奈良編
第10話 今はなき......フジケイ堂もちいどの店
近鉄奈良駅から地上に出て、観光客などでにぎわう
ここを初めて訪れたときは、「もちいどの」ではなく「もいちどの」と読み違えた。もう一度という意味で、「もいちどの」かと思ったのだ。ちょっと洒落た名前かと。のちに「もちいどの」と知り変な名前だなと思ったが、調べると餅飯殿という町名だと知った。
こんな間違いは私だけかと思っていたのだが、最近入手した『全国古本屋地図 ’94改訂新版』の奈良県奈良市の項には、「もいちど商店街を経て~」なんて書かれているので、よくある読み間違いなのかもしれない。
そんなもちいどの商店街をしばらく進む。東向商店街に比べると、こぢんまりとしたお店が多い。感じの良い昔ながらの喫茶店があって、ランチメニューに心惹かれる。左手にリサイクル用品が並ぶお店が見える。そのすぐ手前、人がひとり通れるくらいの入り口にはシャッターが下ろされ、閉店を知らせる紙が貼られている。フジケイ堂もちいどの店。2022年2月20日をもって閉店しましたと。
残念ながらフジケイ堂は今年の2月に閉店となった。もちいどの店以外に、近鉄奈良駅近くの小西通り商店街にも店舗があったが、そちらも同時に閉店した。思えば天理駅前の商店街のお店も、昨年閉店していた。本を取り巻く環境もかわっており、これも仕方がないことか。
シャッターの前にたたずみ、思う。この古書店には、印象に残っていることがある。手書きの似顔絵だ。作家ごとにまとめて積んである文庫本の上には、その作家の似顔絵がつけられていた。それ以外にも棚のいたるところに、作家の似顔絵が貼られていたのである。教科書でよく知っている顔から、エンタメ作家まで。リアルに描かれたものもあれば、特徴をうまくとらえた簡略的なものもあった。小西通りや天理のお店にはなかったので、もちいどの店独自の取り組みだったのだろう。今にして思えば、写真を撮らさせてもらっておけばと後悔している。
そんな特徴的なお店は、リサイクルショップの上、2階にあった。入り口は階段なのである。階段の左側には全集ものが積まれ、右側の壁には映画のパンフレットや古い写真・絵葉書などが丁寧にビニールに入れられ貼られていた。なぜかVAN Jacketのロゴがはいった、手提げではないパン屋さんで使ってるような小さめの、紙袋がひとつ売られていた。アイビールックが流行した当時のものなのだろうか。確か500円だった。
私が高校生の頃、DCブランドがもてはやされた時期、その頃VANはもう過去のものだった。でも、あのロゴのデザインが好きで、トレーナーを2着ほど持っていた。そういえばトレーナーという服の呼び名も、VAN Jacketの創業者石津謙介が考案したって聞いたな。そんなことを思い出しながら、いつも階段をあがる度に気になっていた。閉店前にあの紙袋は売れたのだろうか。
もちろん、こちらのお店でも本は購入している。残念ながらライトノベルの扱いはなかったので、ほとんどがSF関連の古本だ。小松左京の短編集が100円200円で売られていたり、清水義範のハルキ文庫から出た宇宙史シリーズがあったりと良い買い物をさせてもらった。購入した本の中で、印象深い本がある。ハヤカワ文庫JAから出版された、冲方丁『マルドゥック・スクランブル』全3巻。現在は完全版が出版されているが、手に入れたのは古いバージョン。
この「マルドゥック・スクランブル」は2003年の日本SF大賞受賞作。ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』を意識した、というよりも翻訳家黒丸尚が作り出したルビを多用する文章にならった、サイバーパンク小説といえばよいか。アニメ映画化もされている、SF作家冲方丁を代表する作品である。
フジケイ堂で「マルドゥック・スクランブル」全3巻が売られているのを見たとき、冲方丁作品で持っていたのは、電撃文庫版『蒼穹のファフナー』、スニーカー文庫とファンタジア文庫から出版された「シュピーゲル」シリーズのみ。「マルドゥック」シリーズは、ブックオフなんかでもよく見かけていたが、なんとなく買う気になれなかった。作家としては相性が悪いというか、失礼ながらどうしても読みたい作家ではないというか。でも、SF大賞受賞作だし、見かける度には気にはなっていた。本好きになら、こういうのはわかってもらえるだろう。いつも買うには至らないけど、見かける度に買うか買うまいか判断に迷う、気になる作品・作家って。
フジケイ堂で並んでいるのを見た時も、買うつもりはなかったのだけど、とりあえずシリーズ1巻目である『マルドゥック・スクランブル―The First Compression 圧縮』を手にとってみた。現在の完全版はトールサイズ、旧版はまだ背が低い頃のもの。トールサイズは本棚に並べた時に、高さが揃わないので嫌いだ。ハヤカワ文庫と徳間デュアル文庫が憎い。買うとしたら旧版だよなと思いつつ、手に取ってみる。カバーイラストは寺田克也だ。大友克洋に通ずるタッチの、わりと好きな作家。アクリル絵具を使っているのであろうか、コッテリした色乗りというか、厚塗りというか、が良い。
表紙をめくると、なんと著者のサインが銀色のマジック(ペイントマーカーだろうか)で書かれているではないか! サイン本だぁと、ちょっと興奮。ブックオフなどで棚に並ぶ古本にも、著者のサインが入っていることは稀にある。宛名が入っていると、贈られた人が手放してしまったのかと、少し悲しい気持ちになるが、この本のサインは著者名だけ。奥付を見ると初版本ではなく、2006年の11刷とある。どういうキッカケでサインを入れてもらったのだろう。サイン会に持ち込んだのか、偶然出会って書いてもらったのか。色々なシチュエーションを想像する。
サイン入りなら少し高いのかもと値段を見ると、税込み220円。今までなんとなく買う気が起こらなかったのだが、このサインが後押しとなって、買うことにした。サインの入っている第1巻だけでなく、ここは全3巻まとめ買いだ!
シャッターの前にたたずみ、お店との思い出にしばらく浸ったあと、次の古書店に向かった。
DATA
フジケイ堂もちいどの店
〒630-8222 奈良県奈良市餅飯殿町 23-2
営業時間:2022年2月20日をもって閉店
※登場する書籍や値段は、私が訪れた時の記憶に基づいています。在庫や値段は古書店なので変化している場合がありますので、ご注意ください。
ラノベハンター ~52歳オヤジのフィールド・ノートより~ けたじぃ @keta_g
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