手作りトマトソースのマッシュルームパスタ

芒来 仁

昼下がり

 結婚して変わったことが幾つもある。自分の身だしなみ、健康、日々の時間の過ごし方、などなど。

 このトマトソース作りもそのひとつだ。


 にんにくを刻む。

 にんにくの皮を剥き、根元を残す形で縦横に切れ目を入れてブラシ状にした上で先端から切っていくとみじん切りの完成だ。

 結婚前は自分一人のためにわざわざ生にんにくを買おうという気にはならず、チューブのおろしにんにくを使っていた。けれど結婚してからは妻の「こっちの方が香りが立つよ」の言葉に倣って俺も生にんにくを刻むようになった。確かに香りが強い。

 刻んだにんにくを多めのオリーブオイルとともにフライパンに投入。弱火にかけて香りを出していく。


 香りを立てつつあるにんにくを横目に大ぶりの玉ねぎをひと玉刻む。

 こちらもにんにくと同じようにブラシ状にした上で先端から……と言いたいところだが、量が多く面倒くさい。細かくしておきたいにんにくとは違い、玉ねぎは多少粗くても構わないのだ。

 独身時代に買った手動チョッパーをコンロ下の引き出しから持ち出して乱切りの玉ねぎを投入、ハンドルをごりごり回して玉ねぎをシャリシャリと粉砕する。時々フタを開け、側面や底に張り付いて粉砕の不十分な玉ねぎをシリコンスクレイパーでこそげ落とす。さらに攪拌するため、チョッパーを傾けたりしながらごりごりハンドルを回す。これをやっておかないと、粗みじんどころかスライスしただけの玉ねぎがトマトソースに混入することになってしまう。

 今回使うのは買ってきた玉ねぎだが、いつもなら実家から貰ってきた玉ねぎを使う。結婚前は実家に帰るにしても電車帰省だったため手荷物が増えてしまうので野菜を貰うのは断っていたが、結婚してからは妻が車を運転するので今はマイカー帰省。荷物を積んでも手間が増えることはないので遠慮なく実家の玉ねぎを貰って帰る。

 適当に持って帰ると、頻繁に傷んだ玉ねぎにヒットするのが玉に瑕だが。

 それでもフードロス嫌いの妻の意を汲み、傷んで溶けかけた玉ねぎの層だけを取り除き、水洗いして使っている。


 そうこうしているうちに、そろそろにんにくが焦げてきそうな頃合い。刻み終えた玉ねぎをチョッパーからフライパンに移して炒め開始だ。火は弱火のまま。

 攪拌には調理用の箸と併せてさっきのシリコンスクレイパーを使う。箸は細かくかき混ぜてダマを潰すのに使用する。シリコンスクレイパーは全体をきれいにならして蒸気の逃げ口を封じ、玉ねぎ自身から出た蒸気で全体を蒸し焼きにするために使う。

 ちなみにこのスクレイパーも先ほどのチョッパーと同じく、俺が独身時代から使っているものだ。妻から言わせると「独身男が持つものじゃない」らしいが、独り身で他にやることが無いとなると無駄に道具にこだわったりするものだ。単身の人間が割とかかる病気みたいなもので、中華鍋や中華包丁を持っていないあたりまだまだ軽症だと思って貰いたいのだが。


 玉ねぎが透明になり始めた。飴色玉ねぎまで頑張るつもりはないので、そろそろトマトを投入する。

 使用するのは紙パックのあらごしトマト。封を切ってそのままフライパンに投入する。

 昔は食材店のトマト缶を使用していたが、空き缶の処理が面倒でトマトソースを作る機会が少なかった。ところが妻からこんなものがあると示されたのがこの紙パック。同じ容量で値段も大差ない。トマト缶のセールを狙って買い貯めて、処分するときも金属製品をまとめて資源ゴミの日に出して……などと悩むくらいなら、こちらの方が圧倒的に便利だ。

 しかし同じ売り場をうろうろしていたはずなのに、意識が向かないとそこにある便利なものに全く目が行かないものなんだな、と改めて気付かされる。自分とは視点の違う人の存在に感謝。


 先ほどと同じく箸とスクレイパーで攪拌。同時にトマトの青臭さを消すというオレガノ、風味付けのバジル、味付けのための出汁を投入する。

 これを同時に行うことは割と重要だ。他はともかく、出汁はトマトの赤い色に溶け込んでしまうとダマになっていても見えづらい。ポイントを狙ってダマを砕くのが難しいのだ。けれどオレガノとバジルは緑色が最後まで残るので、ダマが見えやすい。ハーブのダマが見えれば、同じ場所で出汁もダマになっていることが推測される。ハーブのダマを潰してしまえば、それで味が偏る心配は無いわけだ。

 こんなことを言っていると隣から「いつもの理系発言だなあ」と呆れ声が聞こえて来そうだが。


 味付けの出汁は、詰まるところ「何でも良い」。素人料理の便利なポイントだ。

 もちろんコンソメやブイヨンが基本だが、変化球で中華用の調味ペーストを使っても良いし、和食用の液体だしを使っても良い。

 俺は心臓に病気を持っているので塩分に気を付ける必要があるが、一度に作ったトマトソースは一食で使い切るわけではない。夫婦ふたりの食事三回分程度、つまり一食あたり六分の一程度の量が使用される。それを目指して塩分調整をすれば問題ない。一食あたり塩分二グラムと考えればソース作りでは十二グラム、濃縮液体だしなら半カップほど入れても問題ない計算だ。

 とは言え、塩分を減らせるならそれに越したことはない。今回は減塩食のために調べてたどり着いた無塩だしシリーズの鶏ガラスープやかつおだし、食材店で発見した超減塩の貝柱スープなどを適当に投入した。


 全体を均一に攪拌した後は引き続き加熱。玉ねぎ炒めと同様、表面をスクレイパーでならして蒸し焼きだ。

 ひたすら弱火で我慢、我慢。

 というと修行のようだが、別にスマホを触りながらテレビを見ながらでも良いのだ。ゆっくりと時間が過ぎるのを待てば良い。


 ぶつ、ぶつ、ぶつ。ソースの表面が湧いてくる。赤い地肌から赤い汁が若干の粘性をもって泡を立てており、さながらマグマだ。ちなみに飛ぶ汁も当然マグマのように熱い。あと油と混ざったトマトの赤い色素は服に飛ぶと洗濯しても落ちにくいので要注意。

 この頃になると底と表面で火の入り方に違いが出るので、定期的に混ぜてやる必要がある。これまでと同じく箸で細かくかき混ぜ、スクレイパーでならして蒸し焼きだ。

 火が強すぎたり放置時間が長すぎると、表面加工フライパンであっても底にソースがこびりつく。

 しかし気にすることなかれ。焦げた匂いが無ければまだまだ焦る時期じゃない。

 いったん火を落とし、数分放置する。すると乾燥し切って焦げかけた鍋底へ、まだ飛び切っていない表面の水分が移動していく。水気を取り戻した底のソースは改めて箸の攪拌を受け付けるようになる。改めて全体を均一にかき混ぜ、蒸し焼きを再開だ。

 焦げてしまった? 多少なら焦げたところで同じ対応で構わない。多少の焦げには魔法の言葉、「メイラード反応」。おかげで旨味が増えたと自分に信じ込ませれば良いのだ。


 パスタにしか使わないのなら汁気が残っていても良いが、パスタ以外の用途で使用することを考えるとなるべく水気は飛ばしておきたい。もう少し頑張って火の番を続ける。

 しばらくすると表面のマグマが出なくなり、代わりにソースのひび割れから蒸気が噴き出すようになってくる。底の方にじわりと出て来る汁気はもう水分ではなく、オリーブオイルの油分にトマトの色素が溶け出した赤い油だ。

 こまめにスクレイパーでこねるように混ぜ、最後の水分を抜く。こね上げてグランドキャニオンの岩場のように屹立させ、さらに若干オーバーハングさせたときにぺチャリと崩れてしまわないようになればそろそろ完成だ。既に表面は水面の輝きを失い、マット加工のような渋い顔つきだ。

 にんにくを刻み始めてから約一時間の成果は、四百ミリリットルの密閉容器にぴたりと収まる。このまま粗熱を取って冷蔵庫行きである。

 冷蔵庫で数日、冷凍しておけば一ヶ月くらいは保つだろう。


 このままおいておけば妻が朝食のトーストに塗りアボカドを載せてくれたり、オーブンでポテトを焼くときにソースとして使ってくれたりする。しかし今日は妻の仕事が長引くらしく、夕食の支度を頼まれたのでこのままパスタを作る。

 パスタクッカーを準備する。これは熱湯とパスタをセットすれば標準茹で時間プラス二分で火を使わずにパスタが茹で上がる便利アイテムだが、二リットルの熱湯を準備する手間のせいか不人気で、すでに生産中止となっている。しかし独身時代に買った俺にとっては未だに愛用のキッチングッズだ。一人用かと思いきや、二百グラムのパスタまで調理可能なので夫婦生活にもばっちり対応。

 パスタを茹でているうちに具材の準備を進める。

 ひき肉代わりの豚バラは電子レンジで解凍中。買った段階で五十グラムずつ小分け冷凍しておく俺の独身時代からの習慣は、現在も俺の担当作業として生きている。ニンジンは一本の半分を半月切りにしておく。

 そしてメインはマッシュルーム。妻がスーパーの見切り品で見つけてきたお手頃品だ。

 「結婚相手が貴方で良かった」フードロス嫌いの彼女が時々つぶやく。「見切り品漁ってても何も言わないから」。彼女にとって見切り品を買うことは、単なる節約ではなく「廃棄される食材の救出活動」なのだ。

 マッシュルームを四等分に。解凍の完了した豚バラを細切りに。半月切りのニンジンとともに炒め合わせて、トマトソースの三分の一、二食分を投入する。

 腕の活動量計にセットしていたタイマーがパスタの茹で上がりを知らせてくれた。パスタをざるに開け、オリーブオイルをまぶしておいて妻の帰りを待つ。仕上げは妻が帰って来てからだ。


 料理をすることにおいて、結婚生活が一番変えてくれたのは「料理の意味」だと思う。

 一人暮らしの時、料理は「対峙すべき膨大な時間の消費手段」だったんだろう。無駄に手の込んだことをして時間を浪費し、無為に過ごす一人の時間を「無駄じゃなかった」と自分に納得させるために成果物としての料理を一人で楽しんでいた。

 今は違う。料理を楽しんでくれる人がいる。「久しぶりにあれが食べたい」とリクエストをくれる。トマトソース消費のためにドリアを作ろうと一人暮らし時代に買ってあったグラタン皿について「君、昔ゲイ疑惑かけられたんだよね? 彼氏いたのかな? 彼氏のためにグラタン作ってたのかな?」とよく分からない弄りをして楽しんでいる妻がいる。

 誰かのために料理が出来るのは、自分の料理で喜んで楽しんでくれる人がいるのは、とても幸せなことだと思っている。


 玄関のドアが開く音がする。妻が帰ってきた。

「ただいまー」

「おかえりー」

 何でもない、いつもの、幸せな挨拶を交わす。

 よし、パスタをフライパンでソースと炒め合わせ、盛り付けて完成だ。

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