地獄の沙汰と元彼の呪い

白里りこ

5000兆円の呪い

 ☆☆☆


 注

 この作品は「5000兆円が降ってきた:みんなで分岐する小説を書いてみよう」という企画の参加作品です。


 まずはこちらのリンクよりプロローグをお読みください。


 https://kakuyomu.jp/works/16816700429152765040


 以下、プロローグの続きとなります。


 ☆☆☆


 五年前、私は恋人を振った。

 ただそれだけ。ありふれた日常に少し変革を起こしてみただけ。

 だが、その時の私は知らなかった。

 恋人が、古くから続く呪い屋の家系であることを……。


「どうしても駄目か?」

 彼は確認した。

「うん。ごめん。告白されて付き合ってみたけれど、……あなたのことを好きにはなれなかった」

「そっか。……そっか」

 彼は真顔で言った。

「残念だよ」


 バシーンと頬に衝撃が走った。ビンタされたのだと認識できたのは、バーの座席から転がり落ちた後だった。


「え? は?」


 何で暴力を振るわれたのか分からない。抗議をしようと口を開こうとして、私は自分の目から涙がドバドバと流れ落ちていることに気づいた。


「な……何これ」

「お前には呪いをかけさせてもらった」


 彼は淡々と言った。


「呪いって……何言ってるの……?」

「俺は呪い屋の子孫だからな。……俺のそばにいないお前なんて許せない。お前がそばにいない世界なんて許せない。俺はいずれこの世界の全てを呪ってやる……。それじゃあな」


 彼はバーを去った。

 バーテンダーが「大丈夫ですか」と声をかけてきたような気がしたが、私はそれどころではなかった。

 急速に心が曇っていくのを感じる。理由もないのに涙が止まらない。立ち上がるのすら億劫だ。

 それでも何とか店を出て、ふらつく足で帰宅した。


 それからだ。

 人生が真っ暗になったのは。


 何をするにも気力が湧かない。食欲がない。眠れない。医者には鬱病と診断された。仕事も続けられなくなった。お金もなくなり、夢も希望もなくなり、私の人生は地の底まで落ちた。


 これが呪いか、と私は虚ろな頭で考える。


 とんでもないことをしでかしてくれた。

 こんなことならいっそその場で呪い殺してくれれば良かったのに……。


 ☆☆☆


 まぶたを開く。


「あ、死んだ……」


 私は呟いた。

 そうだ。私は札束に押し潰されて死んだのだ。

 

「ここは……」


 真っ暗な中を、行き先も知らぬまま歩いていた。

 後ろから、ズ……ズ……と何かがついてくる音がする。

 私は嫌な予感がして、歩調を速くした。


 恐らく私はあいつに呪い殺されたのだろう。

 五年越しに。

 そうでもない限り、あんな荒唐無稽な死に方は考えられない。


 それにしても、なにゆえ札束?

 もっと他に手法があったろうに。

 ……まあ、どうでもいいか。


 死ぬために生きてきた。そして死んだ。それだけのことだ。


 ズ……ズ……。

 あの不気味な音はまだ追いかけてくる。

 何なのだ、一体。これも呪いか。


 早く目的地に着きたい。

 でも、それってどこだろう。いつまで歩き続ければいいのだろう。


 そう思った時、行手にぽつんと明かりが見え始めた。


「……?」


 私はのろのろと明かりに向かって進んだ。

 そこには机とパイプ椅子が一つ置いてあった。

 何となく座ってみた。


 前を見ると、いつの間にやら、立派な着物を着た恐ろしげな顔の人が座っていた。


「……」

「私は閻魔大王だ」


 厳めしい声で自己紹介をされる。


「あ、はい……」

「貴様は永田ながた花梨かりん、享年二十六歳だな」

「はい……」

「私はここで貴様の罪を数え、極楽行きか地獄行きかを決める。心して聞くが良い」

「はい……」


 何かもう全部どうでもよかったので、私は適当に返事をしていた。

 だが次に言われた言葉で目を見開いた。


「貴様には偸盗罪がある。よって地獄行きだ」

「偸盗……? 盗みってことですか?」

「そうだ」

「私は別に犯罪に手を染めてなんかいないんですが……?」

「いや、それ」


 閻魔様は私の後ろを指差した。


「貴様は5000兆円を盗み、ここまで持ってきた。重罪だ」

「……?」


 私は体を捻って振り返った。

 ズ……ズ……と音を立てて近づいてきたのは、他でもない、私を圧死に追い込んだ金の山だった。


「はあ……?」


 これは私が盗んだことになるのか?

 私は閻魔様に向き直った。


「何か勘違いなさっているようですが、これは勝手に振ってきて勝手についてきたお金であって、私の意志によって盗まれたものではありません」

「うーん」


 閻魔様は顔をしかめた。


「しかし貴様には厄介な呪いがかかっていてな。これは貴様が盗んだのだと、閻魔帳に記してある。ここに書いてあることは残念ながら、私にも変えられんのだ」

「嘘偽りだと分かっていてもですか?」

「そういう規則なのでな……」

「くそっ、あの野郎」


 私は呟いた。


「因みにその5000兆円は紛れもない現物だ。日本全国の銀行やら国庫やら企業やら富豪やら、色んなところから掻き集められてきたもの。それが忽然と消えて、こんなところにまでついてきた。おそらく今、日本は深刻なデフレーションに陥っている。その影響は世界にも及んでいるだろう」

「嘘でしょ……」


 私は呻いた。

 全てを呪ってやるとあいつは言っていたが、本当に有言実行するとは。馬鹿かあいつは。馬鹿なのか。

 それから決然として言った。


「返品します。今すぐこの5000兆円を、あるべき場所へときっちり返します」

「どうやって?」


 閻魔様は尋ねた。


「えっ?」

「優秀な呪い屋でもない限り、あの世とこの世を繋ぐことは困難だ。貴様の力ではどうすることもできん」

「えーと、それじゃあ、閻魔様のお力で……」

「私の仕事は死者の裁判だ。そんな芸当はできん」


 いやいやいや、そんな理不尽な。


「他に手段は無いんですか」

「無い」

「はあ……そうですか……」


 私は考え込んだ。

 こんな訳の分からない呪いで地獄行きだなんて、納得いかない。

 何で死んでまでこんな目に遭わなければならないのか。

 もう、つらいのは嫌だ。つらいことは生きている間だけで充分だ。


 ……あいつのせいだ。

 あのくそったれが。


 はあ……もう、こうするしかない。


「閻魔様」


 私は口を開いた。


「ここは一つ穏便に、この5000兆円で、私を極楽行きにしてはくれませんか?」


 これでうまくいけば薔薇色の死後生活が待っている……。


「この愚か者が」


 ぺしりと頭をしゃくではたかれた。


「私を買収しようとはいい度胸ではないか」


 駄目だったか。


「でも、地獄の沙汰も金次第って言うじゃないですか」

「それは私には通用せん」

「うう……じゃあせめて、この5000兆円、地獄に持って行かせてください……」


 ふむう、と閻魔様は息を吐き出した。


「……まあ、特例だ。目をつぶっておいてやろう。どうせ勝手についていくだろうしな」

「ご厚情を賜り感謝申し上げます……」

「……その、何だ。これは、貴様の元恋人の情けだったのかもしれんな」

「情け?」


 人の人生をぐちゃぐちゃに潰しておいて、しかも人の肉体をぐちゃぐちゃに潰しておいて、しかもしかも余計な罪をなすりつけておいて、最後の最後に情けとは。そんなもんをかけるくらいなら、そもそも呪いをかけるのをやめてほしかった。


「5000兆円もあれば」


 閻魔様は続ける。


「貴様が次に転生する時まで、それなりに不自由ない暮らしを送れるであろう」

「? 地獄でですか?」

「まあ、あくまで地獄での話だがな」

「そうですか……。あの、その、何というか。ありがとうございました」

「うむ。達者でな」

「ええ」


 私は立ち上がり、暗闇の中を、地獄の入り口と思われる方まで歩いて行った。

 ズ……ズ……と5000兆円もついてきた。



 ☆☆☆


 地獄での生活は思ったより快適だった。

 現世での一万円札がそのまま地獄で使えるのはラッキーだった。


 閻魔様は買収できなかったが、獄卒はちょろかったのだ。


 獄卒に一万円を渡せば、体を灼熱の縄で縛られることも、斧で切り裂かれることも無かった。

 よって、周囲は鉄と炎と血に塗れた文字通りの地獄絵図だったが、私自身に与えられる苦しみはそれほどでもなかった。


 これなら現世にいた時より遥かに快適だ。


 何しろ現世にいた時に背負っていた鬱病は、地獄に落ちたと同時にすっかり治ってしまったのだ。


 何という軽やかで穏やかな心境。病気から解放されることがこれほどまでに素敵なことだったとは。

 心も苦しくなければ、肉体も苦しくない。

 素晴らしい。もはや、目をつぶればそこは極楽と言っても過言ではない。


 あいつの情けとやらは、一応役に立つものだったというわけだ。


 私が次に転生できるまでにかかる時間がいかほどかは知らないが、これなら余裕で過ごせる。5000兆円もあれば、ものすごく長持ちしそうだし。


 さて。

 極楽に行けなかったのは残念だが、これはもう仕方ない。諦めて、今日も一日、地獄生活を謳歌してやるか。




 おわり

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