第5話 いざ大決戦に臨まん

「わたくしも戦場に赴きます」


 アリーチェがそう言い出したので、城は大騒ぎになった。


「聖女であらせられるアリーチェ殿を、万が一にも危険に晒すことはできかねる! 後方に待機していただいても、弓矢が飛んで参るやもしれませぬ! 思わぬところから伏兵が攻め込んで来るやもしれませぬ!」


 ウベルトは必死になって言った。しかしアリーチェは首を振る。


「わたくしのための戦ですのに、どうしてわたくしだけが離れた場所で安穏としていられましょうか。それに、わたくし自らが出向いた方が、兵士たちの士気も上がることでしょう」


「兵士たちを思いやるそのお志はご立派にございます。しかしアリーチェ様……」


 ネストレも困惑したような顔であった。


「肝心のアリーチェ様が討ち取られてしまわれては大事にございます。城にはシルヴェストリ家とラヴィナーレ家の騎士団員を多少残していきますから、危険なことはございません。ここでみなの無事を祈願していてはいただけませんか。それだけで私どもは十分でございます」


 エラルドはアリーチェを見、それからリベリオとパルミロに目をやった。


「アリーチェ、それは本当にアリーチェのやりたいことなのか? 戦場に行くことが、アリーチェの夢のためには必要なことなのか?」

 リベリオはアリーチェの目を見て確認した。

「ここで……城で、俺たちと待っていたら……アリーチェの夢は、叶わない、のか……?」

 パルミロもアリーチェをじっと見つめた。


「はい」

 アリーチェは断言した。

「わたくしは戦場に行き、勝利のために貢献したいのです!」


 リベリオとパルミロとエラルドは、いっとき、目を見合わせた。


「そっか」

「そうか……」

「そうですか!」


 三人は覚悟を決めた。


「サロモネ・ラヴィナーレ殿。そして、兄上、ネストレ。済まないが、アリーチェ殿の要求を、聞き入れては頂けまいか!」

「お前まで何を言い出すのだ、エラルドよ!」

「お気持ちは分かります、兄上。私とて断腸の思いです。しかし私は、アリーチェ殿のお望みを応援し、なおかつ御身をお守りすると、心に、いえ神に誓っております」

「しかし、エラルド」

「兄上。アリーチェ殿の仰ることは、恐らく神の啓示です。誤りであろうはずがありません!」


 ウベルトは目を見張った。


「それは、お前が常々感じていたという使命感と同じものか、エラルド?」

「恐らくは。しかもアリーチェ殿のそれは、私のよりも遥かに確かなものなのです!」

「そうか。そうか……。ううむ」


 ウベルトは唸った。ネストレは心配そうにウベルトを見ている。


「分かりました、アリーチェさん」


 サロモネはゆっくりと重々しく言った。


「今はアリーチェさんと神のお力を信じましょう。しかしアリーチェさんには、弓矢の届かぬ安全な後方に待機していただきます。周囲をお守りするためにも、城に残す兵を多めに割きましょう。そして、戦場でもしも敗走するような事態になった場合には、真っ先に逃げていただきます。それでよろしいですね?」


 優しげな声であるのにも関わらず、その響きには有無を言わせぬ何かがこもっていた。それでもアリーチェは気圧されることなく頷いた。


「分かりました。お心遣い、感謝します」

「やれやれ、大変な事態になりましたねえ。これで一層、気が抜けなくなりました」


 サロモネは言った。


「アリーチェさんの安全のためにも、是が非でも勝利しなければ。みなさん、覚悟はよろしいですか?」


 エラルドたちはそれぞれに頷いた。


 そして、出陣の日がやってきた。

 アリーチェたちは馬を使い、十数日かけて中央教会を目指して移動し、途中にある荒野で中央教会軍と鉢合わせた。


 両軍、距離を取ったまま、まだ戦闘が始まる様子はない。


「いよいよだな。リベリオ殿、パルミロ殿、アリーチェ殿を頼んだぞ」


 エラルドはシルヴェストリ軍の一員として、アリーチェとは離れた前線の近くに配置につくことになっていた。


「言われるまでもねえや」

「……当たり前だ……」


 二人はやる気十分の様子だった。


 そこへ、身元の知れない数人の男たちが、足音高く近づいて来た。リベリオとパルミロは早くも殺気立った。


「待たれよ、二人とも。この男、何か話があるようだ」


 エラルドはなだめた。


 男たちはラヴィナーレ軍の護衛と話をつけると、こちらまで歩み寄って来た。そして元気いっぱいに挨拶をした。


「初めまして! 俺は義勇軍を率いる大将、ドメニコだ! よろしく頼むぜ!」


 赤みがかかった金髪の彼は、立ち並ぶエラルドたちの視線にも一切怯むことなく、胸を張って立っていた。いかにも貧しい家の出らしく、背が低くひょろりとしたなで肩だったが、その態度からはあふれんばかりの自信が感じられた。


「ここいらに住む奴らの中から、義勇軍をたくさん引き連れて来たぜ! 今もまだまだどんどん増えてるところだ! 俺はアリーチェ様がいるって聞いたから、ご挨拶に来たんだぜ!」


「これはこれは、頼もしいですねえ」


 下々の人々を味方につけるという狙いが的中したサロモネは、にこにこ笑って彼を自陣へ迎え入れた。


「アリーチェさんなら、そちらにいらっしゃいますよ」


 アリーチェはリベリオとパルミロの肩を優しく叩いて、自ら前に進み出た。


「こんにちは、ドメニコさん、お仲間のみなさん。わたくしがアリーチェ・ベルティーニです。わたくしたちのために命を張ってくださること、感謝します」


 そう言って一礼した。


「わたくしは戦いでは無力ですが、あなたがたが勝利を掴み取れるよう、ここで神にお祈りしています」

「アリーチェ様! 本物のアリーチェ様だ!」

 ドメニコたちは感動したように目を輝かせた。

「俺たち、アリーチェ様のために、全力で戦うぜ!」

「ありがたいことです。よろしくお願いします」

「もちろん、頑張るぜ! アリーチェ様、万歳!」


 万歳、と他の男たちも叫んだ。勇気凛々になった模様で、意気揚々と最前線へと戻っていく。


「では、アリーチェ殿。私たちもそろそろ配置につきに参ります。御身のご無事を祈願しております!」

「エラルドたちこそ、無事でありますよう。お気をつけて」

「お気遣い、感謝します! では!」


 エラルド、ウベルト、ネストレは、改革派が陣を組んでいる戦場へと馬を乗り出した。

 そしてすっかり驚いてしまった。


 義勇軍の数が尋常ではない。これは千を超えているのではなかろうか。中には鍬やら鎌やらを構えた貧相ななりの農民も散見されるが、数の上ではこちらが圧倒的に有利だ。


 エラルドたちは勝利への確信を強め、配置についた。


 そして、開戦の法螺貝が鳴った。


 両軍、進軍を開始する。

 エラルドの周囲はあっという間に乱戦にもつれこみ、エラルドも馬上から剣を振るう事態となった。


「はあっ!」


 あわや敵と刺し違えるというところを、さっと体を捻って避けたエラルドは、しかし確実に相手を仕留めた。


「危ないぞ、弟よ!」


 ウベルトが横からエラルドを狙っていた三名ほどの騎士を、力強く斬り飛ばした。


「ありがとうございます、兄上!」

「わはは! 気を抜くでないぞ!」

「お二人とも、お気をつけて。敵はこちらに戦力を集中させておりますゆえ」


 ネストレは流麗な動きで前に飛び出ると、二人の周りの敵を一掃する。


「さあ、ごみどもは一網打尽にして差し上げましょう!」


 その時、ウオーッと地響きのような声が左手から上がった。

 大量の義勇軍の一段が、捨て身の勢いで敵に突撃していく。

 その先頭に立って、一人で多数の敵を倒して道を切り開いているのは、どうやらあの義勇軍の大将、ドメニコだ。


「びびるなよ! がんがん進むぜ! アリーチェ様のために!」


 彼の声はこちらまで届いた。なかなかの勇壮ぶりに加え、信じられぬほどの強さだ。あの程度の装備と体格で、並み居る騎士たちを相手に、いとも容易く前進し続けている。その体捌きには目を見張るものがある。

 彼に勇気付けられた一般人たちが、「アリーチェ様のために!」と口々に叫んで、これまた猛烈な勢いで殺到していく。

 まさかの、庶民が騎士を圧倒する事態。こちらも負けてはいられない。


 エラルドは彼らに倣って「うおー!」と腹から声を出すと、ばったばったと敵を薙ぎ倒した。ウベルトもネストレもそれに続く。敵は徐々に押されて、後退し始めた。


 しかし、その時だった。

 エラルドの頭に、稲妻のように浮かんだものがある。

 アリーチェが危ないという予感。……いや、確信。天啓だ。


 エラルドは驚いて身を引いた。


「危ないぞ!」

「エラルド様!」


 ウベルトとネストレが補助に入る。お陰でエラルドは攻撃を免れた。


「何をしている、エラルド!」

「いかがなさいましたか!」

「二人とも、すまない」


 エラルドは手綱を引いた。


「ここは任せた。アリーチェ殿が危ない。私はつとめを果たしに行く!」


 そう言い置いて一目散に後方に向かう。


「エラルド様! お待ちを!」

「よい、ネストレ。あれの勘を信用してやろう。我々はここを死守するのだ!」


 エラルドがアリーチェのもとに辿り着くと、ちょうどアリーチェが立ち上がってサロモネに何か話しているところだった。


「ああエラルド、ちょうどいいところに来てくれました」


 アリーチェは必死の面持ちだった。


「敵は北西に数十名からなる部隊を用意しています。直接ここを狙うつもりのようです!」


 サロモネは困ったようにエラルドを見た。


「アリーチェ殿がこう言って聞かないのです。念のためみなには装備を整えさせ、北西を警戒させていますが……。これは本当なのですか? エラルドさん」

「本当です!」


 エラルドは断言した。リベリオとパルミロも力強く頷く。


「リベリオ、パルミロ! 今すぐアリーチェをあっちの方角へ逃すんだ! 他の者は本格的に襲撃に備えよ!」


 その瞬間、丘の向こうから、本当に敵の一団が駆けてきた。


「おやおや」


 サロモネは言って、剣を持って馬に跨った。


「本当に聖女の予言が的中するとは。では僕の出番ですかねえ。腕が鳴ります」

「お供いたします、サロモネ殿!」

「ええ、共に戦いましょう」


 まず、弓矢が飛んできた。リベリオとパルミロが反射的に、アリーチェに向かってきた矢を剣で叩き落とす。エラルドはその素早さと正確さに思わず感嘆した。

 次いで騎兵の突撃だ。サロモネが前に出た。


「今は多少は歳を取りましたが、以前は戦場に出れば恐れられたものです」


 おっとりとした口調からは考えられぬほどの凄まじい闘気を放ち、先陣切って駆け出した。


「ああっ、サロモネ殿、お待ちを!」


 ラヴィナーレの騎士たちとエラルドはその後を追う。

 サロモネは剣を抜いたかと思うと、向かって来た敵の勢いを利用して、流れるように一気に五人を片付けた。エラルドには一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 だが、びっくりしている暇はない。すかさずエラルドはサロモネの周囲の敵に斬りかかった。


「……さすがはサロモネ殿。熟練の技と狡猾さをお持ちでいらっしゃる!」

「いいえ、それほどでもありませんよ……っと」


 サロモネは剣を振るい続ける。

 加えてラヴィナーレの騎士たちが襲い掛かった。

 奇襲を前提に組まれた敵の軍団は、準備を万端に整えたこちらの攻撃によって、たちまち壊滅状態に陥った。


「おやおや。もう少し手応えがあると、やりがいがあったのですが……」


 サロモネは疲れた様子もなく、にこにこと笑っている。

 エラルドはそんなサロモネにさっと一礼すると、一目散にアリーチェの逃げた方角へ向かった。


「ご無事ですか、アリーチェ殿!」

「心配は無用です」


 アリーチェは初めて戦場に出たとは思えぬほど、しっかりと己を保っていた。


「あなたがたが守ってくださるという確信がありましたから」

「良かったです! 本当に良かった!」


 それから急いで主戦場の方をかえりみた。自分が抜けてしまって、ウベルトたちは大丈夫だろうか。

 だがその心配は杞憂に終わった。


「ご覧ください! 我らが軍と義勇軍の働きにより、中央教会軍が潰走を始めました!!」


 エラルドの報告を聞いたアリーチェは、その光景を見ると、束の間、祈るように目を瞑った。


「それでは」


 噛み締めるように言う。


「わたくしたちはこのまま進軍し、中央教会に入りましょう」

「……! では、ついに真正面から乗り込むのですね!?」

「はい。今こそ、あの憎むべき穢らわしい悪魔どもに、聖なる裁きを下す時です」


 アリーチェの言う通りになった。

 サロモネはこのまま進軍することを決定し、改革派軍は教皇領に入った。

 多くの町で、改革派軍は歓待をもって受け入れられた。


 そして、アリーチェ含む改革派軍は、更に数を膨れ上がらせた義勇軍をわんさと連れて、ついに中央教会に踏み入った。


 アリーチェの馬を先頭に、リベリオ、パルミロが両側を、エラルドが真後ろをついて歩く。続いてサロモネ、ウベルト、ネストレたち、そして義勇軍の代表としてドメニコも特別に同行することになった。


 歓声が上がる中、アリーチェたちの一団が、中央教会を闊歩する。義勇軍の人々は、煌びやかな建物を占拠して回る。

 教皇や大司祭などのお偉い人々は、すでに恐れをなして逃亡していた。今頃どこぞの田舎に落ち延びていることだろう。


 さて、そんな中アリーチェは、ある決意を固めたようだった。


「エラルド」


 アリーチェは、凱旋の行進の最中で、こう言った。


「わたくしは、聖女としての立場を受け入れます。わたくしが成したことは正しいことだと、神の御前で自信を持って奏上できるように。そしてこれからは、わたくしがこの国の宗教を改革し、主導してまいります!」


 エラルドは息を飲んだ。それから満面の笑みで言った。


「よくぞご決断なされた、アリーチェ殿!」


 隣を歩くリベリオとパルミロが、うるさそうにこちらを振り返る。


「このエラルド、これからもアリーチェ殿を聖女として敬い、お守りしてゆく所存です!」


「頼りにしています。エラルド。リベリオも、パルミロも。……みなさんも」


 そう微笑んだアリーチェの顔は、どこまでも優しく、まさしく聖女に相応しい表情をしていた。

 やがてアリーチェは中央広場の真ん中に辿り着いた。彼女は民衆の前に一歩出て、最初にこう宣言した。


「さあ、宗教改革の始まりです!」

 



 おわり

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聖女と始める宗教改革! 白里りこ @Tomaten

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