KAC20224 大物ミステリー作家の残したダイイング・メッセージ

無月兄

第1話

 割れた頭から血がドクドクと流れ出るのを感じながら、私はヨロヨロと立ち上がる。


 今のところかろうじて生きてはいるが、おそらくもう助からないだろう。


「今まで殺人事件が起きる話をたくさん書いてはきたが、まさか私自身が殺されることになるとはな」


 私の職業は、ミステリー作家だった。

 自分で言うのもなんだが、この業界では知らない者はいないほどの重鎮だ。


 このまま順風満帆な人生を送っていくと思っていたが、家を訪ねてきたあいつにいきなり鈍器で頭部を殴られ、この有り様だ。


 だが、ただでは死なん。

 幸いなことに、私を鈍器で殴りつけてきたあいつは、その一撃で死んだものと思い、さっさと出ていった。今から最後の力を振り絞れば、あいつの名前を、私を殺した犯人の名前を残すことくらいは可能だ。

 頭から流れ出る血を指先につけ、床に、犯人の名前を書く。所謂、ダイイング・メッセージというやつだ。


「最後にやることがダイイング・メッセージを残すこととは、ある意味ミステリー作家らしい終わり方かもな」


 だが、床に指先をつけたその時、その指をピタリと止める。


「待て。私は今、何を書こうとしている?」


 もちろんそれは、私を殺した犯人の名前だ。だがちょっと待て。本当にそれでいいのか。ここで犯人の名前を書き残したらどうなるか、よく考えてみろ。


「ダメだ。ダイイング・メッセージで犯人の名前そのものを書くなんて、そんなことできない!」


 それは、ミステリー作家としての矜持とも言えるものだった。

 今まで自分の作品で、被害者がダイイング・メッセージを残すというシチュエーションは、何度も書いたことがある。だがその中でただのひとつも、犯人の名前そのものを書いたものはなかった。


 だってそうだろ。そんなことしたら、誰が犯人かすぐにわかって即逮捕。そんなの、面白くもなんともない。


 だからこそ、私の作品におけるダイイング・メッセージは、一見誰を指し示しているのかわからない、難解な暗号のようなものばかりにしてある。それを、刑事や探偵が頭を捻って推理する。これが、ダイイング・メッセージの醍醐味というものだ。

 中には、死ぬ間際にいらんことしなくていいなんてツッコミを入れてくる読者もいるが、そうでなければ面白くないだろ。


 なのに私は今、ダイイング・メッセージで犯人の名前そのものを書こうとしていた。これはいけない。

 そんなことしたら、『希代のミステリー作家、自ら死の間際に残したダイイング・メッセージは、全然ミステリーになってなかったwww 』なんて言われて笑い者になりかねない。何より、私自身のプライドが許さない。


「こうしちゃいられん」


 慌てて書きかけた犯人の名前を塗りつぶすと、その横に、新たなダイイング・メッセージを書き始める。

 幸いなことに、ちょうど新作のアイディアとして考えていたダイイング・メッセージを、そのまま応用することができる。

 一見すると、何を意味するかわからない、ただの文字の羅列だ。だが正しい解き方さえすれば、犯人の名前がわかるという、一種の暗号だ。


 しかも、その難易度は私の歴代の作品の中でも最高峰という自信作。これを、犯罪捜査のプロである現職の刑事達が解くのだ。その場面を想像すると、思わずワクワクしてくる。


「最後にこんな挑戦状を残して死ねるなんて、ミステリー作家冥利につきる」


 こんな手の込んだダイイング・メッセージを残せたのだから、もしかすると頑張れば生き延びることもできたかもしれないが、そこに一切の悔いはなかった。


 こうして最後の大仕事を終えた私は、心置きなく息を引き取ったのだった。














 大物ミステリー作家が自宅で殺されているのが見つかり、警察の捜査が始まったのは、それから少ししてからのことだった。


「警部。この床に書かれている文字。これってもしかして、ダイイング・メッセージってやつじゃないですか?」

「俺もそう思ったんだがな、人の名前が書かれているわけでもないし、死ぬ間際に錯乱して書いたんじゃないのか。だいいち、ダイイング・メッセージなんてなくても、犯人はすぐに捕まったからな」

「確かに。防犯カメラに顔がバッチリ映ってますし、凶器には指紋がべったり。おまけに、少し尋問したら簡単に自供しましたし、こんな楽な事件滅多にないですね」


 大物ミステリー作家殺人事件は、こうしてあっという間に解決したのだった。

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