エピローグ
エピローグ:僕たちはラムネをかたむけた
◆
「……お」
学校からの帰り道。いつものように駄菓子屋の前を通りかかった俺は、店前で暇そうにしている奈々と出逢った。
俺は乗っていた自転車を降りると、それを近くに止めて彼女に近寄る。彼女は俺に気づくと元気よく手を振った。
「こんばんは、アッツ―」
「どうも……って、なんだそれ」
「え? ああ、これ、今日の入荷分のジュース」
店前に高く積み上げられているボトルコンテナにはコーラやらオレンジジュースやらラムネやらがぎっしりと詰め込まれていた。
……彼女には悪いけど、こんなに在庫を多く仕入れても、売る人がほとんどいないから結果的に無駄になりそうな気が。
「……あ、いま『お前の駄菓子屋にはどうせ人なんて来ねえから無駄だろ!』って思ったでしょ」
「勘ぐりすぎだ」
「でもアッツーのことだから、そういう歯に衣着せない言動も辞さないものかと」
「お前は俺を何だと思ってる」
「うーん……なんちゃって直言居士?」
「ひでぇな! 仮にも10年以上付き合いがある人間の言葉とは思えないぞ!」
「でも当たってるでしょ?」
「……まあ」
「えへへ、あたしの勝ち~」
何に勝ったのかはよく分からないが、奈々はご満悦のようだ。
……とにかく、心の内を悟られないでよかった。
「あ、すごいホッとした顔してる。やっぱ思ってたんだ」
「なっ……!」
「あはは、別に隠さなくてもいいよ。お客さんが少ないのは周知の事実だし」
奈々は積まれたボトルコンテナの一番上のやつをひょいっと持ち上げると、店先のテーブルにどっかりと置いた。
その中から無造作に一本取り出すと、こちらに投げ渡してくる。俺はそれを危なげなくキャッチした。
「うおっとと……お前、これ瓶だぞ」
投げ渡すな。
「あっはは、ごめんごめん。それあげるよ」
「……え?」
「ほら、いつだったっけ。間接キスした日にあたしが全部飲んじゃったでしょ? それのお詫び」
「……あの日を間接キスでひとくくりにするのはどうかと思うけど……ありがとう」
俺はふたを開けると、飲み口から瓶の中身を覗き込んだ。
透明な水の中にゆらゆら揺れているのは、ラムネおなじみのビー玉だ。昔はどうにかしてこの飲み口からビー玉を取り出そうとして、30分くらい躍起になっていたような気がする。いま思えば愚行極まりないけど。
「……ね、アッツー」
「ん? どうした奈々」
見ると、彼女もコンテナからラムネを一本取り出して躊躇なくふたを開けていた。俺の30秒前の記憶が正しければ、これらはすべて売り物だったはずなのだが。
「その、悠乃っちとは、いまも上手くやってる?」
彼女が遠慮がちに聞いてくるのは、真司にすべてを話した次の日に、奈々にも同じ話をしたからだろう。
普段から元気はつらつで向こう見ずな彼女がこちらを慮るというのは、少々らしくない。俺は彼女の不安を取り除くために可能な限り明るい声色で応対した。
「ああ、大丈夫だよ。いまではまた恋人としてヨリを戻した」
「えっ! そうなの!? やったー! またラブラブな二人が見れるぞーっ!」
「そういうことをあまり衆人環視の中で叫ばないでほしい」
付近を歩いているウチの学校の生徒が奈々の言葉に反応して、そろってこちらを見つめている。見せもんじゃないからとっとと帰路を急いでほしい。
「いやー、二人がまた付き合ってくれるなんて、お母さん嬉しいよ」
「だからお前は俺の母さんじゃないだろ……」
「でも昔からあたし、アッツーの面倒とか見てたよね? 登校日なのになかなかいつもの集合場所に現れないから、いちいちアッツーの家に起こしに行ったりさ」
「……あれは、マジで感謝してる」
学校からの連絡をまったく聞いていなかったせいで8時前になっても眠りこけていた俺は、その日奈々のベッドダイブによって目が覚めた。
おかげで学校には間に合った。遅刻ギリギリだったけど。
「――だから、あたしはお母さんを名乗っても遜色ないと思うの」
「それは論理の飛躍というやつだ。だいたい、お前が親を名乗るにはちょっとそそっかしすぎるだろ」
「えーっ、アッツーひどい! これでもあたし、昔と比べたらけっこう落ち着いたほうだよ!」
「どうだかな」
「むぅー……! 仮にもアッツーは幼なじみでしょ! あたしの些細な変化にもちゃんと気づいてよぅ!」
「まあ、小学生のころと比べたら胸は大きくなったな」
「違うでしょお!? そこじゃなくて、もっと! こう、あふれ出る母性とかさ! アッツーを包み込む包容力とか、慈愛に満ちた眼差しとか!」
「胸はめちゃくちゃ大きくなったよな」
「胸しか見てないの⁉」
「あっはっは、悪い、冗談だ。たしかに昔と比べると大人っぽくはなったと思うぞ」
「な、なんか下に見られてるような気がする……! あたしの尊厳を踏みにじられたような気も……」
「気のせいだ」
なんていうか、本当に物心つく前からずっと一緒にいた仲だからか、俺はいまの奈々を見てもあんまり昔と比べて成長したな、とか大人になったな、とか色っぽくなったな、とは思わない。というか思うことができない。
よちよちと俺の後をついてくる幼いころの奈々がどうしても脳裏にちらついて、正当な評価を下せなくなっている。
「……だから、アッツーはいつまでもあたしのこと」
「ん、なんか言ったか?」
「う、ううん、なんでもないっ! さあほら、ラムネ飲もうよラムネ!」
明らかに取り乱している奈々がラムネの瓶をぐいぐいと押し付けてくる。ここまで目立つことを店先でやってしまえば、当然このイチャイチャっぷりを周囲のクラスメイトにも全体公開してしまっているわけで。
……ぼそぼそと、こちらを茶化すような声や確実にバカにしているような黄色い声が俺たちの耳に届いた。
「……うあっ⁉ み、みんなこれは違うんだって!」
「もう取り返しつかないだろこれ」
「……はあ、ホント、奈々ちゃんって昔から周りが見えてないよね」
ふと、声がして振り返ると、そこには前原悠乃がカバンを提げて立っていた。奈々は彼女の言葉にすぐ反抗して威嚇する。手をワキワキさせて。
「ぐっ……そ、その言い方はたとえ悠乃っちでも許せませんなぁー……ここは一つ、あたしの言うことを何でも聞くということでチャラに」
「そうやって流れるようにセクハラするな」
「はいブーメラン」
「ぐっ……」
このやろ……!
「あ、あはは……えっと、奈々ちゃんにはあとでお話があるとして、敦也くんはなにしてるの?」
「ちょっとぉ!? お話ってなにっ!?」
「えーっと、俺は奈々からラムネを譲ってもらったところだ」
「ふーん、ラムネかぁ……」
すると、悠乃は興味深そうにボトルコンテナを見つめ、やがて意味ありげにニッコリと笑った。
「じゃあ奈々ちゃん、わたしに一本これをくれたらお説教は取り消しね」
「えっ、いまこの時点でもう2本開けちゃってるのに!? 悠乃っちそれはないよ!」
「だとしても大した金額にはならないような……」
「なに言ってるのアッツ―! 貧乏なウチの家庭で200円は大金なんだよぅ!?」
「わたしにセクハラをした罰でもう100円追加だね」
「あああああぁぁぁぁ…………助けてよアッツ―ぅぅぅぅぅ」
「いや、今回に至っては俺関係ないし」
「う~っ! 薄情者ぉ! アッツ―だってあたしにセクハラしたくせに!」
「…………ぇ」
とたん、悠乃の目から光が失われた。奈々のやつ、もしかしてワザとこのタイミングで暴露しやがったな!?
「アッツーだって『そのでかい胸触らせろよ、別に減るもんじゃないし』って言ってあたしにセクハラしたじゃん!」
「言ってない! そんなこと言ってないから! 流れるように記憶捏造するのやめてもらえる⁉」
「…………敦也くん、ちょっとお話があるんだけど」
「待って、悠乃! これは違うんだ、全部奈々の作り話で――!」
「全部じゃないよね、あたしにセクハラをしたっていう事実は消えない過去だよね」
「……くっ」
「敦也くん、もうわたしのこと飽きちゃったの? もう他の女の子に手を出そうとしてるの? どういうこと? ねえ」
「まて、落ち着け、悠乃。とりあえずラムネでも飲んで落ち着け」
「敦也くんがわたしに興味ないなら、もう付き合ってる意味もないかなぁ」
「奈々にセクハラしたことは謝ります許してください何でもしますからっ!」
俺は光の速さで地面に土下座した。自分に非しかない状況のときは変に最後まで抵抗せず、大人しく自分の非を認めて土下座した方が早い。そんな気がする。
地面に手をつきながらそーっと視線を上げると、こちらを見下ろす悠乃と目が合う。
……あ、なんかすっごく悪そうな顔してる。
「いま、なんでもって言ったよね?」
「え? ……あ」
と、ここに来てようやっと俺は自身の軽率な発言とか、向こう見ずな謝罪をしたことを悔いた。
一方、今まで築いてきた穏やかな清楚キャラのイメージを根底からひっくり返すような勢いで、悠乃はその体からどす黒い瘴気を漂わせていた。なんだか、いまの彼女に背いたらダークサイドに堕とされそうで怖い。
そんな暗黒卿……じゃなかった、悠乃はつま先を俺ではなくその隣にいる奈々に向けた。
「じゃあ、奈々ちゃん」
「え、あたし?」
「ちょっと後ろ向いてて」
「ん……?」
奈々はよくわからないような顔をしてクルリと後ろを向いた。
俺も意味が分からなかったので、悠乃にたずねる。
「おい、これっていったいどういう――」
「――っ」
刹那。俺の肩に手が回された。考える間もなく悠乃の顔が迫る。
口元に温かい吐息。一気に甘い香りに包まれる。
それと同時にマシュマロのような柔らかい感触が唇を弄び、パニックになった俺の頭をショートさせる。
3秒。
たったそれだけの短い時間で、彼女は抱えきれないほどの愛情を俺の唇に注ぎ込んできた。
……やがて彼女が離れると、上気した頬を隠しながら、奈々に合図する。
「え、なに、悠乃っちどういうこと?」
「敦也くんに罪滅ぼしを、ね」
悠乃は頬を隠したままこちらを向いてあどけない笑みを浮かべる。
っていうかいまの罪滅ぼしでいいの? めちゃめちゃご褒美だったよ?
「ほーん、これはいいものを見てしまったなぁ」
俺はこの声に聞き覚えがある。というかありすぎる。この何人もの女を手駒にしてきたようなこの声の持ち主は……!
「……し、しっ、し、真司くん!?」
俺よりも悠乃のほうが驚いたようで、彼の声に振り向くなり素っ頓狂な声をあげた。そんな初々しい彼女の反応を楽しみながら、真司はニヤリと笑う。
「なあ奈々。お前がそっぽ向いてる間、こいつらが何してたか知りたい?」
「え、知りたい知りたーい!」
「だめえっ! 絶対教えないで!」
「そうは言ってもなあ……やっぱり仲間っていうのは隠し事しないのが一番だし」
「時には隠すことも大事なんだよっ! ね? 敦也くん」
「…………」
「ねえどうして黙ってるの!? 敦也くんはわたしの味方だよねっ?」
「…………」
なんだか、焦っている悠乃という光景がちょっと不思議で懐かしくて、もう少しだけこの状況を楽しみたいと思っている悪い自分がいる。
悠乃には悪いが、このまま話がどう流れていくかを見させてもらおう。
「ということで悠乃さん、そろそろ時間です」
「……こ、これでどうにか」
おい、悠乃。財布を出すな。
困ったら金で解決しようとすんなお前そういうキャラじゃないだろ。
「ふむ……じゃあジュース一本で黙っててやろう」
「そ、それなら……!」
悠乃は財布から100円を取り出すと、それを奈々の手に無理やり握らせて、冷凍ケースから一本のラムネを取り出した。
「これで、どうにかお願いします」
「うむ、よろしい」
……100円で買収されていいのか、真司。
「ということで奈々、オレは残念ながらなにも見てない」
「え、えぇ――――――っ!? シンジ、それはちょっとないでしょお!?」
「いやあ、さっきまで覚えてたんだが、てんで思い出せないわー」
「白々しい……っ! ああ気になるー! アッツ―と悠乃が何してたのか気になりすぎて夜も眠れなくなるよぉー!」
頭を抱えて絶望に沈む奈々。前回のような事件があった後で隠し事というのは気が引けるが、なにもプライベートなことをすべてさらけ出す必要があるわけでもない。
許せ、奈々……!
「あはは、じゃあ、みんなもそろったことだし……乾杯でもする?」
悠乃の何気ない一言に真司が噴き出す。
「ちょっと、なんで笑ってるの真司くん」
「いや、乾杯って、なんのお祝いだよ」
「うーん……」
悠乃はラムネ片手にあごに手を当て思案する。やがて思いついたのか、その瓶を高く上げて干した。
「じゃあ、『仲良しグループ再結成おめでとう記念』ってことで」
悠乃に続いて、俺や真司、奈々も瓶を高く上げる。
「かんぱーい」
「「「乾杯っ!」」」
――青春というのは、青くて、そして慣れやすい。
青いからこそ、ときに間違いを犯す。
慣れやすいからこそ、ときに無味乾燥になる。
青春という刺激に慣れすぎてしまった俺たちは、いまとなってはかつての弾けるような真新しい経験はできない。
……でも、だからといって青春が味気なくなったわけでもない。
青春というのは『ラムネ』のようなものだ。青くて、弾けて、何度も飲んでいるとそのうち慣れてしまう。
……けれど、ラムネの甘味や炭酸、そして瓶の中に入ったビー玉は、いつまでも変わることがない。いつでも同じ刺激を、俺たちに与えてくれる――。
いまは、それで十分ではないだろうか?
「じゃあ、いただきます」
「「「いただきまーすっ!」」」
そうして。
僕たちは、ラムネをかたむけた。
僕たちはラムネをかたむけた こんかぜ @konkaze_nov61
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