映画館のむすめ 👗

上月くるを

映画館のむすめ 👗



 冬のあいだ芯に堅い紅を秘めていた枝がゆるみ、青空に清楚な花弁が震えている。

 五分咲きといったところか……満開よりこのぐらいの咲き加減がアンナは好きだ。


 西の山脈は稜線に雪を残し、それより低い東山の頂きには鉄塔が2本立っている。

 山と山の狭間に広い平野を展開する高原都市に、今年も無事に春が訪れてくれた。


 そんな当たり前の事実に、アンナは感懐を覚えずにいられない。

 「みんな夢雪割草が咲いたのね 三橋鷹女」の句が胸をよぎる。


 人生は一編の小説、一幕の芝居、一本の映画。

 ここまで夢中で生きて来た事も夢幻のごとく。



       ****



 交錯する街道効果で古くから文化の発達した宿場町の映画館にアンナは生まれた。

 職人気質の父親は客入りに関係なく玄人好みの映画を上映し、名画座と呼ばれた。


 母親が病気がちだったので、ひとり娘のアンナは、父の働く映写室で育てられた。

 しぜんに時代劇の殺陣たてを真似るようになり、金髪の人形を洋画の女優に見立てた。


      *


 地元の短大を卒業すると、父の特訓を受けて名画座を受け継いだ。

 鑑賞眼を買われ、ローカル紙に顔写真入りで映画案内のコラムの連載を始めると、美人コラムニストとしてもてはやされ、講演会の講師などに引っ張りだこになった。


 やがて、社会構造の変化によって映画業界は急速に斜陽化し、マイナーな客ばかり相手にしている名画座の経営はよりいっそう苦しくなったが、アンナは踏ん張った。


 大手配給元からこぼれた発展途上国の名画の蒐集に磨きをかけ、回数券付き会員制を組織し、紹介者には無料招待などの特典を設け、手書きの月報を発行する……etc.


 考えつく限りの経営努力をしたが、時代の波という怪物には抗うべくもなかった。

 閉業するとき、最愛の妻を亡くした父親が認知症を患っていたことが救いだった。



      ****



 先夜のテレビ時代劇、グループホームにお世話になっている父さんなら「なんだ、あの大根役者のへっぴり腰はっ! 気合を入れろ、気合をっ!」と怒鳴るだろうな。


 昨今の腰の据わらないタレントに刀を持たせると、無様すぎて目も当てられない。

 ならば観なければいいのに、やっぱり観てしまうのは昔取った杵柄というやつ?


 その点、今朝の連ドラの時代劇の殺陣は、久しぶりに、文句なしに格好よかった。

 斬られ役専門のベテラン大部屋役者と、その俳優に私淑する若手役者の立ち合い。


 名悪役のオーラを漂わせる大先輩に若手役者が必死に繰り出した二刀流の構えは、往時、日本文化の華を誇った時代劇がいまも生きていることを如実に物語っていた。



      ****



 銀幕の女優を見慣れた父がベタ惚れしたというだけあって、母親は山本富士子並みだったし、当の父も萬屋 錦之介並みだったから一粒種のアンナは推して知るべし。


 自分で言うのもなんだが、中学に入ると学校中の男子生徒はもちろん教師たちまで美少女のアンナに熱狂し、高校や短大ではうっかり外も歩けないほどだった。(笑)


 なのに、一度として恋をしなかったのは、やはり銀幕のスター連中のせいだろう。

 あるいは、一般の女性の何倍、何十倍もの恋をして来たと言えなくもないが……。



      ****



 そんなアンナが生まれて初めて、銀幕ではないリアルな男性に恋をした。

 それもシニアと呼ばれる歳になっての、語るも恥ずかしい初恋……。💓


 ホテル清掃の仕事で知り合った男性は、ひと口で言うと蛸入道みたいな人だった。

 目は細い、眉は薄い、団子鼻は空を向いている、おまけにツルツルに剥げている。


 風船みたいな頭にアジアンテイストの派手なバンダナを巻いて汗止めにしている。

 そんな格好でアルバイトスタッフの責任者として、四六時中、動きまわっていた。


 人の好さが丸見えすぎて、なんだかこちらの心がキタナイような気がしてしまう。

 腫れぼったそうな一重まぶたの奥の眸に、真剣に見つめられたとき、トキメイタ。


      🐡


 なんだか、あったかいなあ。

 湯たんぽみたいな人だなあ。


      🐠


 そう素直に思える自分がもの珍しかった。

 ひょっとして、わたし、恋をしているの?



      ****



 市営音楽堂の三角屋根のティンカーベルが、スイス風の音色で正午を告げ始めた。

 杉林の向こうからひょっこり飛び出した丸い人影が、お道化て手を合わせている。


      🐙


 ごめん、また遅れちゃったね~。

 そう言っていそうな蛸入道くん。


 んもう、いつもこうなんだから。

 なんでわたしが待たなきゃなの?


      🦑



 父ゆずりのせっかちで「約束の30分前に現場到着」が身についているアンナは、自分でも気づかないうちにベンチから立ち上がり、愛しい蛸入道に駆け寄ってゆく。



 映画スターもいいけど、リアルな男性とのお付き合いはもっとずっと愉しい……。

 歳のわりに初心なアンナの恋の二刀流は、いま始まったばかりみたいです。🪲🐞

 


 

 


 

 


 



 


 

 

 






 

 


 



 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

映画館のむすめ 👗 上月くるを @kurutan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ