第五幕 We need...
寒空のなか、初老の連続殺人犯が警官に連行されてゆく。パトカーの放つ眩い光は、静かな夜を不幸な賑やかさに染め上げていた。
「お手柄じゃないか」
自分の働きを反芻しながらネルを待っていると、ルストレイドに声をかけられた。
「あの女に呑まれなかったようだな。よくやったよ」
「あぁ......その」
「拳銃のことなら不問だ。あの方々が決めた」
「あの方?」
「ほら、そこにいる」
彼が指差した先に、見覚えのある銀色の車が停まっていた。そのボンネットには、女性が寄りかかっている。
「マクフトさん」
「まあ、詳しいことは本人から聞いてくれ」
そう言うなり、ルストレイドは他の警官のもとに立ち去ってしまう。キャンパスの陰に、俺と彼女の二人だけが残された。
「......」
「さて、まずはどこから教えましょうか」
彼女は自信たっぷりに両手を広げる。まるで全てを知っているかのような口振りだった。
「我々は
「......要するに、007のまがいものって訳ですか」
「失礼ですね、私たちはPPKもペン型爆弾も使いませんよ」
「冗談だ。それで、秘匿機関の工作員がなぜ俺に近づいてきた」
「我々が近づいてきた、というのは正しくありませんね」
「何だと?」
「むしろ、接近してきたのはあなたの方です」
「ふざけるな。俺は探偵の助手になっただけで......」
「その探偵、本当に探偵だとお思いですか?」
「......」
「おかしな点がいくつもあったはずです。普通の探偵では、まずあり得ないような」
思い当たる節しかない。
すべて操作されていた、というのか。ロンドンが舞台の連続殺人は、この女に、あるいは
「これは実験なんですよ」
「実験......だと」
「えぇ。警察に任せるべき事件に、我々のような秘匿機関が介入するとどうなるか。それを調べるための実験だったんです」
「そのために四人を殺したのか」
「まさか、事件の発生は単なる偶然ですよ」
「信じていいんだな」
「えぇ、もちろん。信じていただかなければ、真実をお教えできませんから」
「......分かった。続けてくれ」
「はっきり言いますが、事件はどんなものでも良かったんです。そして、それに巻き込まれる〈試薬〉たちも」
「あの被害者たちを試薬呼ばわりか。政府機関も偉いもんだ」
「おや、あなたもその試薬の一部ですよ」
「俺も?」
「もっとも、あなたは偶然入り込んだだけに過ぎませんが」
「あぁ、俺がネルの助手になったことか」
「その通り。そして、この実験の主役は......」
「お姉ちゃん?」
背後から声がした。この数日間聞き続けた、探偵の声だった。
「それにストラング君も......二人きりで何してるんだい?」
「......ネル、今"お姉ちゃん"って言ったか?」
「あぁ、その人は僕の姉だよ。名前はマクフト・ニールセン」
「......どうやらバレてしまったようですね。実験の主役の登場です」
「嘘だろ......姉妹二人に騙されてたって訳か」
「人聞き悪いなぁ、騙してなんかないよ」
「でも探偵じゃないんだろ」
「僕は......確かにSIS
「......」
もう声が出ない。事実と信じていたものの形が、目まぐるしく変わっていく。
「そういうことです、ストラング。除隊して一般人だったあなたは、就職のために妹のもとを訪れた。それは全くの偶然であり、なにかが違えば、あなたはここにいなかった」
「だが、俺は助手募集のポスターを見たんだ。あのポスターの役割はなんだったんだ」
「それは、試薬をより多く揃えるためですよ。なにも知らない一般人を、被害者という形ではなく、事件を追う側として巻き込むため......まぁ、我々も成功するとは思っていませんでした。ベイカー街で探偵助手なんて、いくらなんでも胡散臭すぎますからね」
「アンジュも僕たちが作ったAIだよ。個人の通話記録を覗き見なんて、SIS製の人工知能以外じゃできない」
「......分かっていただけましたか?」
「あぁ、もう分かった。今すぐ帰って休みたい気分だよ」
「あなたの人生は大きく変わります。覚悟はできていますね」
「はっ、知ってはいけない機関と関わったんだ。当然できてるよ」
「流石です......では、私はこれで」
マクフトは薄く笑みを浮かべ、アストンマーチンで走り去っていった。
隣に立ったネルに話しかける。
「なぁ、どうしてあんな無茶をしたんだ」
「あぁ、一人でキャンパスに入ったことかい?」
「犯人に銃を向けられていたじゃないか。見たときは背筋が凍ったぞ」
「悪かったよ、でも......」
ネルが白衣の襟を立て、顔を隠すように首をすくめた。
「信頼していたからだよ、君を」
「......そうか」
そのとき俺は、左手に持っていた紙袋の存在を思い出した。マクフトから渡された、デンドロビウムの刺繍が施されたクッションが入っている。
「これ......」
「プレゼントかい?」
「あぁ」
マクフトは、「俺からの贈り物として渡せ」と言っていた。
「これからよろしく、ってことでさ」
「......ありがとう。綺麗な刺繍だね」
「花言葉が......君にぴったりだと思ったんだ」
「どんな意味だい?」
「それは」
"ワガママな美女"。そう言いかけたが、もうひとつの意味で誤魔化すことにした。
「"華やかな魅力"」
「......ふふっ」
彼女は小さく笑いだした。まさか、二つ目の意味も知っていたのだろうか。
「君はキザだね、ストラング」
「そうか、そうかもな......」
「さて、僕も疲れてしまったよ。帰ろうじゃないか」
警官たちの間を縫って、キャンパスの外へ出る。野次馬やメディアが集まっていたが、俺たちには目もくれなかった。
見上げた夜空は澄んでいた。新たな日々の訪れを、静かに祝福しているかのように。
スカーレット・スレッド R^2t(アールツト) @arzt2
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