タラージウニ・マルシェのミゥカッチェ屋台

「ほぉ~お、あんちゃん、筋が良いねぇ」

「まぁな」


 髭面の親父がそんなことを言いながら、俺の前を通りすぎて行く。

 隣に座っているお嬢はというと――、頬をパンパンに膨らませ、唇をこれでもかというくらいに尖らせてブーたれていた。


「……何でよぅ」


 その尖らせた唇からぶつぶつと不満の声を漏らしながら、お嬢は筆をちょいちょいと動かしている。


「お嬢、あんまり力を入れるな。それから、あまりいじりすぎるのも良くない」

「うぅ……、わかってるもん……」


 たぶん、頭ではわかっているのだろう。

 けれども、わかっていれば上手く出来るというものでもない。

 さっきから何度も何度も「何で」と「サルはずるい」を繰り返しているのだが、こればかりは、どうしようもないのだ。


「ていうかさぁ、いまこんなに頑張ってても、すぐには食べられないんでしょ?」

「そうだな。昼食用だからな」

「私はね、いますぐ食べたいんですけど」

「知ってる」

「じゃあ何で!」

「お嬢の忍耐力を養ってる」

「うぐっ……!」

「嘘だよ」


 お嬢は、声を詰まらせ、何やらごにょごにょと口を動かしつつ、作業に戻った。


「……本当の本当の本当に美味しいんでしょうね」

「それは保証する」

「本当の本当の本当ね」

「大丈夫だ」

「本当にお昼には間に合うのよね?」

「もちろん」

「これ終わったら、すぐに朝食よね?」

「そうだな。あともう少しで焼き上がるみたいだからな。それまでの辛抱だ」

「うぅ~~…………! すっ……ごく良い匂いするぅ!!!」

「たまらんな、まったく」


 本日は、『タラージウニ・マルシェ』に来ている。

 ここは別に観光客が大挙するマルシェというわけではないのだが、やはり、それを見込んでの屋台というのもあるにはある。にもかかわらず、お嬢の目を引いたのは、観光客向けに見た目ばかりごてごてに飾り立てた可愛らしいケーキや菓子の類ではなかった。


 この地域の貸し民族衣装に身を包み、キャッキャとはしゃぎながらアイスをスポンジケーキで包んで揚げた『ポン=ポンニ』という菓子に群がる若い女達をスルーして、


「サルメロ、絶対あれだわ!」


 と指を差したのは、この、ミゥカッチェ屋台である。


 ミゥカッチェというのは、まぁ、平たく言えばパンの一種で、一般的なのは、20㎝四方に薄く伸ばしてパリッと焼き上げたものだ。そしてその上にソースやら具材やらを自由にトッピングして、表面を軽く炙ったり、クリーム系は一度凍らせてそれを溶かしながら食べたりする。

 生地に薄く塩味がついているものや、刻んだ香草を練り込んでいるものは主に食事用の『フー=ミゥカッチェ』となり、砂糖やらハチミツやらを混ぜると菓子の『スー=ミゥカッチェ』になる。この地域では分厚いスポンジケーキというのは専ら観光客向けで、地元民はほぼ食べない。


 何かしらの祝い事の締め括りに登場するのは、人が一人寝転べるくらいの大きさの『スー=ミゥカッチェ』で、地元民は、なぜか常に携帯しているのだというそれ用のナイフで一口サイズに切り取りながら食べる。ちなみに、持ち帰るのはみっともない行為とされているらしく、それがどんなに大きくとも、通行人にまで声をかけ、何がなんでも食べきるのだとか。


 で、だ。


 俺達がいま何をやっているかというと。


 ウキウキでミゥカッチェを買いに来たは良いものの、タイミング悪くちょうどすべて売り切れてしまっていたのである。

 少し待てばをご馳走するという店主の言葉にまんまと乗せられたお嬢は、サービスで淹れてもらった『ゴゴゴコッチカフェ』で腹の虫を黙らせながら、せっかくだし、と、この待ち時間で『バラフローレンチーズの仕上げ体験』に挑戦しているというわけだ。


 『バラフローレンチーズ』というのはここ、ドドコンガトンガ国ラサナタ自治区発祥の特産品である。


 プレーンのフローレンチーズに『バラ』というカビを植え付けて作るこのチーズは、かなり強烈な臭いがする。しかも、水分量が少なくパサパサしているので、塊をそのまま食べるのには向いていない。なので、スープに混ぜたり、すりおろしたものをサラダに振りかけたりするのだ。そうすることで目に沁みるほどのその臭いが和らぎ、ほど良いアクセントとなるのである。まぁ、俺とお嬢はそのままでも美味いと思っているのだが。


 さて、この『バラフローレンチーズ』だが、他のカビチーズと比べて、案外簡単に作ることが出来る。専用の筆を使い、カビの胞子をプレーンのチーズにそっと乗せて広げる、それだけだ。それだけなのだが、その乗せ方やら広げ方にももちろんコツはある。早く定着させようと力を入れれば良いというわけでもないし、やみくもにぐいぐいと広げれば良いというわけでもない。


 点でふわりと乗せ、それをゆっくり丸く丸く広げていく。この『ゆっくり』『丸く』というのが重要なのだ。定着するのも増殖するのも、このカビ自身にさせなければならないからだ。俺達はあくまでもそれを手助けするにすぎない。あまり出しゃばればカビ達は途端にやる気をなくし、枯れてしまうのである。


「でもさー、定着させて3時間で食べられるって、早すぎない?」


 やっと力加減を掴んで来たらしいお嬢が、俺をちらりと見る。


「それに関してはらしいぞ?」

「何で私よ」

「だって、この地区の伝承でさ……」


 そう、この『バラフローレンチーズ』の『バラ』というのはラサナタ古語で『口付け』、『フローレン』は『魔法使いのお嬢さん』、つまりは魔女を意味する。その名の通り、キスマークのような真っ赤なカビが生えたチーズなのだ。


 何でも、その昔、このフローレンチーズの味に惚れ込んだ魔女があまりの美味しさに口付けをしたところ、その魔女が唇を付けた場所に真っ赤なカビが生えたのだと。そしてこの驚異的な熟成スピードはその魔女の魔力によるものなのだとか。


「そんっ……なわけ、あるか――――――っ!」

「お嬢、力を抜け。チーズが貫通する」

「そんな魔力、こっちがほしいわ!」

「お嬢、落ち着け」

「何よぅ。どうせあれでしょ、南南東の魔女でしょ。あいつら、魔力半端ないんだから!」

「まぁまぁお嬢。妬むな妬むな」

「べっ……別に羨ましくなんかないもん!」

 

 そう言いながらもお嬢の唇はどんどん尖っていく。あぁもうほら、そんなに力を入れるなって。端っこのカビがもう枯れ始めてるぞ。


「良いじゃないか。俺はそれで助かってるんだから」

「何がよぅ」

「北北西の魔女まで魔力が強かったら、一体誰が俺達を必要としてくれるんだよ。あいつら、『俺達』がいなくたって空も飛べるんだし」

「それは……そうだけど……」

「それに、魔女云々は関係ない。ただ単にこのカビはそういう性質を持ってる。それだけだ。どうだ、出来たか?」


 作業の手を止めてお嬢の手元を見る。だいぶこねくり回してしまっているそのチーズは、しっかり握りすぎたのだろう、お嬢の指の跡がはっきりと残ってしまっている。乗せたカビは根を張り始めているものの、やはりところどころ枯れてしまっており、とてもじゃないがキスマークのようには見えなかった。


「まぁ……出来たような出来てないような……」

「うん、まぁ、大丈夫だろ。これくらいならどうにかなる。貸せ、俺が直してやるから」


 これくらい、樹人みきじんである俺には正にである。やったことがあろうがなかろうが、根を張るものを扱うことに関して、俺達樹人の右に出るものなんていないのだ。


「いやぁ、待たせてすまなかったなお客さん達」


 そんなことを言いながら、さっきの髭親父が戻ってくる。大きなトレイの上に乗せられているのは、これから食べる『ミゥカッチェ』に乗せる具材らしい。肝心のミゥカッチェの登場はこの後なのだろう。


「『フー』と『スー』、どっちにする?」

「どっちもよ!」


 かなり限界らしいお嬢が叫ぶ。


「私、これっくらいの大きさのやつ、3枚ずつはいただくから!」


 そう言って両手で大きな円を作る。


「お嬢、それはデカすぎじゃないか?」

「デカくなんかないもん。こんっっっなに薄いんだから。そうでしょ?」

「そうとも、お嬢さん。ウチのはこの薄さが自慢なんだ。うんと薄くてパリパリ。これが病み付きになるわけよ」

「あんまり病み付きにされるのは困るな」

「なってやる! 病み付きになってやる! うがぁ!」

「お嬢、どうどう」 

 

 とりあえず体裁だけは整えたバラフローレンチーズを熟成用の袋に入れ、口を留めると、お嬢は、着々と準備されていくテーブルへと移動した。


「あっ! 本当に3枚ずつある! ちょっと、おい、店主!」

「まぁまぁ気にすんな兄ちゃん。これは俺からのサービスだから。こんな別嬪さん待たせちまったんだ、これくらいさせてくれよ」

「そういうことじゃない! お嬢の腹が破裂する!」

「だぁいじょうぶよ、サルメロちゃん。胃袋って結構伸びるんだから」

「お嬢も! そういうことじゃない! これ以上伸ばすな!」

「良いじゃない。だって、なかなか食べられないのよ? そうよね、おっちゃん?」

「そうとも。ミゥカッチェはラサナタここでしか食えないんだ。それに、ミゥカッチェならウチが一番さ。ここだけの話、観光客向けの屋台だとな、使ってる麦の粉だって古麦を使ってるんだ。色々混ぜて誤魔化してるがな」

「そうなのか?」

「そうさ。地元民が食えば一発でわかるぜ。あんなのミゥカッチェじゃねぇ。だから、ここで腹一杯食ってくれ。にな」

「成る程、そういうことなら」


 確かにここでたらふく食わせておけば、少なくとも昼までは持つだろう。


 そんな浅はかなことを考え、俺もまた席に着く。

 お嬢は俺のお許しが出たので、最早何の遠慮もいらないと殊更に上機嫌である。


 まずはフーの方からいただくことにする。

 店主の説明を聞きながら、まずはソースを満遍なく塗り、その上に、トレイの上の鉢から香草を直接むしって乗せる。お次は小さく切ったナンタララトマトとチチョビチョビという小魚のオイル漬けだ。その上にプレーンのフローレンチーズを軽く削り、バーナーで炙る。フローレンチーズはプレーンの方が魚には合うらしい。

 その他にも、ワザザズッキーニの輪切りと唐辛子に漬け込んだヤケドダコを乗せ、スパイシーなハバゴロキアソースをかけたものや、

 地元民でも賛否が分かれるという、『モチチ』なるライスをすり潰したものとボウソウダラの魚卵、それからやっぱり削りフローレンチーズを使ったもの。ちなみにお嬢はこれが一番好きだと言っていた。

 

 俺も食べたとはいえ、お嬢の腹にはかなりの量が収まったはずなのだが、ソースで汚れた口を丁寧にナプキンで拭きとると、彼女は涼しい顔をして「次はスーね!」と声を上げた。やっぱり食うのか、と気付かれないように小さくため息をつく。

 ま、まぁ、確かに薄かったし、なぁ。


 フーの方が何だかんだかなりのヴォリュームだったのと、店主もまさかお嬢の方がメインで食べると思わなかったらしく、スーの方はやや控えめに――とバレると厄介なのでなトッピングにしてくれた。こういうのは言い方が重要なのである。「シンプルな方が生地の美味さが引き立つ」だとか「具をてんこ盛りにするスーは、婚礼の時だけだ」とか、かなり苦しい理由を並べながら。


 まずはシンプルにシュゲイハチミツとマルゴエウシのミルクで作ったアイスクリームを乗せたものに、ドレソンバナールの輪切りとピュアホイップクリーム、そしてジェットブラックショコラソースをかけたもの、最後はあっさりとアカシリモモとアオシリモモのスライスにルルポップヨーグルトをかけたものである。

 

 それらを満面の笑みでどんどんと食していくお嬢を見て、さすがの店主も言葉を失ったようだ。「え?」と言ったっきり、固まってしまっている。

 だって、店主が言ったんだからな、持ち帰るのは駄目だって。

 そんなことを言ったら、全部食うに決まってるんだ、この魔女は。


 まぁさすがにここまで食ったんだ。昼まで持つだろ。

 腹ごなしにマルシェをゆっくりぶらつきながら、このチーズを使って何か作ってくれるところを探すとしようか。


 そんなことを考えていると、すっかり満足したらしいお嬢が腹をさすりながら何やら神妙そうな顔付きで身を乗り出して来る。


「……ねぇ、サルちゃん?」

「何だ? さすがに腹一杯で動けないんだろ? だから俺は――」

「ううん? 全然そんなことないのよ?」

「へ?」

「ねぇ、やっぱりあの『ポン=ポンニ』も気になると思わない?」

「……思わないかな、俺は」


 俺はやっぱりお嬢を――いや、お嬢の腹を甘く見ていたようだ。




【タラージウニ・マルシェ】

 ゴゴゴコッチカフェ

 フー=ミウカッチェ3種

  ①チチョビチョビのチーズミゥカッチェ

  ②ワザザズッキーニとヤケドダコの激辛ミゥカッチェ

  ③モチチと魚卵のチーズミゥカッチェ

 スー=ミウカッチェ3種

  ①ハチミツとアイスのミゥカッチェ

  ②ドレソンバナールとホイップ&ショコラのミゥカッチェ

  ③2種のシリモモとヨーグルトのミゥカッチェ

 

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