第4話 猫と、俺たち

 発表用の資料はイマイチまとまらなかった。

 筋道がよくないのかもしれない。俺が考えた発表内容は「漱石の『猫』に対する感情について」だ。『吾輩は猫である』から漱石自身が本当に飼っていた猫に対する感情を読み解くことはできないか、というような内容だ。


 ただ、困るのだ。

 漱石の猫は「猫」と呼ばれていたらしい。名前がない。本当に「名前はまだない」のだ。でも一応、似たような事例は見たことがある。親父が観ていた古いアメリカのドラマ『刑事コロンボ』だ。犬のことを「ドッグ」と呼んでいる。


 この「名前を付けない」現象をどう評価していいか分からない。名前があればそこから何かしらの気持ちや心情を読み取れるだろう。黒猫に「クロ」と名付ければ目に留まったものを大事にするんだな、とか、「ジジ」と名付けるなら『魔女の宅急便』が好きなんだなとか、考えようがある。


 発表まで後少し。俺はじいちゃんの世話の片手間に準備を進めた。悩みに悩んだ。そして、その瞬間は俺が、自分の部屋でぼんやりと考え事をしている時にやってきた。俺の膝の上には『吾輩は猫である』があった。


「ねぇ」

 おふくろがドアをノックした。

「お風呂の支度してくれる?」

「ああ……」

 と、言いかけて、分かった。

 そうか。そういうことか。



 じいちゃんちに行く。この日じいちゃんは、大人しかった。ただ椅子に座ってぼんやりと本を読んでいた。老眼鏡をかけ、難しい顔をしながら、かつて自分が活躍していた心理学の分野の本を読んでいる。学者先生らしく、様になった。そういえば、と思い出す。俺はじいちゃんの、こんな顔が大好きだった。

 

 じいちゃんの寝室へ行く。ばあちゃんのものだという本棚を見て、考える。この間、おふくろに呼ばれた思ったことを。じいちゃんとばあちゃんもそういう関係だったのだろうか。じいちゃんは一瞬忘れてしまったようだが、無事に思い出したみたいだし安心だ。


 ぼんやりと、本の背表紙を見る。それに気づいたのは本当に偶然だった。あれ、一冊だけ、変わった本が……。

 背伸びしてその本を手に取る。開いてみて、俺はびっくりした。見たことないものがいっぱい広がっている。

 そして、何だか……。

 俺はひっそり、泣きそうになった。



 じいちゃんがまた失踪した。しかし今度は、どこに行ったのか分かった。

 この間ばあちゃんの本棚で見つけた「あれ」を持ってじいちゃんちから出る。走りながら、俺は「あれ」を開いた。川下の公園、デパートの駐車場、丘の上の公園、そして次に行くところは、その次は……その次は……。

「あれ」をめくりながら俺はじいちゃんが行きそうなところを片っ端から当たっていった。でも本当は、分かっていた。多分、そうだ、多分。

「あれ」の一番最初のページ。

 おばあちゃんとの思い出に、向かっているはずだ。


 そう思って向かった先は海辺の公園だった。水族館の隣に広がる大きな海浜公園で、俺は「あれ」に載っている場所を探すのに少し苦労したが、だいたい十分くらいで見つけることができた。じいちゃんはそこにいた。


「じいちゃん!」

 俺はじいちゃんの背中に叫んだ。しかしじいちゃんは振り向かなかった。

 名木橋明! 

 そう言おうとして、気が付いた。もっといい呼びかけ方がある。


「ねぇ!」

 じいちゃんが、びっくりしたように振り返る。

「『これ』の場所を巡ってたんだね!」

 俺は叫んで、「あれ」を掲げる。

「あれ」。ばあちゃんの本棚にあった「あれ」。

 アルバムだった。一冊の。家族の思い出がまとまっている。


 川下の公園……さく姉が幼稚園に通いだした頃によく行っていたらしい。

 駅前のデパート……すみ姉の出産祝いにフルーツを買ったそうだ。

 丘の上の公園……おふくろの高校、つまり俺の高校の近くにある公園で、卒業祝いに立ち寄ったらしい。


 他にもいろいろな場所が載っていた。

 坂のある公園。さく姉が自転車の練習をしたらしい。

 アスレチックのある公園。すみ姉が初めて逆上がりに成功したらしい。

 植物園のある公園。おふくろとばあちゃんが初めて一緒に外出できた日らしい。

 新居、つまり今のじいちゃんち。おふくろが生まれる直前。じいちゃんの友達らしき人がいる。

 近代文学研究発表会。ばあちゃんがすみ姉を連れて出席した学会らしい。大泣きして大変だったようだ。

 博士課程卒業式。さく姉が生まれて少しした頃。同期で子供がいたのはばあちゃんだけだったらしい。


 もっとある。遊歩道、水族館、パーキングエリア、体育館、プール、遊園地、レストランや旅館、旅先の風景をバックに、日常の何気ない一コマに、そして……。


 この浜辺。この海浜公園。

 アルバムの最初のページには、写真が二枚貼ってあった。一枚目は、今じいちゃんが立っている場所を背景に、じいちゃんとばあちゃん二人で撮った写真。

 二枚目は、多分ばあちゃんのだろう、美人が一人、零れんばかりの笑顔、アップで。

 幸せそうな写真だった。見ているこっちまで胸が温かくなるような。


「ねぇ!」

 俺は再びじいちゃんを呼んだ。じいちゃんはにっこり笑った。

「名前なんか、関係なかった!」

 俺が叫ぶと、じいちゃんは急に姿勢を正して……多分、若い頃はああやって立っていたんだろうなという姿で……俺を見た。悔しいけれど、俺に似ている気がした。


「漱石が猫を『猫』って呼んでいたのは、名前以上の愛着があったからだ!」

 何でこんな関係のない話をしているのだろう。でも、そうなんだ、きっと。

 じいちゃんはこの話を喜ぶと思う。俺の俺による、文学研究発表を、じいちゃんはきっと喜んで聞いてくれる。


「名前なんてよかったんだ。名前なんてただの記号だ。漱石の愛は記号なんか関係なかったんだ! 存在そのものを肯定していた! 『猫』が死んだ時、漱石は句を詠み死亡通知を出した。大切な存在だったんだ。愛していたんだ!」


 これが、「句、そして死亡通知」。

 そして次に、「名前はなくても、ないからこそ」。


「『猫』には生涯名前がなかった。でも関係なかったんだ。さっきも言ったけど、名前なんてただの記号だった。だから、そうだろう? じいちゃん……」


 不思議だった。全く何で、こんなタイミングでこうなるのか、本当に全然、理解できなかったが、それでも俺は、みっともないくらいに、馬鹿みたいに、子供みたいに、泣いていた。鼻がぐずぐず鳴って嗚咽が漏れた。だけど続けた。


「ばあちゃんの名前、忘れちゃったんだよな? でも、忘れてもよかった! だってずっとお互い愛し合っていたから! 愛し合う二人ってさ、ほら……」

 自分の口から出た「愛し合う」がすごく恥ずかしい。でも続ける。

「『ねぇ』とか『なぁ』で会話ができるよな? 愛情の究極の形って、そういうのなんじゃないかなぁ。呼びかけたら、応えてくれる。だから、名前なんて関係なかったんだ。じいちゃんが『ねぇ』って言えばばあちゃんは応えてくれたし、逆もそうだ。だから俺が、『ねぇ』って呼べば……」


「俺が応える」

 じいちゃんが、静かに、だが強く告げた。

「心配かけたな」

 じいちゃんが切なさそうな顔をした。

「すまんな。頭がハッキリしなくて……」

「ううん。いいんだ!」

 じいちゃんに近寄る。皺だらけの顔。でもその皺のひとつひとつに、まるで陽の光のような、温かさを感じた。


 俺はじいちゃんの近くに寄ると肩を組んだ。俺が強くじいちゃんの肩を抱くと、じいちゃんがその倍くらいの力で俺の肩を抱き返してきた。

「いつかお前も、大切な人ができる」

 とん、とじいちゃんは、俺の鳩尾を小突く。

「お前には時間がある。大切な人と過ごす時間が。素晴らしい時間が」


 その時間を、大切に。


 じいちゃんの声が頭の芯に染みわたった。俺は黙って涙を拭うと、じいちゃんの肩をぐいっと抱き返した。

 それから俺たちは、しばらく肩を組んだまま、歩き続けた。

 波の音が響いていて、俺の鼻声も、じいちゃんの足音も、全部かき消した。消されたけれど、それでよかった。いい気がした。


 了

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漱石の猫 飯田太朗 @taroIda

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