第6話 後編 AFTER ALL(2)

 屋敷に戻ってからの彼女は、ちょっとした焦りが生じていた。あの調子だとデギンもギレンも、キャスバルの捜索に力を入れそうだ。今はごまかしているが、いずれ手が伸びる。

 当初の計画通り、さっさと脱出させないと。彼女はキャスバルに亡命の用意をさせた。

 有無は言わせない。キャスバルはキシリアの見目に気圧されたか、黙って従った。

 屋敷内でキャスバルのことを知っているのは、幸い少数の召使いとガルマを除いていない。キシリアはガルマを呼び出した。

「ねえガルマ。覚えているでしょう、頭に紙袋かぶった男の子のこと」

「うん。キャスバ……」

「言うんじゃないの。他の人に喋ってないでしょうね」

「喋った方がいいの?」

「よくない。男の子のことをね、父上や兄上に知られたら可哀想なことになるのよ。あの子はねえ、お父さんが亡くなってからとても大変だったんだから、しばらくゆっくりしてもらう必要があるのよ」

「あ、だからうちに呼んだんだ」

「ちょっと違う。とにかくもっと遠いところに行ってもらって、安全に暮らすことになるから、ガルマも協力して」

 弟はいまいち呑み込めていない様子ではあったが、とりあえずうなずいていた。

「なにをすればいいの?」

「父上に、今日は友達と遊ぶと言いなさい」

 ガルマは言う通りにした。

 友人の数は少ないが、いないわけではない。弟に招待させ、その間に事情を察している召使いにさらなる口止めをする。

 屋敷にやってきた子供たちは少人数だが騒がしかった。なるべくうるさそうなのを呼べと言っておいたのだ。疲れるまで遊ばせると、そのまま帰すのは危険だからと車を呼ぶ。

 子供たちは騒ぎながら全員玄関から出た。その隙に、キャスバルを裏口からこっそり抜け出させた。

 キシリアは「子供たちは私が送ってくる」と告げる。ただしキャスバルはガルマの友人たちとは同乗させず、こっそり用意した車に乗せた。

 そのままランバ・ラルの住まいへ直行した。

 キャスバルの頭には例の段ボール製の仮面を被せた。そしてラルに引き合わせた。

「この子を少しの間、泊めてもらえますか」

 ラルはダンボール仮面のキャスバルを不審そうに眺める。

「……この少年はなんらかの罰を受けているのですか」

「あまり大きな声では言えませんが、もう一度亡命させる必要がありまして」

「亡命……? もしや」

 少年の名を口走りそうになったラルを、キシリアは止める。

「わけあって亡命ができなかったんです。今度こそ成功させますから、少し身を預けさせてください」

「でしたらこの後もお手伝いしましょう」

「これ以上迷惑かけられません。泊めてもらえるだけで十分です」

「せめてこのアイマスクは取ってもらった方が」

「それはそうなんですが、本人に慣れてもらわないと」

 キャスバルはずっと着けることになるのだから、今のうちに違和感をなくさせるのが良い、という発想であった。

 くれぐれもよろしくお願いしますとラルに言い、キシリアは屋敷に戻る。なにもなかったふりをして夕食をとった。

 食事の席でガルマの様子をうかがったが、余計なことは喋っていないようだ。ほっとし、このまま父と兄がキャスバルの存在を忘れてくれることを願った。

 キシリアの願望とは正反対に、デギンもギレンもキャスバルのことを覚えていた。ギレンは幾度かキシリアに訊ねた。

「キャスバルはどうなっているのだ。警察も入国管理局も見つけられない。連絡はないのか」

「ほら、子供って隠れんぼが得意だから」

「隠れていようと、空腹になったら出てくるものだろう」

 ギレンは言外に、衣食住を提供している人間がいるのでは、と語っていた。キシリアはとぼけるしかない。

「共和国警察が総力を挙げても見つからないなら、もうここにいないんじゃないですか」

「痕跡くらいはあっていいのだが……あきらめて次善の策を考える必要も出てきた」

 これはデギンも同じで、混乱の続く共和国政治を一新させるため、公国制へ気持ちが傾いていた。キャスバルがいないとなると、公国の旗頭はザビ家から出すことになる。意見を同じにする者を集め、ザビ家の派閥は急速に大きくなっていた。

「軍の支持もとりつけている」

 あるときギレンは、キシリアに語った。

「予算を増やしたのだから厚意を持つのは当たり前だがな」

「もっと増やしましょう、もっと」

 ギレンが胡散うさん臭そうな目を向ける。

「また手形とか言い出すのではあるまいな」

「無制限に発行しちゃいますか」

「だから限度があるのだ」

「でもこのままだと兵力が少なすぎて、ルウムで勝つこともできませんよ。もっと軍事費出しましょう」

「国家財政は無限ではない。そういうのは自分の財布でやれ」

 キシリアは少し考えた。そこまで言うなら、自分でなんとかするしかない。

「……ええと、実は月に行きたいんですが」

「前に、月は砂っぽくて服が汚れるから、太陽系外に追い出せと言ってなかったか?」

「わあ言いそう。いえ、考えが変わったんです。グラナダの市長に葬儀出席の御礼を伝えたいんで、船貸してください」

「ずいぶん殊勝になったな。いいだろう」

 キシリアはパプアを一隻使わせてもらうことになった。去り際、ギレンは言い添えた。

「ああそうだ。月なら、ドズルとガルマも連れていけ」

「え。なんでですか」

「二人とも家にいることが多いからな。グラナダを見物させるのもいいだろう」

「グラナダってそんなに見るところありましたっけ」

「こっちで事故にでも遭ったら困る」

「事故って……あ、あー」

 ぴんと来た。これは断るわけにはいかない。

 キシリアはギレンの前から離れると、ドズルとガルマを呼び出す。

「月旅行するから用意して」

「いいけど……月?」

 ドズルが不思議そうにする。

「キシリアが行くってことは、パーティーでもあるのか?」

「別にない。あんたたちを連れて行けって言われたの」

「じゃあ父上たちは来ないのか」

 それには答えず、とにかく用意しておくようにとだけ伝えた。

 それからミノフスキーに連絡を取り、かねてから予定の行動を取るよう頼む。さらにキャスバルも連れだした。

 ラルは心配して、付いていくと言い出した。

「なにかあったら大変でしょう。手を回します」

「いえいえ、あまり繰り返すとラルさんが目を付けられますよ。一生日陰者で、モビルスーツに乗れなくなっちゃいます」

「噂の最新鋭兵器ですか。元々乗れるとも思ってはいないので」

「絶対に乗ります。私が無理にでも転属させます。それはそれとして、ありがとうございました」

 彼女は用意した車に乗せた。

 車は黒塗りで大きく、運転席と後部座席の間はプライバシー配慮のため遮られている。運転手も口の堅い者を選んだ。

 先に乗り込んだキャスバルが驚く。すでにミノフスキーが乗っていた。

「これはキャスバル様。ミノフスキーと申します」

 キャスバルは仮面を着けたままキシリアを見る。彼女は首を振り、無言で「返事をしないように」と伝えた。

「博士、一応この場にいないことになってますので、空気と同じだと思ってください」

 ミノフスキーではなくキャスバルが言った。

「僕、空気なんですか」

「だから喋るんじゃないの」

「すみません、気になって……。どうして月に行くのですか?」

「直接地球は警戒されるから、他の所を使うのよ。私も用事すませられるし」

「でしたらフォン・ブラウンでもよかったと思います」

「フォン・ブラウンは駄目。グラナダが最高」

 キシリアは言い切った。

「着いたらね、市長に会うから」

 ミノフスキーが聞き返す。

「市長とは、グラナダの市長ですか?」

「そうです。市長が全面バックアップしてくれれば、怖いものなんかありませんよ」

「承諾しておいてなんですが、グラナダ市長は市の利益のみで動く人物です。厚意では手伝ってもらえないでしょう」

「まあそのへんは、なんとかします」

 キシリアは手荷物を探り、アイマスクとヘルメットを取り出す。キャスバルがかぶっているのと同じく、段ボール製で、彼女が適当に作ったものだ。

「はいこれ。博士もかぶってください」

「……どうして私まで」

「顔を隠す理由ができました」

 車はコロニー宇宙港の、特別デッキに到着した。ここは要人向けのもので、警護は厳重だが監視カメラは設置されていない。そして警備員も、外部からの襲撃には対応しても、入出国の人物はスルーするよう訓練されている。キシリアはこれを利用して二人を出国させるつもりであった。

 宇宙港ではパプアが待機していた。一年戦争時のパプアは旧式扱いだが、この時代ならまだまだ第一線級だ。民間船ではないので手厚いアテンドはないが、それは仕方ない。

 客室代わりに用意してもらったスペースに、二人を案内する。

「マスクは取らないで」

「それは……」

「今に分かるから」

 キャスバルの台詞を封じる。しばらくするとドズルとガルマがやってくる。

ドズルはマスク姿のキャスバルとミノフスキーを見て、同時に目を丸くしていた。

「な、なんだあれ」

「失礼ね。同乗者よ。迷惑かけないように」

「いや、マスクを着けてる理由……」

「恰好いいからよ」

 反論を許さない態度で言い切った。

 ドズルとガルマは、居心地悪そうにしながら部屋の片隅に腰を下ろした。

 パプアはゆっくりと宇宙港を離れた。窓の外を無数の星がまたたく。キシリアは転生してから宇宙船に乗ったことがなかったので、全てが新鮮であった。

「はー、窓の外に星がたくさんある。月がでかい。へー」

 ただひたすら感心して、眺める。通常の軍艦は防御の関係上、窓の数は極力減らすが、ここは来客も想定しているスペースなので存在していた。

 キャスバルとミノフスキーは大人しい。どちらも宇宙に慣れているのと、サイド3から永久に離れるという現実で、緊張が続いている。

 ドズルとガルマはどうしたものかといった感じで、もぞもぞしている。

「ねえ姉上、あの人たちは……」

「訊くんじゃないの」

「やっぱりキャスバ……」

「静かに」

「なんで僕たちと一緒の船なの?」

「向こうが先。あんたたちと同乗する羽目になったのよ」

 ガルマはよく分からないといった顔をしていた。キシリアは少し考えてからドズルも呼び、小声で説明する。

「つまりね、父上と兄上は、あんたたち二人と私の三人を、ジオン共和国から遠ざける必要があったの。はっきり説明されたわけじゃないけど、ここ数日のうちに、共和国が公国になるわ」

 ガルマはまだ「分からない」という顔だ。ドズルは理解していたので、彼女は話を続ける。

「公国の元首はお父様。つまりザビ家が全てを仕切るの。うまく成功すればいいけど、失敗したら私たちも含めて全員逮捕される可能性もある。万が一に備えて、月へ逃したのよ」

「最近ぴりぴりしてると思ったら、そんなことが」

「父上も兄上も、やる気を固めたってこと」

 パプアは加速をおこなう。月への最短コースを取っていた。

 キシリアは頻繁にサイド3の情勢を確認していたが、まだいつもと変わらないようであった。

 グラナダの宇宙港に到着。キシリアはキャスバルとミノフスキーを近くのホテルに泊める。

「ドスルとガルマは適当に遊んできなさい」

「姉上は?」

「やることあるから」

 キシリアは市庁舎へ向かった。

 グラナダ市長とはダイクン葬儀のときに面識があった。葬儀出席に便宜を図ったため、喜んでキシリアと面会してくれた。

 グラナダの市長室からは、市街がよく見えた。有害な宇宙線を防ぐため、建物自体は地下にある。

 当たり障りのない挨拶の後、キシリアは本題に入った。

「実はお願いしたいことがあって」

「キシリア様の同行者のことですか?」

 女性市長の言葉に、キシリアは虚を突かれた。

「知ってるんですか!?」

「グラナダにやって来る人の中でも、特に重要人物のチェックは欠かしていません」

「でしたら話は早い。二人を亡命させたいんです。臨時のグラナダ市の職員にすれば、第三国の所属になって手出しができません。御協力お願いします」

 亡命するための細かい理由は言わず、情に訴えることもしなかった。『ガンダム』のストーリーを説明したところで意味はない。

 市長も細かく訊かなかった。

「二人を地球圏に逃すためには直接ではなく、まずグラナダを経由させる。それは分かります。しかし我がグラナダにとってどのようなメリットが?」

「一種の投資だと思ってください。ジオン共和国というより、私に」

 つまり、今のうちに恩を売っておけと言っているのである。キシリアは曲がりなりにもジオン共和国有数の家柄の娘である。家格と共に権力者としてのオーラもあった。かつてはファッションと音楽に耽溺していたので発揮されることはなかったが、転生者となってから存分に発揮されていた。

 そんな人物が自分に投資しろと言ってるのだから、耳を貸す気になるのもある意味当然であった。

「見返りが聞きたいですね」

「実はジオン共和国で政変が起こります。ダイクン派は一掃され、ザビ家とザビ家を支持する者が主流となります。私と繋がりを持っておいた方が得です」

「総選挙……ではないようですね」

「国防のため、軍の大幅増強もはじまるでしょう。グラナダにも発注します」

 発注金額は膨大なものになるはずだ。十分に儲けて欲しいとの意味であった。

 対面しているグラナダ市長はにこやかな表情を崩さない。だが頭の中では損益計算書がひっきりなしに書き換えられているはずである。

「……我が市が共和国との貿易を強化するのは、地球連邦政府が快く思わないでしょう」

「心配でしたらジオニック社……あー、そういうのがあるんですけど、フォン・ブラウンあたりに合弁会社を作らせて、迂回させればいいです。元々グラナダ市はサイド3と関係が深いですから、いちいち気にしませんよ」

「そうまでして軍備を増強させるのですか?」

「地球連邦政府の圧力を撥ね返すには、やはり自衛手段が必要ですから」

 グラナダ市長は言葉を返さず、キシリアをじっと見つめた。

 キシリアは市長の視線を平然と受け止めた。だが内心はいささかの焦りが生まれている。さあここからだ。市長は明らかに「開戦するのでは」と考えている。もちろんジオンから攻撃を仕掛けるのは歴史的というかストーリー上の事実だが、今の段階では口にできない。

 とはいえ、開戦しないと言って素直に信じるほど市長も愚かではあるまい。むしろ嘘をつかれたからと支援を切る可能性もある。色々と察してくれ、というのがキシリアの態度だった。

 市長はなおもキシリアに視線を向けていたが、少しだけ息を吐いた。

「仮の話ですが、地球連邦政府とジオン共和国の間でなんらかのいさかいが起こったとき、グラナダが巻きこまれるのは反対です」

「それはないと約束できます」

 キシリアは言い切った。

「私も仮の話をしますけど、グラナダがなにをしようと、戦場になることはないです。ドンパチするのは地球と宇宙要塞です。小説版は別ですが、私が言ってるのはテレビ版の話ですから」

「いまいち意味が不明ですが……つまり市の安全は保障されていると解釈してよいと」

「そういうことです」

 市長の緊張が解けた。

「ならば安心できます。なるべくキシリア様のご意向に沿えるようにしましょう。お二人のこともご心配なさらず」

「ありがとうございます。なにかあったらぜひ私のところへ」

 キシリアもにこりとした。

 そしてホテルへ戻る。ミノフスキーとキャスバルは、マスクを外して待っていた。

「グラナダをおさらばするわよ」

 パプアは使わず、グラナダ宇宙港発の民間船に乗せるつもりだった。念のため、二人にはもう一度マスクを着けさせる。

 さて宇宙港へと思っていたら、端末にガルマから連絡があった。

『姉上、キャスバ……マスクの子はもう行っちゃうの?』

「すぐ出るけど」

『僕もそっちに行く』

 キシリアがなにか言うひまもなく電話は切れ、ガルマはほどなくやってきた。

 走ってきたのか息は荒い。同行してきたドズルも汗だくだった。

「ガルマが見送りたいって言ったんだ」

 汗を拭きながらドズルは言う。

「せっかく買ったチケットがパーだよ」

「早く早く」

 時間がない。急いで全員車に乗せた。

 グラナダの宇宙港では、市長の命令が効いているのか、手続きはスムーズだった。さすがにマスク姿はぎょっとされたので、二人にはゲートをくぐったら取っていいからと伝える。

「今度はちゃんと亡命しなさいよ」

 キャスバルに言う。

「今共和国に戻ると、かなり居心地悪いことになってるから」

 少年は真剣な表情で見返した。

「……僕の亡命が、キシリアさんの願いなんですね」

「まあね」

「じゃあ、行きます」

 キシリアはミノフスキーの方を向いた。

「博士、残した研究は地球で続けてください。テム・レイって人を頼るといいですよ」

「お知り合いなんですか」

「いえ全然」

 ミノフスキーはまだなにか訊きたそうにしていたが、キシリアはにこやかな表情と共に話を終わらせた。

 隣のガルマはなにも喋っていなかった。ただ一度だけ、キャスバルの手を強く握っていた。

 二人を搭乗ゲートにうながす。キャスバルは軽く手を振った。キシリアも振り返す。

「今度はザンジバルに乗って待ってるわよー」

 姿がゲートの奥に消えた。また戻ってこられてはたまらないので、今度はちゃんと出航するまで見送る。二人を乗せた宇宙船は、低速で港から離れていった。

 ガルマがキシリアの袖を引っ張る。

「姉上、キャスバルは地球へ行くんだよね」

「だから名前を言わない。あの子はこれが一番いいのよ」

「帰りたいって言わないかな」

「いずれ戻ってくるでしょうね。士官学校に入ると思う」

 なにげなく喋ったつもりだったが、ガルマはやや下を向き、考える仕草。

「……僕も士官学校に入ったら、またキャスバルに会えるかな」

 キシリアは弟を見返す。

「そうね。会えるわよ。でも約束して、再会してもキャスバルって呼ばないこと」

 ガルマは首を傾げる。キシリアは念を押すように言った。

「とにかくキャスバルは駄目だから」

「じゃあなんて呼べばいいの?」

「シャア」

 ガルマはますます不思議そうな顔をしていた。キシリアはドズルにも言う。

「あんたも覚えておいて。あの子が将来使える部下になっても、キャスバルとか言っちゃ駄目よ」

 ドズルが驚く。

「俺の部下? まさか」

「まさかが起こるのが宇宙世紀なのよ」

 キシリアは二人をうながし、パプアに乗り込んだ。

 パプアの艦長に、全員乗り込んだことを告げる。搭乗者が二人減っているが、そのあたりは言い含めている。民間宇宙船に遅れること一時間、パプアはサイド3へ向けて出航した。

 行きの時と同じ部屋に三人は乗っていた。今度は広々使える。

 ドズルとガルマは遊んだのと見送ったのが重なって疲れたのか、うとうとしはじめた。キシリアも眠かったが、目が冴えており、寝られない。

 パプアの艦橋へ向かう。艦長はこの船の実質的な命令権がキシリアにあることを知っており、拒絶しなかった。

 艦橋では数名の乗組員がきびきびと働いていた。キシリアに操艦を邪魔するつもりはない。本当は「二、三発撃ってみよう」と言いたかったが、さすがに自重した。

 代わりに言う。

「艦長、テレビ点けて」

 ジオン共和国国営放送がニュースをやっているはずだ。艦長はモニターに映した。

 画面の中では、生真面目そうなアナウンサーが抑揚に乏しい声で、同じ文面を読み上げていた。

『……本日をもちまして、ジオン共和国は公国への移行を宣言しました。初代公王にはデギン・ソド・ザビ氏が就任、故ジオン・ズム・ダイクン前首相の意志を受け継ぎ、スペースノイドの自治権確立のため地球連邦政府にいっそうの譲歩を求めるとの声明を発表しております。繰り返します。本日をもちまして、ジオン共和国は公国への移行を宣言……』

 艦長以下、乗組員たちは手を止めてモニターを見ている。キシリアは彼らと離れ、窓の外を眺めた。地球に向かって航行する、宇宙船の小さな噴射炎がはっきりと見えていた。


     ○


 ジオン公国と名を変えたサイド3に到着。ザビ家屋敷は、以前とは比べものにならないくらい、厳重に警備されていた。今までと同じように、こっそりと抜け出すことはもう不可能だろう。

 キシリアは自室に入ると、ベッドに倒れ込む。すぐに意識が暗転した。

 もはや何度目の出来事か、周囲が不安定になった。

 あたりになにも存在しない、ふわふわした場所。飛んでいるような、そうではない感覚。明かりはなく、どんよりとしている。ただ目の前に、光る輪っかだけがあった。

「亡命はうまくいったようだな」

「ついでにジオンを公国制にしたわよ」

 彼女は言う。

「まー、色々トラブルはあったけど、終わり良ければ全て良しね」

「お前を転生させたかいがあった。ダイクンがストーリーを混乱させたときはどうなるかと思ったが」

「どうよ、このリカバリー能力。同人で二次創作やってると、原作のなにげない描写を拾い上げてストーリーを作るのがうまくなんの」

「これからも転生させるときはオタク女にしよう」

 ジオン公国になったことだけではなく、モビルスーツ開発にグラナダ市の籠絡と、テレビ版ストーリーに向けての下準備はあらかた整った。キシリア自身にとっても、満足できる展開であった。

「ところでここってどうしてこんなに辛気くさいの? ニュータイプの会話ってもっとキラキラして、時が見えたりするんじゃない?」

「お前はニュータイプじゃないからだ」

「じゃあ、それはしょうがないとして」

 キシリアは不安定な足元にもかかわらず、身を乗り出した。

「で、なにかご褒美があるんでしょ」

「うむ。用意はしてある」

「実物大『ガンダム』じゃなければ、ガンプラの金型がいい」

「あんな重いもの、どうするつもりだ。お前をまた転生させてやろう」

「は?」

 思わず聞き返した。

「別の時間……え?」

「もっと先の時間に送る。テレビ版のストーリーがはじまる直前だ。モビルスーツが宇宙を飛び交っているぞ。嬉しいだろう」

「そりゃ嬉しいけど……なんか裏がありそうな気がする」

「鋭いな。実はあらかじめセンシングしたところ、ダイクンの気配を察知した」

「えっ!? あの女、まだいんの!?」

「いやダイクンの中身とはまたちょっと違うのだが、波動が似ている。ともかくストーリーが壊れるのはよくない。また元に戻して欲しい」

「なにそれ! そんなことよりザクに乗ってボールを蹴飛ばして過ごしたい!」

「うまくやってこい」

 輪っかの色が薄くなる。同時にキシリアの周囲が回転をはじめた。

「これがご褒美!? 納得いかないんだけど!」

「そうそう。今度のお前は今の姿のまま転生する。つまりキシリア・ザビ十三歳のまま一年戦争だ。十四歳だったか? 細かいことはいいな」

「よくないわよ! 小さいまんまだったら、みんなびっくりするでしょうが!」

「他人からは違和感なく見えるようになっているから、心配しなくて大丈夫だ。どうだ、我が力もたいしたものだろう」

「もっと他に力を使いなさいよーっ!!」

 身体が上に持ち上げられる。竜巻に巻きこまれるのがきっとこんな感じだ。上方に小さな点が見え、徐々に大きくなっていた。

「健闘を祈る」

「この詐欺師ー!」

 キシリアは穴に吸い込まれる。即座に穴は閉じ、輪っかも姿を消して、空間は文字通り無しか存在しなくなった。



『機動戦士ガンダム 異世界宇宙世紀 二十四歳職業OL、転生先でキシリアやってます 下巻』〈あわてて宇宙そらかける編〉につづく

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機動戦士ガンダム 異世界宇宙世紀 二十四歳職業OL、転生先でキシリアやってます 上 著:築地俊彦 原案:矢立肇・富野由悠季/KADOKAWA 単行本・ノベライズ総合 @official_contents

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