第42話 一つの時代の終わり

 皇帝、新羅辰馬身罷る。


 報せはまず伝令で各国枢要に届けられ、そこからラジオとテレビのニュースでたちまち大陸全土に波及した。伝聞が乱れ飛び、生存説、死亡説が錯綜する。


 赤竜帝国の帝都太宰、その京城柱天にあって辰馬の帰還を待つ皇妃牢城雫、磐座穣、北嶺院文も事態を掴み切れず、混乱していた。これまでならば穣の「見る目聞く耳」で遠く離れた異国の情報であろうと手繰り寄せることができたが、今は神力由来の力のいっさいが使えない。であるからには女神イーリス封印は果たされたのであろうと、そこまではわかるが、はたして辰馬が生きているのか死んでしまったのか、それがわからない。


 そこに神楽坂瑞穂、エーリカ・リスティ・ヴェスローデイア、晦日美咲の三人が帰還したのは2か月ほど経ち、年の瀬も近くなってからのこと。彼女らは新羅辰馬が女神を封印して自分ごと神域霊峰の竜洞に閉じ込めたことを語る。ここでエーリカは帝国政権の実験を自分が移譲されたと主張、瑞穂以下5人の皇妃はそれに対して異論なく、国家の運営は6人の皇妃の合議制によるとしながらも実際的な決定権・裁量権はエーリカが握る。


 政治の混乱がほとんどなかったのは先朝の宰相・本田馨紘が大綱を作り新羅辰馬が受け継いで完成させた政治の枠組みがすでにほぼ完成したものだったからによる。6皇妃……ことにエーリカ……はそれをうけつぐだけでよかった。まだいくばくかの改善の余地はあり、エーリカとしては政治手腕を振るってみたくあったが、今の状況での改革は国を混乱させる、とほかの5皇妃から反対される。この時点でエーリカの発言力とほか5人の発言力はほとんど拮抗しており、最終決定権を握るとはいえエーリカも無茶な真似はできない。


 年が明けて正月。牢城雫と磐座穣のふたりが、ウェルスに向かう。皇帝新羅辰馬を詣でるためであり、以後2か月おきに二人の皇妃がウェルス霊峰の竜洞に参詣する。往路2か月、数日滞在して復路2か月、4か月の行程を彼女らが厭うことはない。


……

………

…………


「あー、疲れた……。今日の電撃はこれで打ち止めか?」

 新羅辰馬は眼前に横たわる巨竜に、そう声をかける。創世の竜女神グロリア・ファル・イーリス、絶無絶大の力を誇る、この世界を創り出した世界の主宰者は、しかし眠りの中にある。竜洞のなかでは毎日激しい戦闘が行われているが、これはイーリスにとって熟睡のなかの出来事に過ぎない。夢の世界に遊ぶイーリスの攻撃を、辰馬は回避し防御するだけで精一杯なのだが。


「こいつがなにも言わんからなー……、話し相手がおらんと言葉とか忘れそうになる。意識して喋るようにせんとな」

 とりあえず、女神の今日の一暴れはやり過ごした辰馬はそう言って岩肌に腰掛けると、食事を摂ることにした。食事と言っても贅を尽くした美食など求められるはずもない、赤竜帝国の軍が置いていった数ヶ月分の固形食料……糒(ほしいい)を、そのままだったりお湯で戻して食べる。水はそこいらへんにいくらでもある氷を溶かし、お湯が欲しければ木をすり合わせて火をおこし、沸かす。原始的な生活サイクルにさしもの辰馬も最初はとまどったが、世間の人々から力を奪っておいて自分は普通に盈力を使うわけにもいかないというわけで、2ヶ月も経過すると慣れても来た。一番困るのはやはりゴミ出しとトイレの問題だが、帝国兵站部が置いていったトイレットペーパーの備蓄は切れていないからまだなんとかなる。ゴミの収集は山麓の業者に頼んで週に1回。


 なのでそこまで不潔でもない、といいたいところだが、それ以上の問題として風呂と着替え。毎日水を浴びて身体を拭いてしているものの着替えが絶対的に少なく、3、4着の衣服をローテーションで着替え適当に洗って絞って使っているがすぐに傷んでしまう。こんなことならもっと数を持ち込んでおくべきだった、と思っているところだ。



 そこに。


「竜洞ってここー?」

「おそらくは。牢城先生、気をつけて……ひゃ!?」

「やははー、みのりんこそ気をつけよーよ。……たのもー! たぁくんいるー?」


 久しぶりに聞く懐かしい声。最初は幻聴ではないかと思った。辰馬は渾身の力で封印を強化、イーリスが暴れられないようにして、とるものもとりあえず竜洞の入り口に向かう。


 薄暗い洞窟から久々に外気を浴びた辰馬を、ふたつの人影が強烈に押し倒した。


「たぁくーん! たぁくんたぁくんたぁくんだーっ♡ やはーっ、おねーちゃんだよーっ!」

「新羅っ! なに勝手にひとりで自己犠牲とかカッコつけてるんですか! ……残されるこっちの身にもなりなさい……」

「お、おー……、しず姉、磐座……。あんまりきれーにしてないからな、臭いだろ」

「うん、くっさい♪ 面白いよねー、あのたぁくんがこーんな、野人みたいな……やは……、たぁくん……もう、戻ってこれないのかな?」

「うん、まあ……。少なくとも、こいつを殺すまではな」

 竜洞の奥に首をしゃくる辰馬。それだけで歴戦の雫にはこの奥にいる存在の圧倒的な「力」が理解できてしまう。自分が力を貸してもものの役に立たないレベルの相手。慈悲心の塊のような新羅辰馬が明確に「殺す」という言葉を使う相手に、雫は取り残されたような寂寥感を覚えてしまう。そして直接口にすることこそなかったが、イーリスを殺したあと、辰馬はやはり戻ってくる気がないのだった。創世の女神を弑したあと、辰馬は自らの命を断ってすべてを終わらせるつもりでいる。それが、口にしなくても誰より辰馬と一緒に居た時間の長い雫には伝わった。


 その後、辰馬は雫と穣を相手に臥所をともにし、帝国の政治問題について穣の諮問を受けては返答を返し、久しぶりの数日の団らんはあっという間に過ぎた。


「では、陛下。そろそろエーリカさまと北嶺院会長が出発した頃です」

「おお。そんじゃ、またな……って、しず姉?」

「あのさ、たぁくん……、あたし、ここに一緒に住んじゃダメかな?」

「……いや、それはな……」

「牢城先生、陛下を困らせては……」

「だって! やっぱりたぁくんと一緒にいたいよ! 野人生活でもいいから、ここで一緒に! みのりんだってたぁくんと離ればなれイヤでしょ!?」

「ですが……ここにいては新羅の足手まといになります。今でさえ女神を封印するのに精一杯の新羅に、さらに負担を増やせというのですか!?」

「………………」

 珍しくだだをこねる雫に、穣はぴしゃりと言い放つ。押し黙る雫に、辰馬が口を開いた。


「まあ、アレだ。しず姉はみんなのおねーさんだろ、おればっかし贔屓してたらいかん。それに、フィーリア義母さんや訓義父さんにも孝行しねーと」

「うぅ……」

「わかれ、牢城雫。今生の別れじゃないからさ」

 辰馬はそう言うと、雫の肩に手を置いた。そのままわずかに身をかがめ、雫の唇に自分のそれを重ねる。


……

………

…………

「では」

 穣が雫の手を引いて、竜洞を出て行く。入り口に侍立していた赤竜帝国の将校たちが敬礼してふたりの皇妃を迎え、そしてふたりの背中はたちまち人だかりの中に消えていった。


 辰馬は数日ぶりに、封印を緩める。ここ数日、封印強化で消耗は大きかったはずだが、心は逆に満ち足りている。


「そんじゃ、今日も一暴れすっか……」

 強化された封印に圧迫されていたイーリスが、封印の緩みを受けて咆哮する。荒れ狂う雷霆。辰馬は稲光の中に身を躍らせた。


……

………

…………


4月、牢城雫、磐座穣が帰京。2月にはエーリカと文が竜洞に向かっており、この4月には瑞穂と美咲が出立、皇妃たちは互いに合う暇がなかなかとれなくなるが、竜洞にいる辰馬の存在が要石となり、彼女らのバランスは崩れることがなかった。


 6月、エーリカが帰京。エーリカ、瑞穂、雫のなかで瑞穂は過去の悪夢から権力を忌避、雫は権力に関心が希薄であり、エーリカだけが権勢欲が強い。才覚においては自分を牽制しうる瑞穂が京師を留守にしているこのチャンスをエーリカは見逃さない。皇帝代理として人事刷新を打ち出し、まず明染焔を帝国大元帥の地位に就けた。そしてそれまで帝国大同盟として一応は対等であった9大国を赤竜帝国のもとに征服、焔には大公としてインガエウ・フリスキャルヴから召し上げた旧エッダ地方の支配権を与える。これは私兵を持たないエーリカが有事において自分のためだけに働く最強の兵団を持つため、これまでの新羅辰馬派閥である朝比奈大輔、出水秀規、上杉慎太郎の上に焔を置くことで恩を売った形になる。


 それについての批判を避けるためか、朝比奈大輔にも元帥杖を授与。出水とシンタをさしおいて大輔が授与されたのは大輔にかけた辰馬の言葉「元帥になれ」が影響している。大輔はエーリカの態度に野心的なきな臭さを感じ、辞退しようとしたが、国家の藩屏として国と民を守れと言われれば拒むことは出来なかった。


 より明確にエーリカの専権を嫌ったのはシンタと出水の二人であり、このふたりは瑞穂を辰馬の正統を継ぐ者として旗頭にエーリカに叛旗を翻そうとして、鎮圧され、このことがのちに瑞穂の地位を危うくする。シンタは赦免されて明染焔麾下の兵卒に落とされるが数年で将軍に復帰、帝国が海外に新大陸を発見するとその先遣隊の大将になるが、それは当分先の話。出水は妖精・シエルを人質に取られてエーリカに忠誠を誓わせられ、尚書として政治の枢要にかかわりのち宰相となるがこれも先の話である。


 神楽坂瑞穗は先走ったシンタと出水の行動の責を問われるが、ほかの4皇妃の諫めもあって廃位は免れる。また、このころから若い頃における神力の濫用……ことに時間操作のトキジク……の反動で体調を悪くし典医にかかるようになった。新羅辰馬との間にうまれた息子は獅廉と名付けられたが、この子もやや病がちで心配される。


 牢城雫は政治むきのことを苦手とし、それにかかわることを避ける。自分が子供を産めない身体であるらしいことから他の皇妃の子供たちの世話を積極的に焼き、また教師であった頃の名残で市井に下りて孤児院や養老院の慰労にも向かう。余暇には実家に帰って実父母と語り合った。


 エーリカ・リスティ・ヴェスローディアは徐々に野心と権勢欲を隠さなくなり、新羅辰馬の後継者として帝国の実験を握るべく動く。その策動の一歩として北嶺院文を抱き込み、自分一人に対して5人で拮抗していたほか皇妃たちの体制にヒビを入れた。新羅辰馬との間に設けた息子はシェティ。この子は非常に健康だが、甘えすぎが少し気に掛かるところではある。


 北嶺院文はエーリカについで現実主義者であり、また辰馬との間に子をなせなかったこともあって世俗の権勢に執着しがちであった。現最高実力者、エーリカから軍作戦本部の参謀長というポストを提示されると瑞穂派からエーリカ派に転び、瑞穂派弱体化の一因をつくる。


 磐座穣はエーリカからなんども宰相の地位を提示されるが、そのたびに固辞。瑞穂に肩入れするわけではないがエーリカの野心と権勢欲が好きになれなかったことが大きい。文がエーリカ派についてパワーバランスが崩れた瑞穂派を、その智謀で支える。辰馬との間に設けた娘は此葉。子供たちの最年長であり、すでに8つになる。母に似て聡明な子であった。


 晦日美咲は磐座穣の依頼を受け、エーリカ派を内偵中。エーリカの果断で容赦のないやりように義憤を感じ、穣への報告で偽帝倒すべし、と何度も瑞穂の出馬を催促するが、うっかり動けば潰されるのみ、とたしなめられる。辰馬との間に設けた娘は智咲。美咲が穣に従うように、智咲も此葉に従うことを当然とする。


 ほかの人々にも平等に時間は流れる。先のアカツキ皇帝永安帝こと暁政國は隠居先でひっそりと息を引き取り、同じころ、新羅辰馬の祖父・新羅牛雄も長寿を全うした。改めてラース・イラ公に封ぜられたエレアノーラ・オルトリンデはつつしんでもとの国土を拝領し、エレアノーラの騎士ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンは公女たっての願いで一夜限りの契りをかわした結果その身に刻んだ刻印が発動、心臓を食い破って卒。エレアノーラもその後を追って自刃した。もとヘスティア皇帝オスマンはわが国は余人からの貰い物ではないと放言して帝国に喧嘩を吹っ掛け、大元帥明染焔との激戦のさなか優勢に戦いを進めるが病を発して卒した。酒量がたたり、北の寒冷地によくあることだが卒中であった。一つの時代の英傑たちが次々と世を去り、新しい時代が近づきつつあった。


黒き翼の大天使 第4幕 大陸唱覇篇 了

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黒き翼の大天使~第4幕~大陸唱覇篇 遠蛮長恨歌 @enban

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