時にはパンツの上にズボンを履いて
「本当にお騒がせして申し訳ありませんでした」
今日は何度この台詞を言ったか、もう覚えていない。今回のことは痴情のもつれ、とう言うことでお咎めなしになったけれど、事情を説明する間、彼の身分証を求められるのではないかと気が気ではなかった。むしろそれを懸念して「ケンカして私が締め出したんです」と事実を捏造。生温かい目で「今後は気をつけて下さい。パンツで外に出さないように」と言われたときの敗北感が胸を抉った。後から考えれば彼実はアスリートなんです、という言い訳が通用した……いや、無理かただのパンツにしか見えない。
私が玄関から戻ると、オズワルド様は居間のテレビの前で尻尾を丸めた大型犬よろしく小さくなっていた。
「オズワルド様、もう皆終わりましたから、顔を上げて下さい」
「……マイ」
彼は今、夫の形見のズボンを履いていた。さすがに警察の前で下衣一枚で事情聴取は許されない、と感じて私が履かせたのだ。けれど彼の脚が隠れていることには違和感しかなかった。白フリル
「君の世界がこんなに恐ろしいところだとは思わなかった……」
「……すみません。あの、やっぱりこちらでは
そう
「常識が異なる世界で過ごすのが、これほどまでに辛いとは。肩身が狭いとは。マイ、君には私の国では本当に辛い思いをさせたんだろう。分かったつもりでいたが……本当にすまなかった」
オズワルド様はよほど晒し者にされたのが
「私はもういいんです。それよりオズワルド様はどうやってここに?」
オズワルド様は俯いたまま目を瞬かせ、蛍光灯に翳るオリーブ色を私に向けた。
「湖に飛び込んだ。君にまた会えると信じて」
「飛び込んだ……そんな危ないこと」けれど私の胸にはじわりと嬉しさで満たされ、知らず目尻が濡れた。彼はいつかのように私の両手を握り、「君がいなくなって約三年、私は気が狂いそうだった」と私の手を戴いて額ずいた。
私との仲違いの後、彼は私が街に帰ったと思い他の島の
「俺はあの若者と逃げたのだと、ひとりで誤解した。よく調べもせずに君の不貞を信じた」
その誤解が解けたのは、女将さんがオズワルド様を訪ねたからだと言う。
「女将さんが?」
「……君が俺に縫った
そうだったと、私はオズワルド様から懇願された下衣を縫っていたことを思い出した。それがプロポーズに応えることになると分かっていて、彼のために用意をしていたことを。まずはお祭り二日目の儀式に間に合うように、と赤狭衣を夜なべして縫っていた。もしかして今着けているのは、と彼に問うと「そうだ」と目を赤く染める。スラックスに隠れて見えない赤狭衣――一針ひと針戸惑いと彼への想いを込めたそれはどうやらサイズもぴったりだったようだ。「君に一目、身に着けたところを見せたいと何度思ったか」と彼は涙を浮かべた。
それでオズワルド様は遂にマウロを呼び事情を聞いたところ、やっと駆け落ちではなかったこと、全ては誤解だったことを知ったという。この時点でお祭りから既にひと月経っていたそうだ。
「俺は君の縫った狭衣を見たとき、自分の矮小さを知った。君の言葉を何一つ信じず、ただ嫉妬に狂って君を失ったと絶望した。そのときから目の前が真っ暗になって、何も私の心を動かす物はなくなった」
「夜はひとり泣き喚いたよ」と、彼は呟いた。そうして私の大々的な捜索が始まったけれど見つかるはずもなく。小さな島だ、捜索は隣島や隣国にまで伸びたという。
けれど、ただ二年半が過ぎた。さすがのオズワルド様も遂に捜索を打ち切ろうとした矢先、新たな情報が入った。長の娘さんが私を湖に突き落としたことを告白したそうだ。
私は顔を上げない彼の髪に白い物が混じっているのに気づいた。それに少し痩せたようだった。蛍光灯の光の下では眉の間に何本も筋が入り彼はとても老いて見えた。本当に約三年の歳月が経っているのだ、と初めて実感した。
「そして半年掛かってようやくトップオブパンツを引退し、君に会いに来られた」と、彼は私から手を離し両手で顔を覆った。
「君じゃなく彼女を信じた俺が馬鹿だったのだ……本当に許して欲しい」
くぐもった声の何度目かの謝罪に私は目を潤ませた。私にとっては三日、けれど彼は三年も私のことを忘れないでいてくれた。そのことが嬉しくて頬は火照った。愛おしさで息苦しいほどだった。その熱っぽさのまま、私はオズワルド様の大きな体を包むように抱きしめた。彼も腕を伸ばし私を膝の間に引き寄せ抱いた。胸に顔を埋める彼から、彼の匂いがした。彼の国の海や風の匂いがした。白髪の見える髪の毛に頬を擦って目を瞑ると、目蓋に青空や街並みや乾いた大地が見えた。
「オズワルド様、会いたかったです」
「俺もだ……もう会えないかと思った」
「えぇ私もです。一緒に帰りたいです、貴方の国へ」
彼は最後、夫の仏壇に見よう見真似で手も合わせてくれた。
「君の夫君……あぁまだ私とは結婚してないから夫君と呼ぶぞ。夫君の墓は何処か、挨拶をしたい」
さすがにお墓まで連れて行く訳には行かず、私は彼に写真を見せ「これが
――家を処分すると決めてから、私は夫の写真を話し相手にパンツの国でのことを振り返っていた。皆がパンツ姿のこと、オズワルド様のこと、彼と婚約して彼を愛してしまったことも。
「シロイ、私はマイを心から愛している。どうか、彼女を私の国へ連れて行くことを許してくれ」
オズワルド様は座布団に膝立ちになり、写真に向かって頭を下げた。私も隣に正座して同じように頭を下げた。そしてゆっくりと顔を上げ、三年前から変わらない夫の微笑みを見詰めた。
あぁ、花もすぐ枯れてしまうから処分して行かなければ。この家も、もう帰ってこないから。もうここには……。
そう思った途端、私は予期せぬ哀しみに彼の写真を手に取った。夫をここにひとりで置いては行けない。それはできない。
「オズワルド様……私、この仏壇の物だけはあちらに持って行ってもいいでしょうか」やはり嫌がられるだろうか、彼は悪質に嫉妬深い。けれど「もちろんだ、持っていくといい」と彼は柔らかく目を細めた。優しいテノールだった。「是非、夫君にも私の世界を見せてやりたい」と私に微笑んだ。
オズワルド様は、泣き出しそうな私の髪を撫で立ち上がると、夫の写真に高らかに宣言した。
「私はマイを幸せにすると約束する。彼女が縫ってくれた
このパンツの国に帰って来たときのことは思い出すのも
帰りは彼の赤
結果、家の庭はこの国の湖と繋がっていることが判明した。行き来可能な法則も発見してしまった。けれど今は家を売却完了したのであちらに帰ることはもうない。ただオズワルド様は深夜を待つ間に観た相撲中継が忘れられず、何度も私に戻ることをせびった。その煩わしいほどの懇願に私は一度だけ折れた。
最後に日本に戻った日は残念ながら千秋楽に当たらず「赤の真衣の
オズワルド様はトップオブパンツを引退したものの、戻ったと知れてすぐ、ご意見番としてまだ政に関わることになった。私もまた、役場で働かせてもらえることになった。そうして私達は小さな邸に移り住み、彼はズボンを履いたり私は短いスカートを履いてみたりする。小さな庭に赤い花を植えて水を遣り穏やかに過ごす。とても、幸せだ。
あぁそうだ、私が企画した祭りは大成功だったそうで、今では全ての島々でスモーは人気のスポーツになっていると言う。時折、ケイコだ! と若者たちが白い
最後に、私の旦那様は『初代
これで私が縫うべき
(了)
パンツの国〜下衣文化の異なるイケオジに溺愛されて目のやり場に困ってます〜 micco @micco-s
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