第9話 活気のある古書店 槇尾古書店

 大阪御堂筋にある地下鉄本町駅から堺筋本町駅あたりまでの、阪神高速の高架下にはせんびる(船場センタービル)と呼ばれる巨大問屋街がある。この建物群は、1号館から10号館まであり、繊維製品、靴、時計、宝石などを扱う店舗約1,000店がひしめき合っている。


 1~3号館には、ブランド品や輸入品を扱う舶来マート。4~9号館は繊維の卸問屋を中心に、服や靴・鞄、雑貨などの小売店もたくさんある。問屋街といっても、近年は小売をする店も多いようだ。そして、それらのビルの地下1~2階には飲食店がたくさんある。この辺はさすが大阪といったところ。そもそもの立地が人通りの多い街であり、このせんびるを昼食や昼休みの時間に利用する人も多いようだ。平日なのにいつも人で賑わっている。


 そのせんびる3号館、駅でいうと地下鉄堺筋本町駅の近く、その1階に槇尾古書店はある。せんびる全体の中でいうと、ちょっと外れにあるのだが、それでも人通りは、普通の町の古書店がある、ちょっとさびれた商店街の比ではないだろう。


 この古書店の特徴は、4・5日ごとに入れ替えられる店頭ワゴンだろう。通常、古書店というと、それほど本の入れ替えはないので、毎週通ったところでそれほど変化はない。しかし、槇尾古書店は違うのである。4・5日ごとに、文庫・新書であったり、単行本であったり、CDやカセットであったりと、どんどん入れ替わっていく。週1で通ったとしても、毎回目新しいものがあるということだ。残念ながら、私は毎週訪れることは出来ないが、月1回くらいは訪れるようにしている。


 今回訪れたのは、twitterで120円均一の文庫本に、ワゴンの入れ替えがおこなわれたことを知ったタイミング。3号館の北通路に堺筋側から入る。しばらく進むと3号館の端、すぐそこに出口があるところにお店はある。通路を挟んで左右にお店は展開していて、左右にあわせて10台くらいのワゴンが見える。


 左側に文庫本をメインとしたワゴンが7台、右側に単行本・CDのワゴンあわせて3台。どれも幅120cmくらいはありそうな立派なワゴンに、たくさんの本がぎっしりとつまっている。左側に並ぶ7台のワゴンのうち、120円均一のワゴンは5台あった。それ以外はもう少し値段の高い文庫本が並んでいる。単行本やCDは目的外なので、左側のワゴンを見ていくことにする。


 ざっと見たところ、ライトノベルは無さそう。これは仕方がない。ライト文芸ならぽつりぽつりと並んでいるように見える。とりあえず端から見ていく。1台のワゴンには文庫本が4段(4行というか、4列というか)に並んでいて、奥の方には隙間を埋めるように、横向きに本が詰め込まれている。


 左端の上から順番にタイトルを眺めていく。わりと新しいものから、そこそこ古いものまで、文芸作品からエンタメ作品と様々なものが並ぶ。その物量に圧倒されながら見ていくのだが、なかなかアンテナに引っかかる作品はない。もちろん120円均一で並んでいるということは、それなりに売れた作品・よく聞く作家の作品なので、これは仕方のないところだろう。


 2台目のワゴン、横向きに詰め込まれたように並んでいる本に目がとまった。少し色あせた赤い背表紙の角川文庫作品が3冊、かたまって並べられている。白抜き文字で「定吉七は丁稚の番号」「ロッポンギから愛をこめて」「角のロワイヤル」とある。東郷隆の定吉七番セブンシリーズだ。”お宝発見”である。速攻、ワゴンからその3冊を取る。


『定吉セブンは丁稚の番号』の表紙には、和装に大阪繊維組合の文字が入る前掛けをしていた男の姿が、ちょっと頼りない感じの絵で書かれている。さらにその腰には大福帳をつけ、手には包丁を持っている。丁稚?


 ウィキペディアによると、”定吉七番こと安井友和は、大阪商工会議所秘密会所所属の殺し屋兼情報部員、「殺人許可証を持つ丁稚」である。彼は元締である千成屋宗右衛門に呼び出され、唐桟の仕着せに前垂れかけて、愛用の包丁「富士見西行」を懐にして、関西経済界の破壊を目論む悪の結社との戦いに挑む”とのことだ。


 本のタイトルとウィキペディアの内容からわかるように、この小説はスパイ小説・映画、007シリーズのパロディである。今風の言い方でいうと、かなり大阪をディスったようなアクションコメディであるのだが。書かれたのは1980年代、中頃から後半にかけて。角川文庫で5巻まで出版されたが、その後絶版。後に講談社文庫から復刊されたり、新作が発表されたりもしたが、こちらも絶版。現在は電子書籍として販売されている。


 私がこのシリーズを知ったのは、1988年に家庭用ゲーム機である、PCエンジン向けに販売されたアドベンチャーゲームとしてである。当時、「県立地球防衛軍」や「陸軍中野予備校」で人気のあった漫画家、安永航一郎をキャラクターデザインに採用したゲームは、そのおちゃらけた内容と安永キャラがハマっていてずいぶんと楽しめた記憶がある。その勢いで文庫本を手にしたが、安永キャラじゃないイラストにがっかりし、また吉本新喜劇でしか使われないようなコテコテの大阪弁に辟易し、1巻を読んだのみでシリーズすべてを読むことはなかった。


 時が経ち、ラノベの源流という言葉を意識しだした時に、ふと定吉七番シリーズが頭に浮かんだ。ライトノベルではないけれど、80年代のエンタメ小説、ゲーム化されたことにより10代にもアピールした作品。そういえばそんなのもあったよなと。ネットで調べてみると、それなりに高い値段で取引されていて、びっくりもしたのだが。そんな作品にいっきに3冊、出会えたわけである。


 ちなみに角川文庫版定吉七番シリーズの表紙イラストであるが、1~3巻は漫画家の泉晴紀が描いている。4巻は怪獣の絵で有名なイラストレーター開田裕治、5巻は安永航一郎である。ネットで見てみると、やはり安永航一郎が描く定吉がしっくりとくる。安永航一郎イラストで、もう一度復刊されないかと思ったりもする。


 それにしてもよくよく考えてみると、ここは繊維問屋の集まるビル。大阪繊維組合の前掛けをつけていたり、作中では「船場センタービルのレジに駆り出されることも」あるらしいので、ここでの出会いにも意味があるのかもしれない。まとめて3冊、買いである。


 さて、ひと通りワゴンを見たのだが、定吉七番シリーズ以外にこれといったものはなく。今度は店内棚に目を移すことに。文庫本のワゴンがあったほうの店内には、エンタメ小説や漫画・絵本などが並ぶ。そのなかに注目する棚がある。高さ150cm幅90cmくらいの棚に、70~90年代を中心としたハヤカワ文庫JAがズラッと並んでいるのである。


 ハヤカワ文庫JAは、1973年に作られた日本人作家 (Japanese author) のレーベル。それ以前は日本SFもハヤカワ文庫SFから出版されていたが、このレーベルができてからはこちらに移行した。私の大好物である。


 ちなみにハヤカワ文庫JAも背表紙の変遷があって、背表紙を眺めるだけでも楽しい。70~80年代くらいの背表紙には、作者名の下に、縄文土器をデザインしたJAのマークがあり、その下に小豆色の地に白抜き文字でハヤカワ文庫JAとある。90年代に入ると、マークが無くなり小豆色の地にJAの文字と50音別作家作品番号だけ。ハヤカワ文庫の文字はその下に窮屈そうにある。


 90年代半ばには、背表紙の下、1/3くらいがカラーの帯に変わる。このときに小豆色から開放され、カラフルな帯に変わった。そして2009年、本自体のサイズが変更となり、トールサイズとなる。背表紙のデザインは変わっていない。帯の高さも同じなので、新旧のサイズを並べたときも違和感のないようになっている。


 ちなみに栗本薫「グイン・サーガ」シリーズを初版で集めている方は、この変遷をひとつのシリーズで堪能できるはず(笑)


 70~90年代のハヤカワ文庫JAで見ると3パターンの背表紙。やはり縄文土器マークの入っている作品が、ハヤカワ文庫らしくてよい。高校生の頃、新刊書店でズラッと並んでいたハヤカワ文庫JA作品は、当然ながら全部これだった。最近のものは洗練されてしまって味気ないというか。そもそも50音別の作家番号をこんなにアピールする必要はあるのかな。まぁ、背表紙のデザインはいい。文句をつけたところで変わらないのである。


 それにしてもここの棚には、大好きな作家が並んでいる。草上仁、東野司、梶尾真治などなど。


 高校生の頃(80年代中頃)から、SFマガジンを読むようになった。そこにはいつも、眉村卓「引き潮のとき」が載っていた気がする。今調べてみたら、83年2月号から95年2月号までの連載なので、10年以上連載されていたわけだ。私がSFマガジンを読み始めた頃は連載が始まってからそれなりの回数だったので、そんな長編作にはついていけず。読むのはもっぱら読み切り短編作品だった。


 そこで知ったのが、草上仁、東野司、梶尾真治の3人だ。草上仁は様々なパターンの短編を読ませてくれたし、東野司は「ミルキーピア」シリーズにハマった。梶尾真治は当時から短編の名手といわれていて、「恐竜ラウレンティスの幻視」が好きだった。「黄泉がえり」の映画が大ヒットした時、原作が梶尾真治と知り、その頃はSFを読まなくなっていたので、あのカジシンかと驚いた記憶もある。


 10代後半の、ジュブナイルSFから卒業して、背伸びして難しいSFに手を出しては読みきれず挫折していた頃。私を楽しませてくれたSF作家は間違いなく、この3人だ。いつしかSFを読まなくなってしまい、文庫も手放してしまった。そして時が経ち、もう一度読んでみたいと思った頃には絶版で、なかなか手に入らず。ラノベを求めてブックオフや古書店を巡るときには、いつも気にかけ、少しずつ集めている。


 中でも草上仁は特別なのである。80年代後半から90年代にかけて、SFマガジンで短編を書きまくっていた印象がある。ハヤカワ文庫からも80~90年代に15冊ほど出版されているのだが、そのほとんどが短編集。ただ残念なことに、現在はすべて絶版。現在、ハヤカワ文庫で手に入るのは、『5分間SF』『7分間SF』と2冊のショートショートのみと悲しい状況なのである。そもそもSFなので流通量が少ないのか、80~90年代の作品はブックオフなどで見かけることも少ない。


 そこでちびちびと集めているわけだが、ここには10冊以上の草上仁作品が並んでいるではないか。見た瞬間、これで全部揃うのではと思った。スマホに登録してある、草上仁作品リストを確認。その時点で持っていないのは、『くらげの日』『お喋りセッション』『スーパーサラリーマン』の3冊だ。順番に見ていく。


『スーパーサラリーマン』があった。棚から取り出す。しょぼくれたサラリーマンが表紙に描かれている。イラストは赤星たみこ。あらすじを読むと、サラリーマンSFを集めた短編集とのことだ。中をパラパラとめくると、初出一覧がある。どうやら週刊小説や小説CLUBといった、サラリーマン向け小説雑誌に掲載されたものをまとめているようだ。気になったのは一番最後のページ、昔ながらの古書店なら値段が書かれている右上の隅に「98.5.18 千日前ジュンク堂」と鉛筆で書かれている。この本を手放した人が、購入時に描いたものだろう。古本の場合、このような書き込みがあることがママある。鉛筆書きなら消すことも可能なので、この場合は微笑ましく思う。


 次に『お喋りセッション』があった。手にとって見る。表紙は坂田靖子でほんわかしたイラスト。草上仁の80年代ハヤカワ文庫作品のイラストは、吾妻ひでおが手掛けていた。90年代に入り吾妻ひでおが担当することはなくなったのであるが、今となっては90年に入り吾妻ひでおが失踪を繰り返した時期だったのだなと。なお、こちらの短編集は書き下ろしだ。あれだけSFマガジンに掲載されていたのに、さらに書き下ろしているとは、草上仁ってすごいという言葉しか浮かばない。


 中をパラッとめくる。そういえば草上仁作品にはなぜか、カラー口絵がないな。短編集だからだろうか。しかし、梶尾真治の短編集にはあったはずだ。よくわからない。そして、最後のページを見ると、またしてもあった。右上に鉛筆で「2000.4.7 奈良bookoff」とある。草上仁作品を集めていた同じ人が手放したんだろうな。


 残念ながら『くらげの日』はなかった。あと1冊である。神様は草上仁作品収集の道を残しておいてくれたのだろう。そして、最後に値段である。なんとこのハヤカワ文庫JAの棚に並んだ本は、すべて200円だった! 驚きである。並んでいるめちゃめちゃ欲しいとまではいわないが、興味のある他の作品も買ってしまおうか、そんな思いが頭をよぎる。落ち着け、もう一人の自分が冷静に頭の中でつぶやく。定吉七番3冊に、草上仁2冊、充分ではないか。楽しみは次に残しておけ、と。


 冷静さを取り戻した私は、他の棚を見ることにする。実はこの古書店、フランス書院の官能小説もたくさん並んでいたり、ハヤカワ文庫の海外作品やサンリオSF文庫なんかも並んでいる。その中には少しばかりソノラマ文庫や日本SFも並んでいたりもする。こちらの方はちょっとお値段は高めというか、まっとうな価格。今回はタイトルを眺めるだけで、終わりにする。


 お会計は通路を挟んで、単行本のワゴンがあった方へ行くことになる。ここの古書店のお会計は女性の方だ。むっつりとした男性店主によるお会計と違い、華やかで良い、と言ったら今だとアウトだろうか。気持ちよく購入して、家路につく。


 DATA


 槇尾古書店

 〒541-0055 大阪府大阪市中央区船場中央1-4-3船場センタービル3号館1F

 営業時間:10:00 〜 18:00、定休日:日曜・祝日・年末年始

 大阪メトロ「堺筋本町駅」4~7番出口出てスグ


※登場する書籍や値段は、私が訪れた時の記憶に基づいています。在庫や値段は古書店なので変化している場合がありますので、ご注意ください。

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