三話目
朝にしてやや疲労感伴う精神状態となっていたが、本日は土曜日。二連休の1日目だった。コーヒーを啜りながらこれからどうしたものかと考えていたところにインターホンが鳴って、今度こそ本当に、大きな木のまな板が届いた。
すぐに開いてどんなもの確認してみたいところだったが、幸せそうに甘々コーヒーもどきを飲んでいる姪を放っておくのも違う気がして、台所の下に箱から出して放り込んでおく。
席に戻ると、ちょうどコーヒーもどきを飲み終わったのか、ティースプーンでコップの底をすくって砂糖をじゃりじゃり食べていた。流石にスティック五本も入れると砂糖が溶けきらなかったようだ。
「甘すぎない?」
「コーヒー味の飴みたいで、甘くておいしいです!」
飴も砂糖の塊だから、成分的にはほぼ一緒だ。
スプーンを繰り返し口に運ぶ、ご機嫌な姪っ子を眺めながら祐介は考える。
実を言うとあかりのことをあまり覚えていないのだ。
昨日電話したときに思い出した、もじもじした女の子、というイメージはあったものの、それ以上のエピソードは出てこない。
どちらかと言えば、みやこに出くわさないように逃げ回ることで頭がいっぱいで、それ以外のことはあまり記憶になかった。確か逃げ回ってばかりいて手伝いを何もしなかったせいで、あかりの世話を押し付けられたのだったと思う。
まぁ十年前の自分なんて他人みたいなものだから、と心の中で適当な言い訳をして、記憶力のなさを正当化した。
当時この姪のことを自分は何と呼んでいただろうか。そんなことも思い出せない。
下手な呼び方をしたら気持ち悪がられそうで嫌だった。
開口一番「かわいい」か「きもい」を言ってくるというのが、祐介の持つ女子高生に対するイメージだ。男子校の出身である祐介は、残念ながら真実を確認したことはない。あくまでイメージなのである。
この姉にそっくりな顔をしている姪に「きもい」と言われるのは結構きついものがある。そんなことになったら、多分しばらくショックで立ち直れない。
そう考えた祐介は素直に本人に聞いてみることにした。
「えー、君のことは何て呼んだらいい?」
「……え?昔と同じでいいですよ?君なんて言われたら他人行儀で悲しいです」
キョトンとした顔であかりが答えた。
作戦失敗だ。
他人行儀というが、実際他人みたいなものだろうと思う。戸籍上姪ではあるが、十年前に数日かまってあげただけの女の子だ。
「十年前に遊んだことあるんだけど、覚える?」と三十も過ぎた男が、これから女子高生になろうかといううら若き乙女に声をかけるところを想像してほしい。九割九分何か企んでいるとしか思えない。出会ったらぜひ通報してほしい。
想像力をたくましくさせながら、祐介は真剣に過去のことを思い出そうと悪戦苦闘する。
そうしてしばらくコーヒーを飲みながら沈黙を守っていたが、その間あかりは黙って祐介のことを見つめ続ける。こうなると黙っている時間が長くなるほど、失敗したときの反応が怖い。祐介は結局思い出すことはできずに、諦めと共に提案することにした。
「えーっと、あかりちゃん、でいい?」
「はいっ、いいですよ、ゆう兄ちゃん!」
間違っていても忘れていたわけではないよ、というスタンスをとれるずるい返事だった。無難な選択として、母の呼び方をそのまま真似してみたわけだったが、どうやらそれで良かったらしい。
かわいらしい笑顔で返事をしてくれるあかりに、祐介はほっと胸をなでおろした。
何故かあかりが、かなり自分のことを慕ってくれているような気配を感じる。昔遊んであげたことを覚えているのだろうか。それとも姉夫婦が自分のことをいい様に吹き込んでくれているのかもしれない。
姉夫婦とはもう十年以上碌に会話もしていないのに、そんなことがあるだろうか?
小学生は変な人に出会った場合、積極的に挨拶するように教育を受けるという。この異様に好意的な態度ももしかしたら、こちらへの牽制なのだろうか。
流石にそれは穿った考えかと、自分の考えを否定する。
ただ単にあかりがとてもいい子なだけなのかもしれない。打算と人の裏ばかり考えるのは、大人の良くないところだ。
また一口コーヒーを啜ったところで、そわそわした様子のあかりが口を開く。
「そういえば、さっきの荷物はなんだったんです?」
「ああ、あれね、まな板。……見る?」
「見ます!」
興味がないだろうから遠回しに拒否されると思っていたのだが、想像していたのとは違う反応が返ってきた。カップをもって立ち上がったあかりは、その場で目を輝かせている。
「あ、そう、そっか、見るか」
自分が興味あるものに興味を持ってもらえるというのは、とても嬉しいものだ。平静を装いながらも、まだ飲み終わっていないコーヒーを片手に、祐介も立ち上がった。
心なしか足取りもいつもより軽い。
先ほど適当に放り込んだまな板をとりだして、シンクの上に置く。ポピュラーな長方形をしていて、分厚く重さのあるヒノキのまな板だ。
「おお、テレビで見たことのあるやつです!」
反応は嬉しいが、大げさじゃないだろうか。木のまな板なら、少し料理をする家にはあるような気もする。でもその反応に悪い気はしなかった。
自然と口角が上がっているのに祐介は気づかない。
ビニールの包装に果物ナイフで軽く切れ目を入れてはいでみると、ヒノキのいい香りがふわっと漂ってくる。手入れにはちょっと手間がかかるが、それ以上にメリットもある。
包丁を使う時の音が気持ちいいし、食材は滑りにくい。
表面が傷ついてきても少し削ってあげれば、引き続き使うこともできる。
他に趣味もない祐介にとっては、手入れも趣味の一環みたいなもので、それほど苦にはならないだろうと思っていた。
「テレビで、っていうけどさ、家にまな板くらいあるでしょ?」
「ありましたけど……、百均に売ってるぺらぺらしたのでした」
「もしかして、み……、姉さんは料理とかあまりしないの?」
「あー、しませんね。お仕事が忙しいので、レンジで温めれば済むものが多いです。ゆう兄ちゃんはお料理をよくするんですね」
「ああ、男飯って感じだから、おしゃれな物は作れないけどね」
「やっぱり奥さんにするなら料理上手がいいです?」
いたずらっぽく笑って顔を覗かれると、その近さに思わず身を引きそうになる。叔父・姪の間柄と言っても、ほぼ他人みたいなものなのだ。あかりの方でももう少し警戒心を持ってほしかった。最近の若い女の子は皆こうなのだろうかと思いながら、できるだけ平静を保つ努力をする。
距離感のことを考えずに、質問の方に集中すればいいのだ。
確かは祐介は美味いものを食べるのは好きだが、別にそれだけが目的で料理をしているわけではない。過程だって大事なのだ。
どちらかと言えば、料理を作ってくれる妻よりも、買い物と料理を一緒に楽しんでくれる奥さんが欲しかった。
「別に料理上手じゃなくてもいいな。一緒に料理と食事を楽しめれば」
「……なるほど、夫婦円満に過ごせそうで素敵ですね」
あかりは唇の下に人差し指を当てて頷いた。
何かを考えている風な様子に、祐介は少しビビりながら、蛇口をひねりまな板をの表面に水を流す。今すぐに使う予定はなかったが、一度綺麗に流してすぐに使えるようにしておきたかったからだ。
ざっと洗ったら布巾で水をふき取り、一緒に買っておいたまな板立てにそれを立てかけた。
台所に立ったついでに、空になった鍋に少しだけ水を入れてそれを火にかける。水が沸騰するのを待って、火を止め、キッチンペーパーで鍋についてカレーをぬぐい取っていく。
「何をしてるんですか?」
祐介の手元を見ながら、あかりは不思議そうに首をかしげる。
カレーを作った鍋を綺麗にするとき、馬鹿正直にスポンジで洗うと、すぐに油とカレーの色が染みついてスポンジがダメになってしまうのだ。先にふき取ってやるだけで、スポンジを変えなくて済むのだったら、その手間を惜しむことはない。
そんな説明をしてやると、あかりは感心したように頷く。
何を話しても素直に聞いてくれるので、祐介はやはり気分がよかった。
鍋を片付けて手を拭いて、さてこれからどうしようと考える。
本当だったら昼も夜もカレーがあるはずだったので、今日の残りの献立を考えなければならない。
先ほど話の流れで、あかりの分の食事も用意することが決まってしまったので、あまり適当な物ばかり出すわけにもいかない。どちらにしても買い物には行く必要があるだろう。
そういえば、隣でニコニコしながら静かにしている姪は引っ越してきたばかりだったはずだ。部屋の片付けとかは大丈夫なのだろうかと思い至る。
「あかりちゃん、部屋の片づけは済んでるの?」
「いいえ、今からですよ!そろそろやらないといけないですねー」
「そう、手伝ったほうがいい?」
そう提案してから、祐介はしまったと思う。友人の引っ越しではないのだ。あまりにフランクに接してくれるので、気を抜いていたが、手伝うためにはこの子の家の中に入る必要がある。
思春期の女の子と言えば、見られたくないものだってあるかもしれない。
馬鹿な提案をしたものだと、その発言を撤回しようとすると、あかりからすでに返事が戻ってきていた。
「いいんですか?!助かります!部屋に戻って片付けているので、準備ができたら来てくださいね」
どうやら心配のし過ぎだったようで、彼女からは曇りのない笑顔を向けられている。あまりに信頼されすぎていて、却って彼女のことが心配になる。
祐介は頭を掻きながら、ご機嫌に玄関へ向かっていくあかりを見送った。
隣の姪はよく飯食う姪だ 嶋野夕陽 @simanokogomizu
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