マラサムカの朝食堂
「……お嬢、あれなんかどうだ?」
「却下よ、サル。あれじゃ満たされないわ。あっちのが良い」
「しかしお嬢、すまないが俺の腕じゃそんな大物は仕留められないぞ?」
「むぅ……そうねぇ……」
お嬢は遥か前方に見えるオオツノイボトナカイとミミタレギツネを何度も見比べ、ようやく未練を断ち切れたのか、「あっちのキツネで」と俺に言った。
「よし、任せろ」
シュ、と矢が風を切る。
心の中で「すまん」と詫びる。何もいたずらにその命をもらおうってんじゃないんだ。
「さ、お嬢。これで朝食にありつけるぞ」
「長かったわ……。私もうお腹ぺこぺこよ」
仕留めたばかりのミミタレギツネを両手で抱え、俺達は自分達の足跡を頼りに店へと戻った。
「はいはい、確かに。これならまぁ、良いのが作れそうだわね」
ミミタレギツネを秤の上に乗せると、白髪の老婆が真っ赤な目を細めてその重さを伝票に書き付け、ニカッと笑った。上の前歯に金歯と銀歯が2本仲良く並んでいる。
俺達がやって来たのは北の島、ビョック=フェルネ島である。
ここでは自分達が食べるものは自分で狩るという決まりがある。もちろん地元のハンターを雇うことも出来るが。
氷の魔女が支配する島、とも呼ばれるこの島は年間平均気温が-30℃で、一応いまは『夏季』らしい。しかも、滅多にない快晴ということで、島民達も久しぶりの太陽のお出ましに浮かれている。
一応お嬢は北北西の魔女なので、寒さには強い。俺も、住んでいた森がどちらかといえば北に位置していたので、ある程度は大丈夫だ。
とはいえ、さすがに-30℃なら引き返したが。
いまの気温は-10℃。めちゃくちゃ暖かい。らしい。
ただ、北国の常として、室内はえらく快適である。薄着でも過ごせるくらいに暖かいのだ。
ほとんどの家は大きな平屋の作りで、トイレや風呂以外に部屋という部屋はない。目隠しになる衝立やカーテンで個々のプライバシーを確保する仕組みなのだとか。
「はい、まずはスープだよ。良いかい、ゆっくり飲むんだ。これで身体の内側をゆっくり温めるんだよ」
「ゆっくりね。オーケー」
「ゆっくりだな。わかった」
テーブルの上に置かれた赤いスープを一匙掬う。湯気は出ていない。
「でもあれね、そんなに熱々じゃないのね。これで温まるのかしら」
女店主の言い付けを守り、スープを一匙一匙ゆっくりと啜った後で、お嬢がポツリと言った。
タタという名の女店主が「そうさ」と言うと、まばらにいた常連客も「そりゃそうだ」と乗っかってくる。
「ここでいきなり熱いもんを食べたら、心臓がびっくりして、寿命が縮まっちまうんだよ、お嬢ちゃん」
タタ婆は
「特にあんたら、観光客だからね。せっかくの旅行で命縮めたらもったいないだろ。ゆっくりゆっくり内側を温めるんだ。そうすりゃ夜には熱々のもんを食えるだろうよ」
「成る程ねぇ。……あ、何だかお腹の中がじんわりしてきた」
「香辛料だな。そんなに辛くなかったのに。ベースの……、この赤いのはペパイスニンジンか。飲んだ後にじわじわと温かくなるのはギュントジンジャー。それから、この風味と塩気はソルティシナモン。刻んだチョンチョロギに、ネカブオニオン、あとは……何かの動物の脂と……骨の出汁……」
「あら、
「いや、すまない」
「しかし、そこまでわかるのに、脂と出汁の方はさっぱりかね」
鼻の頭を真っ赤にした年配の男が油脂酒のカップを片手にやって来る。
「俺は植物専門なんだ。動物の味の方はあまり詳しくない。中央保護区で栽培されている獣植物ならわかるんだが。あれは滅多なことでは食べることなんて出来ないだろうし」
「獣植物ってアレだろ? 地面からにょきにょきって生えてる獅子とか、狒々とか」
「まぁ厳密にはちょっと違うんだが、そんなヤツだ」
「それもわかるのかい。兄ちゃん、偉い学者さんか何か?」
「いや――」
「そうよ、サルメロはね、植物のことなら何でもわかるの」
「そりゃすごい。で、お嬢ちゃんは、その助手さんってわけか」
赤鼻男がそう言うと、お嬢は「何ですって?」と眉をしかめた。
「んなぁーに言ってんのぉっ?! サルメロの方が私の助――手っ!」
「ほぉ」
頬をぷくうと膨らませる。
つん、と突けば、ぱぁん、と破裂してしまいそうな程に膨らんでいる。
しかし、確かにそうなのだ。
お嬢は俺の『主人』ではあるのだが、ただ単に魔女だから立場が上、というわけではない。
お嬢はこう見えて立派な薬師なのである。
植物の知識に関しては俺の方が豊富かもしれないが、それの調合や人体に及ぼす影響などに関しては、俺など彼女の足元にも及ばない。
「ということはお嬢ちゃんの方が学者様なのかね。いやぁ人は見かけによらないもんだわ。はいよ、お次は――」
ゴト、と目の前に置かれたのは、底の浅い鉄鍋である。1人用のものらしくさほど大きくはないものの、置いた時の音からしてかなりの重さのようである。それを片手に一つずつ運べるとは、腰の曲がった老婆の割になかなかの力持ちのようだ。
中に入っているのは魚料理のようだった。
丸々と太った銀色の魚である。
十字に切り込みを入れられており、その身は白い。
その上に、ちょん、と乗せられているのは輪切りにされたシュボレルカボチュという真っ赤な果実である。
果実とはいえ、基本的には生で食べることは出来ない。
渋いのだ、とてつもなく。
しかし、熱を加えるとその渋さがゆるりと和らいで、ピリリと来る辛味とすっきりした酸味が出て来る。
かといって、あまり火を通し過ぎるのも良くない。あっという間に実がぐずぐずになってしまうからだ。中がほんの少し温まるくらいがちょうど良い。
「ほろっ、美味ぁ~。うふふふ~」
「うん、これは美味い!」
「だろう? 今朝釣れたばかりさ」
赤鼻男は得意気である。小さな火鉢の中に入れたカップをカタカタと揺すっている。中の油脂酒が冷めて固まり始めたら、そうやってまた温めて飲むのだ。
「お爺さんが釣ったの?」
そりゃそうだろ、こんなにふんぞり返ってるんだから――と思っていたのだが。
「いや、俺じゃない。あそこの2人だ。ウチの見習いだよ」
と、カウンターの奥の方で仲良く並び、食器を拭いたり、それを片付けている双子のような少年少女を指差した。
タタ婆や、この赤鼻男と同じ、雪原のような美しい白髪に、宝石のような真っ赤な瞳。ビョック=フェルネのみに住んでいるイクスタムという種族である。彼らは必ず男女2人1組で行動する。
つまり――タタ婆のパートナーがこの赤鼻男というわけだ。
「このお魚、あなた達が釣ったの?」
お嬢がそう問い掛けると、少年の方が顔を上げ、こくりと頷いた。
「とっても美味しいわ。ありがとう」
それに対して頭を下げたのは少女である。
2人共、ナニモネナキノコの傘のようなヘアスタイルをしているのだが、少女の方が少々長い。前髪は眉毛のすぐ上できちんと切り揃えられている。本当に双子のようである。髪の色とほぼ大差ないような真っ白い頬にうっすらと赤みが差す。照れているのかもしれない。
「だいぶ温まったかいねぇ。それじゃそろそろメインと行こうかねぇ。あんたらが狩ってきてくれたミミタレギツネのお出ましだよ」
「ぅわお!!!」
もうもうと湯気の上がる大鍋の登場にお嬢が狂喜する。
「悪いねぇ、お客さんだってのに狩って来てもらうなんてさぁ」
「いや、それがここのきまりなんだろう? だったら従うさ。美味い飯を食うためだもんな」
「そぉよぉ~、美味しいもの食べるためなら、ウチのサルちゃんてば頑張っちゃうのよねぇ」
それは違う。
美味しいものを食べるためなら、じゃない。
お嬢に食べさせるためなら、だ。
そこをはき違えてもらっちゃあ困るのだ。
「タタ婆ちゃん、これは?」
「ミミタレギツネのゴンテュエリフ煮込みベンデジュアソースだよ。ニニのベンデジュアソースは絶品さ。まぁ昼までは体温が下がらないだろうねぇ」
タタ婆がヒッヒと笑うと、カップの底に残っていた油脂酒を指で掬いとっていた赤鼻――ニニ爺はそれをぺろりと舐めながら片頬を緩ませた。
「なぁに、俺に作れるのはそれだけさ。ウチはどうにもバランスが悪くていけねぇ」
例えば夫婦なんかは、お互いの足りない部分を補い合ったりするのが良いと言われているらしいのだが、イクスタムという種族はそれの究極の形、というヤツなんだとか。
とにかく彼らは得意・不得意がはっきりしており、役割がきっちりと決められている。
例えば、『料理が出来る/出来ない』、『狩りが出来る/出来ない』や、 『酒が飲める/飲めない』、『歌が上手い/下手』など。
とにかく片方が得意なことは、もう片方には不得意なのだ。ちょっと苦手レベルから、大事故に繋がる危険性があるというレベルまで、その『不得意ぶり』に差があるものの、彼らはその『不得意な』ことは基本的にやらない。相棒が『得意』だからである。
イクスタムとは、この地の言葉でそのまま『双子』という意味だ。
イクスタムの女性は男女の双子しか産まない。かといって、目の前にいるタタ婆とニニ爺が双子なのかというとそんなことはない。パートナーは、10歳くらいまでに自然と見つかるのだそうだ。2人は夫婦なのである。
「んんん!? すごい! この何とかってソース!!! 絶品!」
「お嬢、ベンデジュアソースだ。口の回りが偉いことになってるぞ、ほら拭いて」
やはり香辛料をふんだんに使っているらしいそのソースは、お嬢が言うように絶品である。胃の中がぽかぽかと温まり、それがじわじわと身体全体に広がっていく。
お嬢がなかなか口の回りを拭かないので、仕方なく、顎の方にまで垂れてきているソースだけを軽く拭いてやると、それを見た少年と少女が全く同じタイミングでくすくすと笑い出した。
「ん? どうしたの? 私達、何かおかしい?」
「お嬢、おかしいに決まってるだろ。良い年した女が口を拭いてもらってるんだぞ?」
「ねぇ、ロロ。何だか私達みたいね」
「本当にそうだね、トト」
ロロ、と呼ばれた少年は、ポケットからサッとハンカチを取り出し、トトと呼ばれた少女の額の汗を拭いた。黙っていても室内は温かいのである。多少でも動くと、特に代謝の良い若者などは軽く汗ばむ。
「成る程、確かに俺達みたいだ」
「そうかしら」
お嬢は何だか不満気である。恐らく、そこまで俺に頼りっぱなしではない、と言いたいのだろう。しかし、彼らは頼っているわけではない。補っているのだ。
「はいはい、これで最後だよ。デザートだ」
そう言って出されたのは――、
「えぇっ!? アイス!?」
「良いのか? せっかく身体が温まったっていうのに!」
そりゃ温かいものを食べた後は冷たいものが食べたくなる。それはそうなんだけど。
おまけに室内はガンガンに温められているのだ。だったらやっぱり冷たいものが食べたくなる。だけれども。
この地で身体の内側を冷やすのはご法度だったはずだが。
「だぁっはっはっは!」
もう何杯めかわからない油脂酒のおかわりを手にしたニニ爺が大きな口を開けて笑う。右の奥に金歯と銀歯が仲良く並んでいるのが見えた。
「タタの作るアイスをそんじょそこらのアイスだと思わねぇ方が良いな! 良いから食ってみろ」
その言葉を信じて、スプーンで一匙掬ってみる。少々ねっとりとしている。けれど、口元に近付ければひやりとした冷気がふわりと唇をくすぐるのだ。
本当に大丈夫だろうか、と思いながら口に運ぶ。俺よりも数秒早く一口めを口に含んでいたお嬢は目をまんまるくして「んふぅ――――っ!?」と鼻から息を吐いている。
お嬢のその興奮ぶりに一瞬反応が出遅れてしまったが。
「ん? んんんん――――――!!??」
冷たいのは口に入れたその瞬間だけ。
それが溶けるとまるで口の中で沸騰するかのように熱を発するのだ。沸騰は言い過ぎだろうって? そりゃ確かに火傷するほどじゃない。けれど、舌の上でぐつぐつと沸き立つのである。こればかりは食べたヤツじゃないとわからないだろうな。
「分厚い氷の下に生えるハーブを使ってるのさ。おぉっと、作り方は秘密だよ。このハゥゼッティンアイスクリームを作れるのはビョック=フェルネ広しといえども、このタタ婆さんだけなんだからね」
タタ婆は俺としっかり視線を合わせてそう言った。
たぶん、俺が植物のことなら何でも知ってるなんて言ってしまったから、警戒しているのだろう。
案ずるな。
どうやら俺は、料理の方に関してはからっきしらしいってわかってるからさ。
【マラサムカの朝食堂】
ぺパイスニンジンのスープ
ミラルバマクロのソテー、シュボレルカボチュ風味
ミミタレギツネのゴンテュエリフ煮込みベンデジュアソース
ハゥゼッティンアイスクリーム
大食い魔女の異世界グルメ~オリヴィエの異世界旅行記より~ 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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