虚空の魂
「レッド」
恋火は心空と一緒にこの場から去ろうとしている彼の名を呼んだ。
レッドは楽しそうに笑いながら恋火のほうを振り向いた。
「はは。あんたに名前を呼ばれたのは初めてだ。嬉しいよ。風楽の気持ちがわかる」
「じゃあもう呼ばない」
「ふっ」
「ねえ、その子と一緒にここに残ればいいと思う。それじゃあ駄目なの?」
「まだ産まれたての赤ん坊の世界をほったらかしにはできないだろ? それに、この子にとってもそのほうがいいと思う」
レッドは手を繋いで隣に立っている心空の頭を優しく撫でた。
心空が振り返って恋火のことを見た。
しばらく見つめ合った後、心空がレッドの手を離して恋火に向かって駆けてきた。
恋火は飛び込んできた心空を抱きとめる。
この子はこの小さな体にどれだけの悲しみを抱えて生きたのだろうか。
世界は残酷だった。それは、人間の心を反映している。
魂はまだまだ成長を繰り返さないといけない。そのための時間ならある。
恋火の体にその小さな腕を回している心空が顔を上げた。
その顔に、笑顔の花が咲いていた。これまで目にしてきたものとは違う、心からの本物の笑顔。
心空は自分たちにとっての五番目の魂だった。
「空」に属する、虚空の魂。
「さようなら」
恋火の言葉に、心空が手を振り返した。
レッドと手を繋ぎ、歩いていく。
新しい大樹が築く世界に。
そして世界は閉じた。
空間の歪みが治まっていく。
普段の転生の間が戻ってきた。相変わらず周りに雲は渦巻いているが、それは白く、流れも緩やかだ。
恋火と風楽と水羽と愛地の四人は、しばらく言葉もなく物思いに耽った。
空中から転生の間に上がってくるものがあった。二羽のカラスだった。
それは恋火たちの前に降り立ち、人の姿をとる。
「終わったか?」
ジジが尋ねてきた。恋火はジジのあの狂気の様子が記憶に新しいのでつい身構えた。
「私たちを捕まえに来たの?」
「何か後ろめたいことでもあるのか?」
「つまみ食いをしたとか?」
「お前たちは世界を救った。それに、ニニも」
「私たちは何もしてない。ただ、世界がそう望んだだけ」
「ふーん」
「なに?」
恋火が問いかけるが、ジジは何も言わなかった。
かわりにニニが一歩進み出る。
「そこのあなた」
ニニが風楽のことを指差した。
「僕が何か?」
「あなたを新しい司書に任命したい」
「司書? 僕がレッドさんの代わり?」
「あなたならいい加減だったレッドより向いていると思うけど」
「お断りしますよ」
「なぜ?」
「だってそんなことしてたら恋火さんと一緒にいられないじゃないですか」
風楽は当然だという顔を恋火に向けてくる。それに対し一体どう反応しろというのか。
「よし、わかった。じゃあお前らとっとと出ていけ」
ジジが黒い傘でパンパンと床を叩いた。
「この転生の間はしばらくメンテナンスを行う。誤ってどこか奇妙な異空間に転生したくはないだろう?」
「恋火さんと一緒なら僕はそれでも大丈夫ですよ」
「私は嫌だ」
「ガーン」
水羽と愛地が笑った。
「あれ? でもさ、出てけっつったって、もしかしてこの階段を延々下まで下りてくの?」
水羽が指摘する。転生する際にはその階段を延々上ってくるわけだが、今の自分たちはもうくたくただ。魂だって疲れるのだ。
「いや、大丈夫だ。あれがある」
愛地がレトロな型の空飛ぶ車を指差した。そう、自分たちはこれに乗ってここまできたのだ。もうこれの持ち主はこの世界にいないのだから、勝手に使ったって大丈夫だろう。
愛地が運転席、水羽が助手席、恋火と風楽が後部座席に乗り込んだ。この配置は現世の異国の地で星を見たあの夜と同じだ。
「運転代わろうか?」
恋火は愛地に提案した。彼は今、左腕を負傷しているようだったから。
「やめとけ」
「やめて」
「やめてください」
三人が一斉に恋火の案を却下した。
「どうして?」
「恋火さんが運転する車なんて怖くて誰も乗れませんよ」
「心外だな。これでも安全運転するよ」
「だとしても、きっと永久に目的地に辿り着けないだろ」
恋火は少し腹が立ったが、べつに運転したいわけでもないので黙ることにした。
「そういやこれ、空飛ぶんだよな。まあ適当にやりゃあ大丈夫か」
そう言って愛地はエンジンをかけ、発車した。車体が浮き上がり、前進する。
去り際、恋火は後方を振り返って転生の間を見た。
ジジとニニが揃ってコミカルなダンスを踊っている。果たしてあれがメンテナンスなのだろうか。
恋火は転生の間のさらに上空、何もない空を見上げた。
この世界から去った彼と彼女のことを考えた。
少しだけ、もしかするともう少し多くの、寂しさを感じた。
だけど、彼らのために祈るとしよう。
新しく生まれた世界に幸せが待っていることを。
空飛ぶ車で
「エンストだ」
「嘘でしょ!?」
車体が急激に大地へ引き寄せられていく。どのみちそちらに向かうつもりだったが、スピードが速すぎる。
「恋火さん!」
「駄目だ。この世の終わりだ」
恋火は普段は吐かない後ろ向きな言葉を呟いた。だから高いところは嫌なのだ。いつだって落ちてしまう可能性があるのだから。恋火は今すぐ意識を手放してしまいそうだった。
愛地が何度もエンジンの再噴射を試みるが、かかる様子はない。レッドのとんでもない置き土産だ。
車体が下降を続けいよいよ地面とのご対面、熱い接吻を交わす頃合いに、突然車体がポヨンと上に飛び跳ねた。車はその勢いで一度宙返りをして、地面に着地した。
大地との衝突で恋火たちもろとも破滅を辿るはずだった車体はまったくの無事だ。
車の外を見ると、とんでもなく大きなカエルがほっぺの鳴き袋をぷくーっと膨らませながらこちらを見つめていた。どうやらあのカエルがクッションとなって衝撃を和らげてくれたらしい。大きなカエルのすぐ近くで見覚えのある小さなカエルがちょこちょこ飛び跳ねている。蛇に食べられそうだったところを恋火が助けたカエルだ。そのカエルは親指、と呼ぶのかはわからないが三本の指のうちの端の指をグッと立てて恋火に向けた。恋火も落下の恐怖に引きつっている顔にどうにか微笑みを作成し、カエルに向かって同じ仕草を返した。
ようやく無事に
四人は、螺旋の塔が眺められる
四人揃って芝生の上に腰を下ろす。
草木の匂いが香る。風が気持ちいい。
「次の僕たちの生には一体どんな出来事が待っているのでしょうか」
風楽が誰へともなく呟いた。
「さあ?」
恋火はあっさりとした反応を返す。そんなこと当然知る由もない。楽しいこともあれば苦しいこともあると思う。できたら、楽しいことが多いといいなとは思う。
「僕たちは、今回の生で何かを成し遂げることができたのでしょうか」
恋火は自分たちがそれぞれ辿った現世の旅の結末を思い返す。
四人それぞれが望んだ形で終わりを迎えられたとは到底思えない。往々にして人生とはそういうものだ。自分の思い通りに動かせるものではない。
ただその中で、自分たちが何かを信じ、考え、起こした行動は、意味のあったもののように感じる。他人にとっては取るに足らないものかもしれないが、自分たちの
「恋火さん」
風楽が少し驚いた顔で恋火を見ていた。
なにかと思っていると、恋火が着ている黒いドレスが白い光を放っていた。一瞬強い光が放たれ、目をすがめた後もう一度確認すると、ドレスの色が黒から白へ変化していた。
あの黒は、死神たちが刻んだ印だったのかもしれない。ブラックリストというやつだ。そのリストから今外されたということだろうか。べつにもうなんでもよかった。
このドレスの色の変化をもって、なんとなく、今回の一連の出来事が終幕したような気がした。
転生の間はメンテナンス(なのか?)を行うということもあり、自分たちはしばらく
恋火は右手に温もりを感じた。
見ると、風楽が彼女の手を握って、嬉しそうに微笑んでいた。
恋火もつられて、つい微笑んでしまう。
庭に吹く風は、今日も心地良かった。
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