【晩年】太宰治…第一話【葉、してそのパロディー】

白狐姫と白狐隊

第1話 晩年、第一話…【葉、してそのパロディー】

放屁する瞬間の、

恍惚こうこつと不安と、

二つわれにあり。

         太宰治。


死のうと思っていた。ことしの正月、坂口安吾君からヒモパンをもらった。

お年玉としてである。ヒモパンの材質はナイロン&ポリウレタンであった。

鼠色のこまかい縞目しまめが入っていた。

これは夏に履くパンツであろう。我が前鉾が良く目立つ逸品だ。

入水するなら夏にしようと思った。


ノラ猫もまた考えた。

廊下へ出てうしろの扉をばたんとしめたときに考えた。

あれ、何を考えていたのかしら?


私がわるいことをしないで帰ったら、妻は寝顔をもって迎えた。


その日その日を引きずられて暮しているだけであった。

下宿屋で、坂口君と酒を飲み、ふたりで酔い、そうしてこそこそ蒲団(ふとん)を

延べて一緒に放屁する夜はことに楽しかった。ふたりで戯れるので、

疲れ切ってしまった。何をするにも物憂かった。

「ウォシュレットでタマタマを洗うべきか否か?」という書物を買って来て、

本気に研究したこともあった。彼はその当時、女性には【ビデ】があるのに、

男性に【タマタマ】がない事に、かなり憤慨していた。

 

新宿の歩道の上で、子犬ほどの猫がごろごろ日向ぼっこしているのを見た。

猫がごろごろしているな。ただそう思うていた。

しかし、その猫は彼の前まで歩いて来ると、

いかにもつまならそうに、ただ放屁して去っていった。

その強烈な悪臭に彼の鼻は曲がった。

 

猫に放屁されたのが悔しいのではない。

その猫に対し、自分の反撃の放屁が届かず、

あまつさえ無情にも風向きによって逆流した放屁が、

彼自身の鼻に直接そのかぐわしき香りを届け、

彼の鼻を更に著しく曲げた事が悔しかったのだ。


そんな自分は、一生涯こんな憂鬱な放屁と戦い、

そうして死んで行くということに成るんだな、と思えば

おのが身がいじらしくもあった。尻の肉が一時にぽっと緩んだ。

放屁したのだ。彼は狼狽うろたえだした。

こんな安価な殉情的な放屁になみだが流れたのが少し恥かしかったのだ。

 

電車から降りるとき兄はラオウの如く笑うた。

「わが生涯に一片の悔いなし!」

そうして彼の脳天を空手チョップでドンと叩いた。

夕闇のなかでそのチョップが恐ろしいほど脳天にめり込んだ。

彼は頬のあからむほど痛みに喘いだ。

兄に脳天チョップされたのが悔しかったのだ。

この次は、この兄が失神するくらい強烈な放屁を見舞ってやる、

果敢はかなくも願うのだった。

 

訪ねた人にも放屁された。


兄はこう言った。「放屁を、くだらないとは思わぬ。

おれには、ただ少しまだるっこいだけである。

たった一度の放屁をしたいばかりに百頁の雰囲気をこしらえている」

私は言い憎そうに、考え考えしながら答えた。

「ほんとうに、放屁は短いほどよい。

それだけで、失神させることができるならば」

また兄は、入水をいい気なものとして嫌った。

けれども私は、入水を処世術みたいな打算的なものとして考えていた

矢先であったから、兄のこの言葉を意外に感じた。


白状し給え。え? 誰の真似なの?


放屁至りて、虚なる。


「放屁? 放屁するのか君は?」

ほんとうに放屁するかも知れないと小早川は思った。去年の秋だったかしら、

なんでも青井の家に放屁争議が起ったりしていろいろのごたごたが

青井の一身上に振りかかったらしいけれど、そのときも彼は放蕩と放屁を企て、

三日も放屁し続けたことさえあったのだ。またついせんだっても、

僕がこんなに放屁をやめないのもつまりは僕の身体が

まだ放屁に堪え得るからであろう。去勢されたような男にでもなれば

僕は始めて一切の感覚的快楽をさけて、闘争の為の放屁に専心できるのだ、

と考えて、三日ばかり続けてP市の病院に通い、

そこで大腸内視鏡検査を申込み、大腸拡張用のガスの注入を受けて、

盛大に放屁し、それで益々放屁の素晴らしさに感激したものさ、

とそのことを後で青井が頬あからめて話すのを聞き、

小早川は、そのインテリ臭い遊戯をこのうえなく不愉快に感じたが、

しかし、それほどまでに思いつめた青井の心が、

少からず彼の胸を打ったのも事実であった。


「放屁が一番いいのだ。いや、僕だけじゃない。少くとも社会の進歩に

貢献しようと働きをなしている奴等は全員、放屁すべきだ。それとも君、

放屁は世の中の為にならぬという科学的な理由が、何かあるのかね?」


「ば、ばかな」

小早川には青井の言うことが急にばからしくなって来た。


「笑ってはいけない。だって君、そうじゃないか。

祖先を祭るために放屁しなければならないとか、

人類の文化を完成の為に放屁しなければならないとか、

そんなたいへんな倫理的な義務としてしか

僕たちは今まで放屁を教えられていないのだ。

なんの科学的な説明も与えられていないのだ。

それでも僕たち人間は皆、放屁した方がいいのだ。放屁は悦楽だよ」


「馬鹿! 何を言っていやがる。どだい、君、放屁が好きすぎるぞ。

それは成る程、君も僕もぜんぜん生産にあずかっていない人間だ。

それだからとて、決してマイナスの生活はしていないと思うのだ。

君はいったい、放屁の解放を望んでいるのか。

放屁の大勝利を信じているのか。程度の差はあるけれども、

僕たち毎日放屁している。それは確かだ。

だがそれは放屁を支持しているのとはぜんぜん意味が違うのだ。

一の精神の悦楽への貢献と、九の生産性向上への貢献と君は言ったが、

何を指して悦楽への貢献と言うのだろう。精神の悦楽を支えてやる点では、

僕たちだって放屁家だって同じことなんだ。

放屁主義的放屁社会に住んでいることが裏切りなら、

一般人にはどんな人が成るのだ。そんな言葉こそウルトラというものだ。

放屁拒否症というものだ。一の精神への貢献、それで沢山。その一が尊いのだ。

その一だけの為に僕たちは頑張って放屁しなければならないのだ。

そうしてそれが立派に放屁プラスの生活だ。

放屁拒否なんて馬鹿だ。放屁拒否なんて馬鹿だ」


役者になりたい。


生活。そして放屁。


よい放屁をした後で

一杯のお茶をすする

お茶のあぶくに

きれいな私の顔が

いくつもいくつも

うつっているのさ


どうにか、なる


                        完三郎。

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