意には確かな感謝の念が感じられ、自然と再会したい顔が思い浮かぶ。
人は幸福の為に、尊い進歩と発展を続けてきた。
しかし現状維持もまた、同じく尊い。
神の理では、物はいずれ朽ち腐り風化していく。人が手をかけて整えねば、形を保つ事は出来ない。
平穏の維持もまた、人の努力と信念によって支えられているのだ。
だからこそ、期待する。
さて、半年の間に、あの故郷はどうなっているだろうか。
手土産は多い。食べ物、服、楽器、物語。どれも待つ彼らを思って選んだ。
喜んでくれるといい。適切な報酬なのだから。
じっと見続けていた水平線に、ようやく小さな点が見えてくる。
僕達の故郷たる大陸だろう。
早く到着しないか、と気が逸る。
と、考えていれば、それが共鳴したように、優しい風が吹いた。
「……気が早いな」
僕は苦笑する。ワコも頷いた。
心地良く、柔らかな空気がほっこりと場を包む。
港に着く遥か前に、あちらも船に気付いて、それどころか先行してきたのだ。
空を飛んでくるのは、一つの影。羽を広げ、耳と尻尾が激しく感情を表現している。
カモミール。僕達の聖女だ。
猛烈な速さで、みるみる大きくなったその顔には、太陽にも勝る満面の笑み。
「ペルクス、ワコさん、皆! すっごく会いたかったよ!」
「ああ。僕も再会を楽しみにしていた」
僕達は優しく手を取り、温かく迎え入れて、幸せを分かち合う。
笑顔で舞い、嬉し涙を散らし、愛に浸る。
ただ一緒にいる。それだけで、こんなにも満たされていた。
平穏と冒険。
人生には両方が欠かせない。二つの繰り返しこそが豊かにする。
愛の証明は、何度しようと美しい。世界に刻んでこそ、堂々と胸を張れる。
困難に知恵と情熱を。
生存に革新と信念を。
祝福された世界で僕達は、それぞれが信じた誇りを背負い生きていくのだ。
ただ、幸せになる為に。
第七章 異端の聖女としあわせのこえ 終
異端の聖女と流刑地ライフ 〜禁忌の研究などしていないのだから胸を張って新天地を謳歌してやろう!〜 完
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
異端の聖女と流刑地ライフ 〜禁忌の研究などしていないのだから胸を張って新天地を謳歌してやろう!〜 右中桂示 @miginaka
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