心音カデンツァ

冬原水稀

心音カデンツァ

 静かな街。夕日を抱き始めた、静かな静かな街。

 人々──正しくは人型の新式アンドロイド──の話し声。小鳥──正しくは動物型の新式アンドロイド──の囀り。街には、「街の音」が溢れているけれど。

 それでも静かな街。

 余計な音が無いからだ。この街には、世界には、無駄な音なんて一つもない。全部全部、コアおじさんが取り除いてくれたから。


 タッタッ、ドクドクドク!!


 だから皆、僕を振り返る。眉に皺を寄せて、「不快感」を全力で露わにした顔で、僕を見る。アンドロイドに感情らしいものが出来たのは本当に、人間の科学の結晶なんだろうな。ほんと、凄いや。そのせいで今、疎まれているけれど。

 僕も皆と同じアンドロイド。名前はキュウ。

 走れば、「走る音」がする。走れば体に必要な酸素量が増加し、そのため全身への血流循環が活発化・心拍数が上がり、「心音」がする。僕は存在するだけで、それらの音を生み出す。

 旧式のアンドロイドだからだ。



   ***



 ──僕も知らない昔話。アンドロイドが世界の大半を占めるもっと前。人類は後退の一途を辿った。その原因は曖昧。宇宙人に八割連れてかれたとか、不治の感染症が蔓延しただとか、環境汚染食料飢餓天変地異等々、都市伝説めいた話の噂市場。アンドロイドなのに曖昧はおかしいって? アンドロイドにもうろ覚えだってあるさ。そういう風に、作られたんだもの。

 残った人間は、寂しかったんだろうね。それまで「人間を超える」「人間の活動を助ける」が目的だったAI技術の研究が、「人間に限りなく近く、寄り添ってくれる」に目的がシフトしたんだ。感情搭載の研究。鼓動、「人間らしい生活音」の機能。生まれた後、個性を発現させる電子信号のナントカ。そうして生まれ、増産されたのが僕たち。今いるモノたちと比較して、「旧式アンドロイド」と呼ばれている。

 上手くいったみたいで、彼らは人間に寄り添った。そして社会を回すため、どんどん同胞を増やしていった。減る人類。有性生殖でないアンドロイド。子孫が出来ないからね。こうして世界はもう一度活発になった。いつしか人間よりアンドロイドの数が上回ったみたいだけど、それでも良かったみたい。

 減る人間。増えるアンドロイド。人間は減る、減る、減る。



「コアおじさん」

 僕は名前を呼び掛けながら、部屋の扉を開けた。

 木製の家。ダークブラウンに統一された部屋、真ん中にポツリ、少し灰にくすんだ白のベッド。側には小さなテーブル、椅子が一つずつ。それから、小さい戸棚。それだけ。地味だけれど、落ち着く木の香りが、部屋いっぱいに立ち込めていて僕は好きだ。部屋の中で一番目立つ、と言っていいベッド脇の大きな窓は夜の色に塗られていた。

 ベッドの上に寝たきりのコアおじさんは、顔をゆっくり、こちらに向けてくれる。

「おかえり、キュウ」

「ただいま。ねぇ、何か食えそう? 焼き立てのパン買ってきたんだよ。スープに付けてしなしなにすれば食べれないかなぁ……あ、待って今日すごい星見えるじゃん!」

「キュウ」

「待ってて、ホットミルク飲みたい気分になってきた。作ってくる!」

 パタパタ、台所に駆け込む。ザラメを零したみたいなきらきらの夜空を見ながら、天の川を濃厚に閉じ込めたみたいなホットミルクを飲む。うん。我ながら天才な気がする。

 パタパタ、零さないように部屋に戻ってくる。ベッド脇の椅子に座った。白い髭の下、コアおじさんの唇に、微笑みが乗る。

「キュウは今日も、そそっかしいなぁ」

「コアおじさんがそう作ったんでしょ」

「いーや。例え人間でも、そうだったと思うなぁ」

 ホットミルクを一口飲む僕に、ふふ、と笑うコアおじさん。

 抗議したいところだけれど、こうして笑う時のコアおじさんの目は優しいから、まぁいいか、なんて思ってしまう。目尻に出来る皺。重力に垂れた顔を、震わせて笑う。人間のコアおじさん……この世界、に残る人間。

 僕は、コアおじさんの手をそっと握った。温かい。僕も、温かい。そう作られた。限りなく人に近い、僕。

 けれどコアおじさんと違って、分かってしまうこともある。

 体温。血圧。脈拍。大体の体調。電気信号。──推定の、残された時間。

 でもきっと、それはコアおじさん自身も分かっているのかもな。

「キュウ?」

「ううん。……コアおじさんの手、あったかくて、安心するね」

「あぁ……」

 だからこうして、穏やかな顔で見つめ返してくれるんだと、思う。

「私も、安心するよ。お前の心音を聞いていると」

 そう言うと、彼の視線は僕から、パンへと移った。「あ、食べる?」と尋ねる。「とても小さく、千切ってくれ」と、返答。

 ピシ。

 パンを千切るのに音なんて無いけれど、ヒビの入る音。そんな感じ。想像すると、楽しい。ピリピリ、プッツン。焼いた小麦粉の繊維が千切れる。その白い断面から、ぷ~んと焼き立ての匂い。こんがり、表面の焦げ目の視覚と絡んで、柔らかい舌触りを想像した。「これは美味しいパン」と、五感が言う。どきどきどき、心臓だって高鳴る。大げさじゃない。

 僕の生きる目の前の景色は、こんなに鮮やかで、素敵だ。

「今日はね、最終確認作業がようやく終わったんだ……無事に、皆を新式アンドロイドに一新できたようだ……」

「お疲れ様。ひどいよね、老体に鞭打ってでも、皆コアおじさんに働かせようとするんだよ」

「仕方ないさ……。人間だって、体に不具合があれば治したいと思う。アンドロイドだって、不具合があれば直したいと、思う。彼らは最早自分を自分で修理出来るが、旧式から新式への移行は、人間の手でなければどうしても成しえないからな」

「皆のあれは不具合っていうか不満でしょ、ただの……っていうか旧式は不具合じゃないし!!」

 パンを自分の口に。コアおじさんの口に。

 運びながら言葉を交わす。僕が口を尖らせると、コアおじさんは少し慌てた。「すまん、そういうつもりでは……」のち、咳き込む。今度は僕が慌てた。

「ごめんごめん。冗談。コアおじさんがそう思ってないことは知ってるから」

 丸まった、揺れる背中を撫でる。

 夕日がゆっくり落ちて、やがて消えるように。彼の体は弱っていく。今浅くともしっかり脈打つ音も、いつかは無くなる。……コアおじさんと出会ってから、ずっと分かっていたことだ。

 窓の外は素知らぬ顔で、先程まで空に浮かべた太陽など忘れたように月星を輝かせる。寂しくて苦しいけど、静かな夜は、良い。触れればしっかり、心音が聞こえてくるから。

「……ふぅ、すまんね。それにしても、キュウは珍しい子だった。……唯一、新式になることを望まなかった」

 頭を撫でてくれる手。「コアおじさんとずっと一緒にいたからだよ」。心の中でそう返す。



 ──減る人間。増えるアンドロイド。人間は減る、減る、減る。

 世界に残る人間が数人となった時、「人間と寄り添う」という目的を失くしたアンドロイドは、自身のために生きるようになった。そして、「人間と寄り添う」際には絶対的とされていた機能の、排除を望むようになる。


 『心音を打ち鳴らす機能』。


 これは、人間が何より必要としていた。けれど、アンドロイドにとっては不要だった。当たり前だ。アンドロイドに血流循環なんてない。脈拍がある必要性がない。寧ろ心音の乱れで嘘・疲れ・緊張・好意嫌悪が分かってしまう、無い方が良いもの。取り除けるなら取り除くが、アンドロイドが自身で弄ることを許されていない部分でもあった。

 そして、このアンドロイドたちの願いを叶えてくれたのが、科学者のコアおじさんだった。

 彼は当時存在したアンドロイド、希望者全ての心音機能排除に取り掛かった。膨大な数。疲労。老いていく体。実に17年にも及ぶ作業。コアおじさんはそれでも、一言も文句は言わなかった。「生んだ人間の義務だ」と言う。

 この、心音等を排除したものを新式と呼び、以前のものは旧式と呼んだ。世界から、「無駄な音」は消え失せた。無駄な心音など聴こえなくなって、さぞ暮らしやすくなっただろう。僕だけがこの「無駄な音」を打ち鳴らし、響かせている。



「キュウは、新式にならなくて本当に良かったのかい? もう、私は……」

「良いんだよ。何度も言ったでしょ?」

 手を握る。

 コアおじさんは、結局小さく小さく千切ったパンを三口しか食さなかった。

 彼の細まった目が、ふと窓の外へ向く。


「私は、私はね……キュウがいてくれて、本当に嬉しいんだ」


 一言一言、発するだけでも重い体。


「確かに、体の音……心臓が奏でる音など、無駄かもしれない」


 だからだろうか。言葉の一音一音に、重さと優しさばかりが乗る。


「眠れない夜、鼓動が辛いんだ。耳の奥、離れなくて仕方がない。煩かった。一人で聴く一人の心音は、とても孤独だった。何かに怯えた日も、泣いた日も、恋をした日も、隠しておきたいことも、関係なく、心音は全部、『ほんとう』を私に知らせてしまう」


 手が握り返される。


「それでも、『となり』を教えてくれるんだ。今、私の目が開かなくても、キュウがここにいると分かる。パタパタと家の中を駆け回る音も、私に届く。そういう時、とても安心する……。孤独を囁くこいつは、孤独じゃないとも、教えてくれるんだ」


 僕は頷く。

 分かる。分かるよ。だから僕は今、こんなに寂しいんだ。もうすぐ、心音が僕一人のものになるから。でもその分、たくさんのかなしみが感じられること、コアおじさんの音を懐かしめること、僕は誇りに思うよ。全部、僕が鼓動を持っているからなんだ。

「心音機能は、それだけでエネルギーを使う。新式のアンドロイドより、故障もきっと早い。生きる上ではただの枷だ。それでも、私は……」

 コアおじさんの目尻から、透明なものがひとつ流れ落ちる。


「私は、君が旧式で良かった……」


 流れ星のように流れ落ちたそれに、僕は小さく願いを込めた。

 どうか、他者のために頑張った優しいコアおじさんが、優しい場所に行けますように。

 コアおじさんと同じものを流したかったけれど、それは必死に我慢する。でも鼓動がそれを拾って、ほんとうのこと、コアおじさんに教えちゃうかもしれないな。不安。悲しみ。寂しさ。でも、それでも良い。だって僕は。

 微笑んだ。


「僕も、僕が旧式のままで良かった」


 この音は、無くなると思えば遣り切れない。

 でも、僕もコアおじさんも、まだ生きてるって分かる。

 置きっぱなしにして、結局一口しか口にしていない、煙の無くなったホットミルク。あれよりも、僕らはまだ温かい。

 星は瞬く。静かな時間は、夜を閉じるまでずっと側にいた。どこかで星が零れても、月が雫を落としても、毎日を続けるために、朝は来る。僕は互いの心音に、耳を澄ませていた。人間の詩や文章で、「ふたりの鼓動が重なる」という表現を見たことがある。

 何だ、とても、素敵な表現じゃないか。



   ***



 スタスタ、トクトクトク。

 歩く人が僕を振り返る。街の人も街の人で、もう僕のことは慣れてしまったらしく、こんな視線を受けるのも時折になった。慣れた人も、「変なやつ」って思ってることには違いないけれど。

「相変わらず、お前さんはそこにいるだけで騒がしいねぇ……」

「その音が近付いてくると、キュウが近くにいるって分かるんだよな」

 言われる度に、僕は笑ってしまう。

 そう、僕はここにいるんだ。



 もう誰とも重なることのない心音を響かせながら、僕は日々を歩いていく。






✾カデンツァ……独奏

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