おまけ.堤昌親と松田大樹
「なーチカちゃん先生、俺たちなんでこんなところでチョコ食ってんの?」
「んー? 二人の時間の邪魔しちゃダメってことだよ」
「んなことわかってるよ。俺だって邪魔するほど野暮じゃねーよ。てか、このチョコほんとに俺らが食っていいの?」
「いいのいいの。哲也は気味悪がって絶対食べないし。さっき真っ先に捨てたぐらいだからね」
「それをゴミ箱から漁ったわけ? チカちゃん趣味悪い」
「褒め言葉として受け取ってあげるよ」
観客席の一列目。フェンスを挟んでリンク上の選手と向き合える近さの席に、俺と
俺と大樹が食べているのは、件のチョコだ。ゴミ箱から俺が救出した。流石の俺も下着は触るのを躊躇うけど、食い物はまぁ罪はないし。こうして俺らが食うことにより、持ってきた人間の熱ーい思いを供養してやろう……と思ったのだが。
「これ、ぶっちゃけ普通にまずいね」
「独特の味わいって言ってあげようか」
トリュフを目指して作ったのだろうか。しかし、ミネラルウォーターで舌をリセットさせないと、食べるのも辛い。これよりも、先日試作品だと言って食わされた星崎涼子先生のヤンニョム入りのブラウニーの方が美味しく感じられる。チョコはイマイチ、プレゼントは論外。まぁ、渡したかっただけだろうし、これで満足してその後何もなければそれでいい。
「なぁチカちゃん。あのプレゼントって、一体何だったわけ?」
さしもの俺も、あれを小学生の大樹に説明していいかどうかは迷っている。一人の女の子の、妄想の慣れの果ての姿だと言っても、この子は理解はできるのだろうか。しかし、子供だからどうせわかんないだろうと決めつけるのも、大樹に対して失礼だ。
「何で大樹がそんなに気にするんだい?」
「だってさあ」
大樹は給湯室の窓に視線を向ける。外から戻ってきた哲也は、やはりどこか暗い顔で練習に向かっていた。本人もこの状態でジャンプの練習をすると怪我をすると思ったのか、坊さんが唱えるお経よろしくコンパルソリーを延々と行っていた。
「哲也にいちゃん、あんまりいい顔しなかったから。外出る時、めっちゃ固い顔してたし。なんかにいちゃんが傷つけられた気がしてすげえ嫌なんだよね。俺も片棒喝がされてめっちゃ気分悪い」
俺はまずいまずいと言いながらトリュフを頬張る大樹を抱きしめたくなる衝動に駆られた。俺をチカちゃん呼ばわりする図太さと物事を的確に伝える観察眼に加えて、周りの人間に対する気遣いもある。この子は俺や哲也がその年だった頃より聡い。
俺が大樹を教えるようになったのは哲也が原因だ。今まで大樹は、涼子先生のグループレッスンを中心にクラブに在籍していた。俺もたまにジャンプを教える程度だったのだが、二ヶ月前の全日本選手権の哲也の演技を見て、大樹は俺に入門することを決めた。「哲也にいちゃんなんか目の上のタンコブだからチカちゃん俺にスケート教えて!」と言ってきたのが最初。専属で教えるのは二人目だ。目の上のタンコブと言いながら、哲也を尊敬しているのが言葉の端から伝わってくる。
「まぁ俺から言えるのはね、自分がそれをされたらどうかってことを、とりあえず考えてみることじゃないかね。ファンだからって何を言ってもしてもいいわけじゃないし、逆に俺たちだって、ファンをぞんざいに扱っていいわけじゃない。でも哲也も、大樹は悪くないって知っているから、君がそんなに気にすることじゃないさ」
「そんなもんかな」
「そんなもんだよ」
あの「自称プレゼント」は、それが足りなかったのだ。自分の中でだけ留めておけばよかったのに。行動に出してしまうと、ただのストーカー一歩手前だ。
だが。
「哲也にいちゃん、雅ねーちゃんにはああいう顔するんだな」
「ああいう二人の為に、バレンタインってもんがあるんだよ」
本人たちは気が付いてないだろうけど、という一言を、ミネラルウォーターで流し込んだ。結果的に二人の時間を作ったのだから、あのプレゼントはその一点にのみいいことをした。
窓の外から見る哲也の顔は、氷河期から春が訪れたように柔らかく解けていた。それは確実に隣に座る女の子がもたらした産物だ。
俺は最後のチョコを口に放り込んだ。ガリっと硬い何かが歯に当たった。卵の殻かもしれない。セメントのような舌触りを感じながら、これを持ってきた子にも然るべき相手が見つかればいいと思った。
「……で、チカちゃんにはそういう相手いないわけ?」
「それは秘密です」
2016年、聖バレンタイン 神山雪 @chiyokoraito
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