後編
のちに奈々子から聞いた話によると「イタズラ妖精の酸っぱいのに酸っぱくないレモンケーキ」は出足かなり好調だったそうだ。
オープンと同時に沢山のお客様が押し寄せ、連日売り切れの大騒ぎだとか。これは花丸の大成功で発案者の奈々子もさぞや鼻が高いだろうと、僕もホッと胸をなでおろしていたのに。
けれど客相手の商売はショートケーキほど甘くはない。
外食業界の厳しさを思い知らされたのは、その直後だった。
そう、個人で楽しむオヤツと、店で提供する商品には決定的な違いがある。
その最たるものが作る量とコストの問題である。
ある雨が降りしきる晩、ミサから電話を受けた奈々子は酷く打ちひしがれた顔をしていた。付き合いの長い僕でも、そこまで沈痛な面持ちを目にした事なんて、片手で数える程しかなかった。
深いため息をこぼすと、奈々子はこちらに報告を上げてきた。
「例の新商品な、発売中止やて」
「ええ? どうして? 大人気だし、店の目玉商品なんでしょ?」
「その人気が逆にアカンかった。ミラクルフルーツは元から話題の果物でえらい品薄なんや。値段も
「うわ、それがあったか……」
「それにな、不評の声も少なからずあったのよ。なんせ原価がかさむから、ケーキの値段も高い。材料費に人件費、光熱費をくわえるとショートケーキ一つに二千円越えや。都内のお店やし、家賃もごっつうかかるんやけど」
「二千円! そ、それはお高い」
「素人の無邪気な悪戯を採用したら、そうなるに決まってるやん? それでも、ミサはまた別の商品を考えて欲しいとかぬかしよる」
「アイディアは良かったと思うんだけど」
「ウチにだって責任の一端があるとはいえ。めっちゃキツイわ。アタマ痛っ」
「困ってる友達を見捨てないのが奈々子の長所だと思うけど。今回は、その、諦めるべきなのかもしれないよ……もう謝った方が」
「ウチが、タッちゃんの前で、そんな恥さらせるわけあらへん! 大阪モンはな、そこいらの薄情な奴とはちゃうねん」
こっちを睨みつけた彼女は目に涙を溜めていた。
そこまで言うのなら、僕だって彼女と一心同体だ。
どうにかしてあげたいと、心からそう思う。
専門家だって最初は素人だったに決まっているのだから。案外、見逃している所にどこか抜け道があるのかもしれない。
僕らはその夜から連日話し合いを重ねるのだった。
やがて、その成果は一本の電話へと終結したのである。
『もしもし、ミサですけど』
「あっ、お待たせしてスマンな。どうにか代案を思いついたで」
『えっ、ホント! いつもゴメンね。奈々子が優しいから、ミサ、超助かってる』
「かんにんしてや、マジで。そのうち縁切るで」
『はーい、頑張って独り立ちしますから。今回だけはお願いします』
「まったくもう。それでまず『悪戯妖精のレモンケーキ』を再発売する方法なんだけどや。あれ、ミラクルフルーツがなくても案外いけるかもしれん」
『ええ!? どうするの?』
「わざわざアフリカに頼らんでも、日本にはスイートレモンいう品種があるんや。これはミカンとレモンを組み合わせためっちゃオモロイ新種でな。色はどう見てもレモンなのに、味はほんのりと甘いんや」
『それ良いわね! でも代用品でミラクルフルーツほどインパクトあるかな……』
「そこや、ウチも実は最初から気になっていたんや。物珍しさだけで商売をして良いのか、そんなモンすぐに飽きられてお払い箱にされるんとちゃうのか」
『う、うん。やっぱり商売に厳しいのね、大阪人は』
「当然や、浪花のアキンドやさかい。それでなぁ、ケーキいうんはヤッパリ総合力があってナンボのモンやと思うのよ、ウチ」
『総合力?』
「前はミラクルフルーツがあったから、パインやキウイフルーツを挟んで酸っぱいもの
『じゃあ、どうすれば?』
「代わりにウンと甘いものを入れる。グミやチョコ、ナッツもバンバン入れる。お客様はまず上に載せられたスイートレモンに目がいくハズや。レモンから酸っぱさを連想して舌にツバも溜まる。ところが実際はどこを食べても甘さいっぱいで酸味はどこにもあらへんのや。結果として名前に偽りはないというワケやな」
『見た目の錯覚を利用するのかぁ、それ良いかもね!』
「あとはダメ押しで、メニューに『レモンの酸っぱさは悪戯妖精が盗んでいきました』とでも書いとけばええやろ。フランス語の注意書きならお洒落やし、勇士が勝手に翻訳して、勝手に納得してくれるはずや」
『苦労して翻訳したのなら、それを疑ったりはしないでしょうね』
「ミラクルフルーツの人気に便乗できなくなるが、それはしゃーない。値段が高すぎるし、元々すかんわ、そんなやり方」
『やったぁ! 奈々子はカッコイイ、だから好き!』
「やめんか、半分くらいはタッちゃんのアイディアやで」
『うんうん、昔の奈々子とはもう違うのね。ダーリンさんにも感謝しています』
「そんでな、どうしてもコレだけはミサに伝えておきたいんやけど」
『なに?』
「レモンはやっぱり酸っぱいから美味しいんとちゃうか? アンタの故郷で作られた瀬戸内レモンやろ? 話題作りに誤魔化すことばかり考えとったらアカンで。(それ考えたのウチやけど)そんなのレモンに失礼やん。酸っぱさを活かす調理法にも目を向けんと。そうすれば地元からも応援してもらえるで、きっと」
『うん、肝に銘じておきます』
長い長い通話を終えると、奈々子は疲れ切った様子で椅子に腰かけた。
そんな彼女に僕がしてあげられるのは、せいぜい美味しいミルクティーをいれてあげることぐらいだ。
熱々のマグカップを渡すと、奈々子は弱々しく微笑んだ。
「ありがとな、タッちゃん」
「ミサちゃんは判ってくれた?」
「多分な。あの子の店なんだから、ウチはもう知らん。知らんがな」
知らんがな。
それは大阪人が意見を述べた後に付け足す決まり文句だ。
その単語は保険としての効用を持っており、有事の際は「知らんけどって言ったやん」などと逃げをうつのに使える。セコさともとれるし、慎重さを示す態度とも、他者の甘えを断ち切る厳しさにも感じられる。
奈々子はきっと突き放すことで友達の自立をうながしたかったのだろう。
彼女はマグカップで冷えた掌を温めながらポツリと呟いた。
「アップルパイを作る時はな~、普通の甘いリンゴじゃ駄目なんや」
「へぇ?」
「
「酸っぱい物の方が役立つ時もあるんだね」
「せやで。人間関係だってそうや。ミサは可愛い後輩だったし、甘やかしたウチも悪いけど。そろそろ自分の面倒くらい自分でみろや、アホ」
「僕は甘い方が好きだけどね。いつかはミサちゃんに助けてもらう日がくるかもよ?」
「持ちつ持たれつ……か。まぁ今回苦労した分、ウチ等の結婚式にはミサもたっぷりご祝儀くれるよな?」
「知らんがな! 現金やな、君ィ」
僕は笑ってそう切り返した。
その時は知らなかったのだ。
半年後、まさかミサちゃんに結婚を先んじられ、コチラがご祝儀を払う立場となるだなんて。お相手は同じ店で働くワインのソムリエ青年、佐藤君らしい。
ハガキを目にした時、何とも間抜けな事に僕らは開いた口が塞がらなかった。
人間万事塞翁が馬。
思わぬ代案から生まれた『イタズラ妖精の酸っぱいけど酸っぱくないレモンケーキ・MKⅡ』は、その後もそれなりの人気を博したそうだ。
そして同店におけるもう一つの人気デザート『素朴な甘さの田舎レモンパイ』の存在にも触れておかねばなるまい。こちらもまた派手さはないが、レモンの風味を損なわぬ丁寧な仕事が高い評価を集めたそうだ。
フルーツカード(卵黄と果実を混ぜて固め冷やしたもの)入りのパイは滑らかな舌触りでクリーミー。幾ら食べても飽きず、心に響く控えめな酸っぱさと甘さを兼ね備えていたのだとか。
ミサちゃんの母が教えたというそのレモンパイは、披露宴でも多くの参加者に振舞われた。
「皆に助けてもらえる奴は得やね、まったく」
奈々子は宴の席でそう悪態をついたが満更でもなさそうだった。
レモンパイのレシピはミサちゃんの母がさらに祖母から教わったものだという。
レシピを通じて家系に代々受け継がれたのは絶え間ない努力と昇華の歴史だ。きっとそんな歴史こそが料理における最良の調味料なんじゃないだろうか。なぜなら不味い物、不要な物は時の流れから淘汰され、深い愛情によって選別された生粋の技術だけが混じりっけのない本物として子孫に伝えられるからだ。
その見返りを求めぬ親子愛が、今も隠し味としてパイの中で生きているのだろう。
更には材料である広島産の手作りレモン一つ一つにも、育てた者の人生と心遣いが秘められている。それら技術と素材が織りなす美味しさの相乗効果は計り知れない。
きっと味わうお客様の心に郷愁を呼び起こし、万人に懐かしさを感じさせる出来なのではないだろうか。つまりはそれが料理の到達しうる頂点、食の芸術性ってワケだ。
本当の看板メニューとは、お客様の再訪をうながし長く愛される家庭の味。
真に料理の道というのは奥が深く、素人の悪戯がおいそれとまかり通るものではないのだ。
今回、奈々子の悪戯は親子愛に敗れたのかもしれない。
でも、それでいい。
なぜって……奈々子のイタズラは、他の誰でもない「僕専用」なのだから。
これで僕もフレンチレストランのお客様にいちいち嫉妬せず済むというものだ。
もしかすると、一番自立心が必要なのは他ならぬ僕だったのかもしれない。
なぁーに、僕たちもいずれは我が家の味を決める時が来るのさ。
酸っぱい物も大切なんだろうけど、やっぱり僕は甘いのが好きだな。
人間関係でも、料理でも。
大阪女の酸っぱいんだけど酸っぱくないレモンケーキ 一矢射的 @taitan2345
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