二話目
祐介は混乱していた。
確かに昨日受けた電話によれば、今日のうちに隣に姪のあかりが引っ越してくることにはなっていた。
しかしまさか朝の十時から突撃隣の朝ごはんしてくるとはだれも思うまい。
「私はお腹が減りました!」と勢いよく言われた祐介は、なし崩しに答えてしまった。「そ、そうなんだ、じゃあカレー食べる?」と。それがこの惨状を招いていた。
「おいしいです、とっても美味しいですね!ゆう兄ちゃんはお料理が上手なんですね、なんだかわからないけどおいしいです!おかわり!」
このお代わりは二回目だ。ちなみに祐介は今の状態を受け入れるのに苦悩していて、カレーには一口も手を付けていない。あまりにも堂々とおかわりと言われるものだから、はいどうぞ、とよそってやってしまう。
女子高生だから少食だろうと、最初は小さく盛ってやった。一度目のおかわりも、流石にそんなにたくさんは食べないでしょ、とやっぱり小盛にしてみた。しかしこうなってくるともう、そういうのじゃないんだろう。一人前ちゃんとよそって持って行ってやる。
「どうぞ」
「ありがとうございます!」
目の前にそれを置いてやると、心なしか目を輝かせたように見えるあかりは、猛然とそれを食べ始めた。そんな姿を見て祐介はようやく納得した。この子は姉のみやこではないんだなぁ、と。
彼女はそっくりだったのだ、はじめて会ったときのみやこに。
思いだしてみれば、はじめて出会った時のみやこも、あかりと同じ十五歳だった。こんな風にがつがつと食事をする人ではなかったし、どちらかといえば、いかにもお姉さんな雰囲気の優しい人だったが、姿かたちだけはそっくりだった。
ここにいるのは瀬戸あかりだ。
自分にもう一度そう言い聞かせて、祐介は立ち上がった。
あかりがスプーンの動きを止めずに、不思議そうに祐介の動きを目で追う。
カレーのお供には何が合うだろうか。
揚げ物?温野菜?卵?様々あるだろうが、祐介にとってのベストパートナーは福神漬けだった。あの赤い色をしたいかにもな奴も好きだったが、祐介が最も好むのは瓶に入ったシンプルな茶色の福神漬けだ。
冷蔵庫からそれを取り出して、小さなフォークでカレーの隅に盛り付ける。
祐介の理想のカレーライスの完成だ。
少し冷めてしまったが、それでもこのカレーはうまい。温まりきっているものより、少しドロッとした感じになっているカレーも祐介は大好きだった。
一口食べれば機嫌もよくなる。
福神漬けの山を少し削って、それと一緒にもう一口。
パリパリとした食感と、少し甘じょっぱい味付け、それにカレーの旨味と辛さ。
とにかくうまい。
少し顔がにやけているが、本人はそんなことには気づいていない。ついでに美味しそうに食事をする祐介をじーっと見つめているあかりの様子にも気づいていなかった。
そのまま食事に集中していた祐介だったが、半分程食べ進めたところで、食卓にもう一人いたことを思い出した。さっきまで元気におかわりと叫んでいたのに、今はいやに静かだ。顔を上げてあかりの方を見ると、彼女は口を半開きにして、じーっと祐介の皿を見つめていた。
「な、なに……?」
「私も、それ、食べたいです」
「それって、福神漬け?」
「そう、ふくじんづけ?です」
あかりは福神漬けを知らないようで、うまそうに食べている祐介を見て自分も食べてみたくなったようだった。見ればなんとあかりの皿はもう空になっている。
「……まだ、食べられるの?」
「はい!」
「え……、じゃあ、好きに食べたら……?」
「はい!」
ご機嫌なお返事を聞きながら、祐介は困惑する。フードファイターか何かなのだろうか、この姪は。記憶を辿ってみると、みやこは小鳥くらいの食事でお腹いっぱいになっていたはずだ。女子高生ってそういうものじゃなかったのだろうか。
そんな混乱した思考をぶち壊すものが目の前に飛び込んできた。
大皿にもりに盛られた大盛カレーだ。
「好きに食べたら」を勝手に解釈したあかりは、自分が満足するだけの量をどんとお皿に盛ってきたのだった。これで何度もおかわりに行かなくて済む。
引っ越してきた途端にこんなにおいしいカレーを用意してくれていて、好きに食べていいというのだ。
やっぱりゆう兄ちゃんのところに来てよかった、歓迎してくれているみたいだ。
にっこにこのあかりは、福神漬けの瓶をもって一回、二回、三回とカレーの上に福神漬けを山のように盛りつけた。
ほんの少し遠慮した心が、あと一かき分くらいの福神漬けを瓶に残す。
それを見て慌てたのが祐介だ。これはまさか、と思い、炊飯器と鍋の中を覗いてみる。案の定中には半人前くらいの米とカレーしか残されていなかった。頭を抱え込みそうになりながら重い足取りで食卓に戻った祐介だったが、今は美味しい食事の時間だ。あれこれ考えるのやめにして、残った自分のカレーを存分に楽しむことに決めた。
ただの思考の放棄だった。
ほんの少し残されたものたちを祐介が食べ終わったころには、あかりも大盛のカレーを食べ終えていた。
「ごちそうさまでした!」
「お粗末様でした」
「お皿洗いますね!」
「いや、やるからいいよ?」
さっさと食器をまとめて台所に向かうあかりを呼び止めようとするが、いいからいいからと、あかりはそのままシンクの前に立ち食器を洗い始めてしまう。料理に使った道具は片づけてあったが、自分の家の台所に他人が立っているというのは妙に気恥ずかしかった。
何がどこにあるかを目視で確認したあかりはなれた様子で皿を洗っている。いつもやっているのだろうか?手元に淀みはなかった。家庭的な子である。
しかしこうなると手持無沙汰になってしまう。
祐介は、ああ、そうだ、と思って立ち上がり、シンクへ向かった。
「ちょっとごめんね」
電気ケトルに水を入れて、台の上に乗せる。必要なときに必要な分だけお湯を沸かせるというのは便利なものだ。しかもコンロを使わないから、料理と並行して行える。唯一の難点と言えば、暖房器具を併用すると、ブレーカーが落ちることがあるくらいか。
「コーヒー飲める?」
二人分のマグカップを用意して、一杯分ずつドリップパックに詰められたコーヒーをセットする。最近のドリップコーヒーはスーパーのものでも十分うまい。いい時代である。
「すっっっごく甘くてミルクたっぷりのが好きです!」
すごく、の溜めに込められた思いを読み取った祐介は、スティックシュガーをむんずとまとめて掴んだ。五本、祐介だったら甘すぎてぐえーとなるところだが、女子高生の言う甘いは、成人男性の基準で計ってはいけない気がした。ミルクは、クリープでいいか。マックスコーヒーでも買ってあげたら喜びそうだ。
祐介は食に比べて飲み物にはあまりこだわらない男だった。
皿洗いを終えて、また食卓についたあかりにコーヒーを差し出す。
「ありがとうございます」
両手でマグカップを持つ様子はテレビで見るような普通の女子高生だ。よく食べる割にはお腹が出たりはしていないようだったが、今時の子はみんなそうなのかもしれない。なにせ周りに参考になるような人物がいないものだから、女子高生というのは未知の存在なのだ。
ちなみに昔を思い出しても参考資料はみやこだけだった。なぜなら祐介は全寮制の男子校に通っていたからだ。みやこのことを思い出すと苦々しい想いも共によみがえってくる。それがなんだか嫌で、素直に目の前の子を見て色々と判断していくことにした。
温かいコーヒーをすすると、口に苦みが広がる。
いつこれがうまいと感じるようなったのかは思い出せないが、最初に飲み始めたのは残業まみれの新入社員の頃のことだったように思う。眠気に逆らうために飲み始めたのだから、楽しむというものとはまるで逆の方向性だったが。
思い出してみれば、苦い思い出だ、コーヒーだけに。
くだらないことを考えていると、あかりがテーブルにすすすっと封筒を滑らして、祐介の前に差し出してくる。
「これ、お納めください」
芝居がかった声で差し出されたそれを、なんだろうと開けてみると、中には万札が五枚入っていた。
「え、ナニコレ?」
「何って……、食事代ですよ?聞いてませんか?」
あれ?っと首を傾げたあかりはかわいらしかったが、それで済ませられる話ではなかった。女子高生を家に上げて、お金を巻き上げる。いや今はまだ女子高生になっていないが、そんなことはどうでもいいし、その事実はやばさを助長するだけだ。
犯罪の匂いがした。
「ちょっとまって、ちょっとだけ待ってね?」
慌てて祐介は着信履歴から母に電話をかける。コール待ちがもどかしい。たっぷり八コールは待たせてから、母が通話に出た。
「なに、あかりちゃんがついたの?」
「それはそうなんだけど、そうじゃなくて、なんかお金渡されたんだけど、どういうこと?」
「食事代よ。それにしては高いと思うけど、みやこちゃんが迷惑かけてばかりで悪いから、って大目に包むことにしたみたいね。私はそんなの大丈夫よ、かわいい姪っ子のことなんてタダで世話させたらって言ったんだけど。いらないならみやこちゃんに直接話しなさい」
「嘘だろ?え、世話ってそこまでやらなきゃいけねーの?食事?三食全部?」
「そこまでとは言わないわよ。でもあんた料理するんでしょ?自分の食事作るついでにもう一人分くらい用意してあげなさいよ」
「ていうか、そもそもいい年した男の家に、簡単に女の子上げるとかおかしいだろ」
「みやこちゃんに信用されていてよかったわね、あなた。でも変なことしちゃだめよ?私今仕事中だからきるわよ、いいわね?」
返事をを聞かずに切れた通話に、しばらくディスプレイを見つめる。いろいろな思いが胸中で交錯していたが、何もまとまったものにはならなかった。そんな状態の祐介に不安そうな言葉がかかる。
「あの……、私、迷惑ですか……?ごめんなさい」
しゅんとした態度に響く声はとても悲しそうだ。とてもさっきまで元気にカレーを食べまくっていたことは思えないほど、小さな声になってしまった。
祐介は罪悪感に胸をえぐられる。本人の前で話すようなことではなかった。
「いや、いやいやいや、全然、全然だよ。料理って自分の分だけ作ろうとしていつも余分に作っちゃって困ってたし、むしろ作ったものを美味しそうに食べてくれる子がいると嬉しい、そう、嬉しいね!」
話ながら思う。何とか元気づけようと思いだした言葉だったが、美味しい美味しいと次々とおかわりする様子は、見ていてはっきり言って気持ちがよかった。自分の作ったものを美味しそうに食べてもらうというのは、想像したことがなかったが、実際目の前で遭遇すると気分が高揚する何かがあった。
「そうですか?無理してませんか?」
「してないね、毎食だって食べに来てくれていいくらいだね!」
「わかりました、じゃあ毎食きます!」
調子に乗った祐介の言葉に、両手を合わせて満面の笑みであかりがそういった。
しまった、調子に乗った。そう気づいたときには大抵の場合、もう手遅れである。
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