巡り逢い
***
ツバメは、中華料理のレストランにいた。炒飯に小籠包と杏仁豆腐のついたランチセットを注文する。お冷代わりに冷たいジャスミン茶が出てくる少し着飾っている店。店内にいる客の大半は女性だった。
料理が出てくるまでの間に、ツバメはスマートフォンであるニュース記事を読んでいた。
国民の投票の結果により選出され、宝石化症候群からこの国の人間を救うために命を落とした人物がいる。シイナという名の研究者が、犠牲になったその人間の名前を公表した。
『〇〇水羽』
国民の中から人柱を選出するなど、ツバメはとんだ法螺話かと思っていたが、本当にこんな世界のために命を捧げた人間がいたのだ。
シイナは、自らが開発した人命を用いワクチンを生成する装置の概要を公表し、またその装置の廃棄を発表した。シイナは自分の開発が愚かな過ちだったと考えているようだ。
テーブルにセイロに入った小籠包が運ばれてきた。ツバメは小皿に黒酢と刻んだ生姜をセットする。
人類という地球に蔓延る愚かな種族は、学習能力が低い。これまでの歴史を振り返ればわかる通り、同じ過ちを何度でも繰り返す。
シイナが行った研究がこの国の人間にとって良いものだったか悪いものだったかはわからないが、彼が自身の過ちを認めた勇気をツバメは評した。なかなかできることではない。彼の決意は、人類にとって大きな成長のための一歩のように思える。
ツバメは黒酢につけた小籠包を口に運んだ。
「熱っ!」
小籠包から飛び出した汁をまともに口内に受け、ツバメは思わず小籠包を吐き出した。近くの席にいる客がちらっと迷惑そうな視線を彼女に向けてきた。いけないいけない。思考に夢中で『小籠包は火傷に注意』という合言葉を忘れてしまっていた。
ツバメは自分に話を持ちかけてきたあの頑固な男のことを考える。
彼の死は、世の中にとって何の役にも立たなかった。彼はただ、自分が選んだ道を進んだ。
テーブルに炒飯が運ばれてきた。炒められた米の中にいくつかの海老が埋まっている。
愛する者を奪われ、復讐の念に駆られた男は、なぜ最後に考えを改めたのか。いっそのこと派手に事を起こしたほうが、長期的に見れば人類にとって今回の一連の出来事が大きな教訓となったかもしれない。そうしたほうがいいとは思わないが、何かにきっかけにはなるだろう。
もちろん、彼が一体何を考えていたのか、ツバメには知る由もなかった。
ツバメは思考を中断し、目の前の料理に集中する。
こうやって、少しずつ人は忘れ去られていく。
今後彼らのことを思い出す機会はあまりないだろう。
人はいつだって目の前にある自分のやることだけで精一杯なのだから。
***
恋火、風楽、水羽、愛地の四人は、転生の間にいた。これまでの輪廻の道程を振り返りながら天まで続く
転生を行う前に、四人は円陣を組むように向かい合ってお互いの顔を眺めた。
次の生でも、おそらく数多の困難が待ち受けている。簡単な人生など存在しない。次のステップへ向かうための魂の苦行と言ってもいい。
それがわかっていても、四人の表情は朗らかだった。
仲間が、いるからだ。
「じゃあ、またあとで」
恋火はひょいっと片手を上げて円形の間の中心に向かった。まるで今日の仕事が終わった後に落ち合おうというような軽い口ぶりだった。
記憶をこの地に残し、魂が天へ飛んでいく。
歌が聴こえる。
新しい旅を予感させる楽しげな響き。
輪廻の糸に乗った恋火の朱い魂に、碧の魂がついてきた。
そんなにがっつかなくたって、いずれ出逢うのに。
自分たちは運命で結ばれた魂なのだから。
***
ふかふかの暖かい布団、甘くて美味しいお菓子、可愛い動物のぬいぐるみ、冒険の世界に入り込める物語の書かれた本。それが、新しい世界で心空がレッドに強請ったものだった。そんなあたりまえに与えられるようなものを欲しがり、彼女はそれで満足した。
「楽しいかい?」
レッドがベッドで寝ながら本を読んでいる心空に尋ねた。
「うん」
心空はレッドに無邪気な笑顔を向け、それからまた本に目を落とした。
新しい世界で、レッドは森を作った。そこに、様々な種類の動物たちを住まわせた。一匹として同じ種類のいない、異なる姿形をした動物たち。その森では、自分とは違う存在を迫害する心は生まれなかった。誰もが自分らしく、ありのまま自由を持っていた。
レッドと心空は動物たちに囲まれて過ごす。
森の中心には、白い樹があった。
白い樹は少しずつ成長し、枝の数も増えていった。それは異なる分岐を進む世界が存在することを意味している。
「ねえレッド」
「なんだい?」
「帰りたかったら帰ってもいいよ」
「えっ?」
「元いた世界に」
「……」
「時々寂しそうな顔してる。無理しなくていいよ」
「ありがとう。でも、僕はここにいるよ」
「どうして? いいんだよ。レッドが一人で背負わなくても」
「……」
「わたしのことは気にしなくていいよ」
「……きみのような」
「えっ?」
「みんながきみみたいに優しい心を持ってたらって。ちょっと思ったんだ」
「……」
二人が築く世界は平和で、楽しさに満ちていた。
レッドは新しい世界で暮らすようになってからしばらくして、物語を書くようになった。司書から書き手への転身だ。
「心空はどんな物語を読みたい?」
「うーん。えーとね。うーんとね」
顎に親指と人差し指をあてて考える仕草が可愛らしい。
「男の子と女の子がいるの。男の子は女の子のことが好きなんだけど、本当は女の子も男の子のことが好きなの。でも恥ずかしいからなかなか自分から言えないんだ」
「はは。なるほど、恋愛ものが読みたいのか」
「女の子は女の子なんだけど、でも男の子みたいにかっこいいの。でも綺麗なの」
「はーん。そういう設定なら簡単だ。恰好のモデルがいるからね」
***
恋火はその日の昼休み、いつものように学校の購買で焼きそばパンを買ってこようと教室を出た。
廊下に出て歩いていこうとすると、彼女の行く手を遮るように制服を着た少年が立っていた。男子にしては小柄でかなり華奢。女子といっても通じるような中性的な顔立ち。
「あ、あの」
緊張している様子の少年が恋火に声をかけてきた。
「何か用?」
こちらは急いでいるのだ。早く行かなければ焼きそばパンが売り切れてしまう。
「これを」
少年は背中に隠していたものをおずおずと恋火に向かって差し出した。花の模様のナプキンにくるまれた四角い箱のようだ。男子の持ち物としては可愛らしい。
「それは?」
「お弁当です。自分で作ってきました。あの、えっと。あなたに食べてもらいたくて」
少年は顔を赤らめながら、それでも恋火の目をしっかり見つめて言った。廊下を歩く生徒たちがちらちらと視線を向けてくる。
「一年生?」
「あ、はい。恋火さんは二年生ですよね」
「どうして私の名前知ってるの?」
「あっ。えっと。入学した時からずっと気になっていて。それで……」
「顔にご飯粒でもついてた?」
「えっ? あ、それで気になったわけではなくて。ついてないですし」
「一緒に食べる?」
「えっ?」
「お弁当」
「ああ。ご一緒してもいいのですか?」
「屋上へ行こうか」
「えっ、でも」
「なに?」
「高いところは苦手なのではないのですか?」
恋火は改めてまじまじと少年を観察した。どうしてそんな個人的な情報を知っているのか。
「あ、すみません。なんとなくそう思っただけで」
「行くの? 行かないの?」
「あ、はい。行きます。行きたいです」
恋火と少年は校舎の屋上に行き、ドアがあった場所の平たい屋根の上に上った。
心地良い風が吹く。その肌触りはなぜか懐かしさを思い起こさせた。
恋火は花柄のナプキンの結びを開封し、お弁当箱の蓋を開けた。
海苔の敷かれた白米。玉子焼きに野菜の炒め物、煮物。そして。
「タコさんウィンナーがある」
恋火はつい顔を綻ばせてしまった。隣に座っている少年は嬉しそうな顔で恋火を見ている。
「食べていい?」
「はい。お口に合うと良いのですが」
恋火はタコさんウィンナーにかじりつき、海苔を含んだ白米を口に運んだ。咀嚼を繰り返す。
「どうですか?」
「うん」
恋火はさらに玉子焼きに手をつける。柔らかい食感にほのかな甘み。
「美味しい」
「そうですか。よかったです」
「きみの名前は」
「風楽です」
「風楽?」
恋火はその名前の響きを不思議に感じた。初めて聞いたはずなのに、前から知っていたかのような。
「どうかしましたか?」
「いや」
違和感は名前だけではなかった。目の前にいる少年の姿。これまでの会話のやりとり。それらが記憶のどこかに引っかかる。
「風楽」
「はい」
「自分の分のお弁当は?」
「あ、それが恋火さんの分を作るのに夢中で、忘れました」
「しょうがないな」
恋火はお弁当を風楽に近づけて見えるようにした。
「どれがいい?」
「えっ? どれって?」
「食べさせてあげる」
その行動に驚いたのは風楽だけではなかった。自分はなぜ初対面の男子にあーんをしてあげようとしているのか。だけど、なぜかそうしてあげたかった。
「あの、大丈夫ですよ。恋火さんの分が減ってしまいますし」
「遠慮しなくていい」
「あの、じゃあ、玉子焼きをよろしいですか?」
恋火は注文通り玉子焼きを箸でつまみ上げた。それを風楽の口に近づけていく。
風楽は控えめに口を開き、パクッと玉子焼きを口に入れた。顔を赤らめて恥ずかしそうに恋火から視線を逸らす。
「美味しい?」
「あの、味なんてわからないですよ。こんな状況で」
「風楽はどうして私にお弁当を作ってくれたの?」
「あの、自分でもよくわからないんです。変ですよね。初めて会った人間からいきなりお弁当をもらうなんて」
「本当に初めてかな?」
「えっ?」
風楽は驚いた顔を恋火に向ける。
「私たち、前にどこかで会ったことない?」
「学校で目にしたことならありますよ。でも」
「そうじゃなくて。もっとこう」
恋火は上手く言葉が浮かばない歯がゆさを感じた。
風が二人の間を通り抜けていく。
あと少しで、何かを掴めそうな気がした。
「運命」
風楽がぼそっとその言葉を呟いた。
「僕たちがこうして出逢ったのは、もしかすると運命だったのではないでしょうか。そんな気はしませんか?」
「運命か。なるほど。悪くないね」
恋火は風楽の手を取った。風楽が驚きに目を見開く。
「きみの手の感触」
「……」
「私は覚えてる」
「僕もです」
「約束は?」
「……」
「私の前から離れないって」
「はい、覚えてます」
「守れる?」
「守れます」
「そう」
恋火は彼の手を掴みながら立ち上がった。風楽もつられて立ち上がる。
すぐ傍で、向かい合った。
大切な大切な、その魂。
これまでも。
これからも。
ともに巡っていく。
風が吹き、一枚の葉が飛んでいった。
その葉の色は、白かった。
空のように。
「行こう」
「はい」
運命は巡っていく。輪廻を越えて。
アカシャ・アニマ さかたいった @chocoblack
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