第6話 前編 AFTER ALL(1)

 その日、キシリアはミノフスキーと会っていた。

 場所は繁華街の裏手にある酒場である。バルやバーなどといった小洒落た空間ではなく、酔っ払いが壁に向かって放吟ほうぎんしていても誰もとがめないような場所だ。転生前はこの手のところでよくオタクトークをした。

 呼び出したのはキシリアである。ミノフスキーは渋ったが結局承諾した。サイド3にはこんなところもある。キシリアの中身は大人だが、外見は子供である。きちんとしたところでは見とがめられ、場合によっては通報されてしまう。子供だろうと大目に見てもらえるのはこういうところしかなかった。

 室内は人いきれと煙草の煙でもうもうとしている。ミノフスキーはビールを注文するなり訊いた。

「どうして私が亡命せねばならんのです?」

 キシリアは、水で数十倍に薄めてそうなオレンジジュースを頼むと、普通の調子で答える。

「だってそういうものでしょ?」

「意味がさっぱりです。理論を確立し、実用化も目処がつき、これからというときなのです」

 ミノフスキーはジョッキでやってきたビールをぐいと飲み干した。

「共和国軍備の飛躍的な発展も間違いないでしょう。研究を続けたかいがあったというもの。キシリア様は大恩あるお方ですが、まるで厄介払いのような」

「まあまあ」

 キシリアはなだめた。

「私としても、博士のような有為な人材を意味もなく追っ払おうとは思ってません」

「でしたら何故」

「もったいないですから。共和国だけが独占するのは」

 彼女は店員に、「このジャーキーください」と注文しながら言う。

「ミノフスキー理論は電力問題の改善だけではなく、人類の生存範囲拡大にも貢献するものと見ています。共和国だけが独占するのはためになりません」

「だったら地球連邦政府が、真っ当な方法でアプローチしてくればよろしい。公開論文ならアクセスも自由です」

 ミノフスキーはポテトサラダを頼み、会話がしばらく中断した。

 料理が届く。ポテトは農業コロニーで栽培した本物だが、ジャーキーはタンパク質を合成したものだ。地球連邦政府が貿易を一部で制限しているため、地球産の肉は手に入りにくくなったと言われている。

「地球連邦との間に緊張感が高まっているのは、博士もご存じでしょう」

 キシリアはジャーキーを齧った。

「誰があおっているのか知りませんが、共和国の内部や市民から、打倒地球連邦の声が上がっています。矛先がザビ家に向いているうちはいいんですが、このままだと民衆の怒りで開戦しそうな勢いです。あまりよくありません」

「メディア対策はザビ家の得意分野なのでは?」

「兄はあまり熱心じゃなくて……。問題は、つられて地球連邦政府の態度まで硬化していることです」

 非公式だが、地球連邦政府からザビ家の元へ、ジオン共和国内の世論を憂慮する発言が幾度も届けられていた。サイド3内にある地球連邦政府の所有する建物や人員になにかあったらたまらない、ということなのであろう。

 ジオン共和国の独立宣言そのものを地球連邦政府は認めていないが、渡航危険地域として中止勧告が出ている。最近それがサイド3全体まで広がった。共和国内の観光業には打撃であり、怒りが発生し、それを見た地球連邦政府の態度がまた硬化するという、負の連鎖が起こっていた。

「キシリア様は地球連邦との融和を考えているのですか? 共和国の軍備研究と増強に熱心でしたが」

「それはそれとして、将来のことも考えています」

 テレビ版『ガンダム』の将来だけど、と心の中で呟く。

「開戦を引き延ばすには、共和国側からの取り組みも必要と思いました。ミノフスキー博士が亡命すれば、地球連邦の怒りも和らぐでしょう」

「共和国は怒るでしょうに」

「兄にメディア対策を任せてもらうよう頼むつもりです。なんとかします」

 この世界のギレンはテレビ版と同じような頭脳を持っているものの、妙に物わかりのいいところもある。メディアに及び腰なら自分がやっちゃえ、と彼女は考えていた。

「向こうが受け入れるとは限らないでしょう」

「博士には亡命を受け入れるだけの価値があります。なにせ人類初の理論を打ち立てたんですから」

「褒められているのか、追い出されるのか分からなくなってきましたな」

「今の境遇に不満があるとも聞きましたけど?」

 ミノフスキーの眉がぴくりとする。

「……なぜそのような」

「こないだ見学に行ったとき、ジオニック社の研究者が漏らしていました。博士は業績に見合った待遇がされていないって」

「増額された予算は純粋に研究開発費のみに使われていて、研究員の年俸に反映されていないのです」

「まあ、私がモビルスーツだけに使えって何度も言いましたからねえ」

「地球に本社のある会社や大学から、高額のオファーがあることも事実です。だからと言って……」

「実は」

 キシリアは身を乗り出した。

「博士以外にも亡命させたい人がいます」

「亡命者の斡旋あっせんでもやっているんですか」

「キャスバル・レム・ダイクンです」

 ミノフスキーの目が見開く。危うく二杯目のジョッキを取り落としそうになっていた。

「なんと……本当ですか……!?」

「ザビ家は、近々ダイクン派への弾圧をはじめます。共和国に安全な場所はないのです。キャスバルは特に」

「妹御がいたはずですが……」

「アルテイシアの亡命はすでに成功させました。あとはキャスバルだけ」

 キシリアはいかにも他言無用という感じで、伝えた。

 ミノフスキーが亡命しないことには、地球連邦軍内でモビルスーツの生産がはじまらない。だから機会を見て地球に送るつもりであった。だったらいっそ、キャスバルもまとめて亡命させようと思いついたのであった。

 眼前の博士は目を白黒させていた。酒場でこんな大事を打ち明けられたのだから、無理もない。

 やがて目の色が真剣なものになっていく。

「……キシリア様はザビ家ではなく、ダイクン家の将来を考えているのですか?」

「ええ。そうしないとつじつまが……じゃなくて」

 キシリアはごまかすため、ジュースを口にした。

「ダイクンのニュータイプ思想はいずれ人類の生活圏全てに広がるでしょう。そのとき旗頭になるのはキャスバルです。彼が成年になるまでは余計なことを吹き込まず、地球で生活させておいた方がいいと思います」

「ザビ家に牙を剥くかもしれませんよ」

「共和国はダイクンの作ったものです。構いません」

 ミノフスキーは感銘を受けた、ように見えた。

 キシリアはただストーリーを『逆襲のシャア』あたりまでなぞったにすぎない。それでもミノフスキーにとっては家柄を超えた、私利私欲のない意見に聞こえたのであった。

 小さくうなずく。

「分かりました。キシリア様の共和国とダイクン家にかける思い、受け止めました」

 彼は残ったビールを飲み干した。

「しかし、具体的な方法はあるのですか」

「もちろん。これからお話しします」

 キシリアは声を潜める。大声が響く酒場の中で、この一角だけの密談はなおも続いていた。


     ○


 キシリアはキャスバルを「気絶してたんだから、しばらく大人しくしてて」とベッドに寝かせたままにしていた。いざとなったら縛り付けようかとも考えていたが、少年は言うとおりにしていた。

 さて問題はキシリアの家族である。キャスバルのことを知ったら、またぞろ国家元首にしてなどと言い出しかねない。

 かといって、キャスバルのことをいつまでも隠してはおけない。彼女は早めにザビ家の屋敷から、キャスバルを逃すつもりであった。

 しかし肝心のキャスバルに亡命する気がない。彼女は強引な手段を取ることにした。

「ねえキャスバル、亡命をやり直すわよ。今度こそ成功させるから安心して」

「えっ、僕は亡命するなんて……」

 キシリアは口に指を当て、静かにというサインを出した。

「あまり大声を出すと父上と兄上に気づかれるわ。あの二人はキャスバルを利用してダイクンの血を利用するつもりよ」

「別に構いませんけど」

「用が済んだら始末されちゃう。脱出のチャンスは今しかないの」

 キャスバルは首を傾げた。

「いい人たちに見えました」

「外見だけよ。中身は冷徹で非情で人でなし。なんたってコロニーレーザーのために住民を平気で追い出すんだから」

 そう説明しつつ、若干申し訳ない気分になる。デギンもギレンも、リアリズムの政治家ではあるのだが、本来のストーリーに比べればまだ人情に寄っていた。

「それにキャスバルも、気絶する前はやっぱり亡命するって言ってたじゃない」

「そうでしたっけ……?」

「そう。気絶したせいで忘れちゃった? 私に亡命の手助けして欲しいって言ってたわ」

 少年は頭に花瓶をぶつけられたせいで、前後の記憶が曖昧だ。納得のいかない顔をしていたが、やがて「そうだったかもしれません」と言った。

 キシリアはキャスバルに「ここでじっとしているように」と言い含めて、部屋から出た。

 彼女はデギンとギレンのいる共和国庁舎へ向かった。二晩がかりで描き上げた図と表を携える。

 道すがら、ちらちらと自分の後ろを注意した。ああは言ったものの、またキャスバルがついて来るのではと思ったのだが、さすがにそれはもうなかった。

 執務室で二人に会うなり、キシリアは言った。

「父上、兄上、例の共和国の将来についてですが……」

「おお、ダイクンの子息が見つかったのか」

 とデギン。二人はまだキャスバルを国の元首にすることを諦めていないようで、しきりと消息を知りたがっていた。

 キシリアはとぼけることにした。

「いやあ。分からないです」

「入国管理局から報告があったのだが、どうもアルテイシアらしい少女が地球に出国したらしい」

「なんて余計な報告」

「ただキャスバルは行かなかったらしい。防犯カメラに少年が戻る姿が映っている。キシリアのところに来る可能性も高い」

「高いなんてもんじゃ」

「もしかすると、また出国するかもしれない。手引きした者もいるので、いっそうの警戒が必要だ」

 デギンの言葉を、キシリアは顔に笑顔を貼りつかせたまま聞いていた。どいつもこいつも余計なことしやがってアホと思ったが、さすがに言えない。

 キシリアは内心を悟られないようにしつつ訊いた。

「それでですね、仮にキャスバルが見つからなかった場合、共和国はどうするんですか。どんどん世論が手を付けられなくなってるって聞きましたけど」

「対策がないではないが、決定的ではない」

「だったら」

 必要もないのに声を潜める。

「そろそろどうです、公国制への移行は?」

「あれか」

 デギンよりも、ギレンが渋い顔をする。

「実は検討してみた。有効な手段なのは確かだ」

 ダイクン死去以降のジオン共和国は単なる反地球連邦派に急進的反地球連邦派、融和派等に分かれ、それぞれの中ではザビ派と反ザビ派などが入り乱れ、混乱の一途をたどっていた。さらには世捨て人のような孤立主義と、木星に全てがあると主張する意味不明な派閥まで出現し、公安警察すら把握できないようになっていた。

 これらの大半はダイクン(に転生した女)の置き土産である。デギンとギレンはこのところ、後処理に奔走しているのであった。

「でしょ。公国制が一番いいんですよ」

 キシリアは言い切った。

「すでにザビ家当主の父上がダイクンの後継者です。意思を引き継ぐとか言ってやっちゃいましょう。ダイクンの理論を具体化するためには権限が必要なんです」

「権限を個人に集約するのか? 属人的すぎるな」

「時限的な措置にするんですよ。一時的に公国制にするのはどうです」

「そんなものは聞いたことがない」

「宇宙初って恰好良くないですか。どうせ十年ちょっとで共和国に戻りますよ」

 ジオン公国が地球連邦政府と戦争して負けるからだが、そこまでは口にしない。

 ギレンは冗談だと受け止めたようだが、笑わなかった。

「だとしたら、なおさら象徴としてのダイクン遺児が必要だな」

「捕まらないんだから、父上がトップに立てばいいんですって」

「今の共和国に人材は少ない。キャスバルがいないのなら、父上が一番だろう。だがそれは最後の手段だ」

 なら最後の手段をとるようにするしかないと、キシリアは思った。共和制でもなければ、ダイクン家を祭り上げるのでもなく、ザビ家による統治。これこそが真のストーリーである。

「我々が前面に出ようが出まいが、地球連邦政府は圧力をかけてくるだろう」

「まあ、ダイクンがいなくなったのは絶好のチャンスですからねえ」

「我々の交渉だけでは限界がある。各コロニー、月都市を味方につければ、地球連邦政府も無視できなく……」

「それよりも」

 キシリアはギレンの台詞を遮った。

「軍備の大幅増強ですよ。重力に魂を縛られてる人々なんか、銃口で言うことを聞かせればいいんです」

「お前はすぐそれだ」

 ギレンは呆れた。

「少しくらいの軍事力では地球連邦政府に対抗できないだろう」

「そのための大型二足歩行兵器、モビルスーツですよ。こないだ視察してきました。我が軍の主力にすれば、間違いなく地球連邦軍を圧倒できます。私の調べによるとですね」

 キシリアは描いた図と表を見せた。

「防衛にはこれだけの兵器が必要です。モビルスーツを大量生産して、パイロットを大量に養成しましょう。特にこれ、ここにあるドロスってでかい空母。同型艦も造ってモビルスーツを載せれば怖いものなんてないです」

「待て待て」

 早口になったキシリアを、ギレンが遮った。

「軍備の大幅増強といっても裏付けはどうするのだ。すでに共和国軍への支出は増加を続けている」

「小惑星を引っ張ってきて、希少資源を地球に売りましょう。あとで要塞にすれば一石二鳥です」

「本格的に経済封鎖されたら、そうもいかなくなるぞ。国内だけでどうにかしないといけない」

「まあ、税金を無闇に上げるわけにいきませんねえ」

「国債の発行も手だが、金利変動が予測しづらい。お前の言う公国制に移行するのならなおさらだ」

「じゃあ他の手形でなんとかしましょう」

 ギレンは胡散臭そうな顔をするが、キシリアにはある種の確信があった。

「ジオニック、ツィマット、MIPに資金出させてですね、適当な会社作って手形を振り出すんですよ。軍備の資金はこの手形を使います。国家財政に関係なくお金刷れますよ。償還はできる限り先延ばしにして、どうしてもと言うなら中央銀行が割り引けばいいんです」

「おい、それは共和国財政部の統制を受けない予算じゃないのか」

「さすが兄上、鋭いですね」

 キシリアのいう手形は、表向き民間のものになっているため、発行量や流通量を政府が知りようがない。ギレンはそのことを指摘していた。

「軍部の暴走を招くぞ」

「兄上が軍のトップですし、どうせいつか暴走するんだから同じです」

 キシリアははっはっはと笑った。

「これなら秘密予算がいくらでも使えますよ。戦闘艦だろうとモビルスーツだろうと造りたい放題です。兄上も戦艦乗ります? グレート・デギンは父上の船にするつもりなんですけど」

「……キシリア」

 ギレンは深々とため息をついた。

「よくそんな悪辣な手段を思いつくな」

「そりゃ悪役令嬢ですから」

「だが共和国存続のための軍備が、共和国を傾けることになってはいかん。その手形の発行は認めるが、制限をつける」

 キシリアは口を尖らせた。

「えー。スペースノイドの権利と人類の進歩のために必要なお金なのに」

「今さら綺麗事を言うんじゃない」

 ギレンは話を終わらせる。キシリアは不満を感じたものの、それ以上は口に出さなかった。

「軍備のことはこれ以上考えなくていい。お前はキャスバルの居場所が分かったら、すぐに知らせるように」

 キシリアは一礼して退出した。


                               つづく



 

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