大阪女の酸っぱいんだけど酸っぱくないレモンケーキ

一矢射的

前編



 ある日の夕方。僕が帰宅すると、上はニットセーターで下はジーンズ姿の女性が居間のテーブルにひとり突っ伏していた。彼女のしなやかなで絹糸のようなポニーテールが、なで肩と机の天板にかかって緩やかなアーチを描いていた。


 僕の目の前でテーブルに頬ずりしているこの女性こそが、僕の愛しい婚約者にして美貌の同居人、奈々子である。


 いつも明るくほがらかな彼女が、その日はどうしたことか机に顔を沈めたまま何やらウンウン唸っているではないか。「お帰り」さえ言わないのは余程のことだ。



「どうしたの? 具合でも悪いの?」

「これはな、ちゃうねん。こうやって机に伏しているのはなぁ、なにか悩み事がある時の姿勢に決まっとるやろ? ニブチン」

「……うん、僕で良ければ相談に乗るけど」

「流石、タッちゃん。話がわかるやん」



 勢いよく起き上がった彼女は口角を歪め満面の笑みを浮かべていた。

 露骨に優しい言葉を催促さいそくしておきながらこれだ。

 ちなみにタッちゃんとは僕のこと。小杉達也というのがフルネームです。

 そんなの覚えてもらう必要はこれぽっちもないんだけど。なんせこれは僕の視点から同居人の奇天烈な言動をまとめた、ごくささやかな日常記録なのだから。


 このちょっと面倒くさい浪花なにわ娘は、扱いを間違えるとすぐ大変なことになるのだ。なんせ彼女ときたら負けん気が強くて、あざとく、子どもじみた悪戯が大好きなのだから。

 たとえ仕事帰りだからといって気を抜いてはいけない。


 ネクタイを緩め首元を楽にしながらも、僕は出勤直後のような心持で奈々子の対面に腰を下ろした。



「それで、何があったわけ?」

「ホンマ、聞いてよ。いくらウチが頭も切れてベッピンさんやからって、無茶ぶりしすぎなんよ、ミサの奴!」

「ミサって大学時代の友達? 今度、西麻布にフレンチレストランをオープンするとかいう?」

「ちゃんと、ウチが美人なのも肯定こうていしてや」

「はいはい、奈々子は可愛くて、料理が上手いし、愛が重くて、仕事もできる万人に理想の女性だからね。親友に頼られるのも仕方ないよね」

「愛が重いは余計や」

「ミサちゃんに何を頼まれたの?」

「実はなぁ、ミサミサったら『皆の注目を集める斬新な看板メニュー』を何か考え出せとご所望なんよ。それもレストランオープンまでの短期間に。料理人でもなんでもない、素人のウチにそんなこと頼むなんて、アホちゃうか」

「ははぁ、奈々子はネットで創作料理を発表して多数のフォロワーさんを抱えているからね。お店の宣伝になると思ったんじゃない?」

「そんなの、ただの趣味やんけ。人様からお金をとれるモンちゃう。人気が出なくて店が潰れたらウチ責任とりきれんわ」

「頼んだのは向こうなんだから、そこまで深く考えなくても良いんじゃないの。ミサちゃんはどんなメニューがいいって?」



 聞けばOLや主婦層にバカウケしてSNSで話題となるようなデザートとのこと。

 成程、それを簡単に思いつけるなら誰も苦労なんてしないだろう。



「どないせい、ちゅーーうねん!」

「あまり気取らずに考えた方が奈々子の持ち味を活かせると思うんだけどね。お友達も多分それを期待してるよ」

「なんやろなぁ、ウチらしさって。身近過ぎてわからんわ」

「そりゃあ、モチロン無邪気で童心を忘れない所かと」

「悪戯好きって言いたいだけやろ!」



 そう、奈々子の悪戯好きは特筆すべきチャームポイントだ。

 先週の日曜日、僕が早朝からゴルフに出かけた時も特大な奴をやらかしてくれた。

 ネイルや携帯をデコレーションする際に用いるラメ素材があるでしょう?

 なんでも、そんなラメにはスプレー缶に入りのシロモノも有るそうなのだが、彼女ときたらそれをゴルフバックの中へたっぷり噴出してくれたのだ。

 お陰で僕のドライバーヘッドは日の光を反射してキラキラ。

 上司や接待相手の社長さんにまで笑われる始末。


 後でそれをとがめると、奈々子はベロを出してこう言ったのだ。

 休日にまでウチを放置した罰や! ……って。


 どうやら彼女の悪戯心は僕への不満が高まることで爆発するらしい。

 だからこそ、彼女の言動には常日頃細心の注意を払わねばならないのだ。

 今回のような同居人の悩み事を放置するなんてとんでもない!

 僕だって必死に知恵を振り絞らねばならない。

 我が家の平穏を守る為、例えばこんな風に。



「だからさ、奈々子の強みを遺憾いかんなく発揮するためには、例えば僕がお客さんで来たと思って……その時に何を出すか考えてみたらどう?」

「ああ、それ、ええな! 考えやすい、採用や。みるみるヤル気が湧いてくるでぇ。ウチの中に眠る笑いの神が覚醒していくわ。うふふ、背筋がゾクゾクしてきたぁ」

「複雑な気持ちになる感想をありがとう」

「でも(冷静)ネットで人気が出るには、ただの悪戯じゃアカンよなぁ」

「奈々子が普段ネットにあげるレシピで一番人気が高いのはどんな奴なの?」

「そりゃーやっぱり、流行りに便乗した奴やな。コバンザメが一番楽や」

「じゃあ何か流行している食材を使うとか」

「そんなモン都合よくあるわけが……いや、いけるか? ピコーンと天啓てんけいがあったわ。早速閃きをまとめておきたいのやけど。今日は晩飯の支度たのんでええか?」

「はいはい、お任せを。奈々子の好きなチーズハンバーグにしようかな」

「やった! 流石タッちゃんやでぇ。愛してるぅ、恋してる、メッチャ好きやねん」

「安上りな許嫁で助かるよ。腕によりをかけて作るからね」



 そんなこんなでその日はどうにかまとまった。

 そして一ヶ月後。看板メニューの話なんかすっかり忘れた頃になって我が家へクール宅配便の発泡スチロール容器が届くのだった。



「見て見て、ダーリン! 遂に完成したんよ」

「おっ、いつぞやの新メニューかい」

「せやでー、これはまだ試作品やけどな。仮想敵であるタッちゃんに試してみないことには何も始まらんやろう思うて」

「仮想敵って、お客様は敵かい?」

「せやせや、外食は真剣勝負なんよ。負けたら個人の店なんてあっという間に潰れてしまう。だからタッちゃんも遠慮なく感想を述べてええんやで?」

「う、うん、責任重大なんだね」

「じゃ、そこに座って。いま出すからな。ジャジャジャーン、これがウチの考えた新メニューや」



 箱の覆いが取り除かれ、中から出てきたのは一見ごく普通のショートケーキだ。

 いや、上に載っている具材がかなり特殊か?

 なんせ八分の一レモンカットが二個と、真っ赤なドングリっぽい「見たこともない果実」がホイップクリームに彩られてそこにはあったのだから。

 僕は思わず二度見してしまった。



「なにコレ? レモンがメインなの? イチゴや巨峰じゃなくて?」

「チッチッチ、そんなありきたりな物と一緒にしたらアカンで。聞いて驚け、見てタマゲろ! これぞ『イタズラ妖精の酸っぱいのに酸っぱくないレモンケーキ』や!!」

「はえ~、ハッタリの効いたネーミング」

「良いモンは、名前からしてセンスがえーんやで」

「でも、レモンなんか酸っぱすぎて果肉を食べられないんじゃ? それがメイン?」

「まぁまぁ、結論を急がんといて。このレモンはミサミサの故郷である広島産の瀬戸内レモンを用いてるさかい。無農薬で皮まで食べても安心や」

「いや、酸っぱいって……生は」

「そんな子ども舌のタッちゃんでも安心。まずはその赤い果物を食べてみい」



 僕は半信半疑でコーヒー豆みたいな小さい果実をかじってみた。

 中に大きな種が入っているので、歯でまわりの果肉をそぎ落とすような感じだ。

 舌で舐めるとザラザラしており、少しの甘味を感じた。

 そして、果実を舐めた舌の表面が微かな熱を伴う印象があった。



「なにこれ?」

「種明かしは後にして。少し待ってからレモンを齧ってみるんや」

「どれどれ」



 レモンを噛みしめた途端、僕は衝撃で思わずのけぞった。

 なんと酸っぱくない。レモンが甘いのだ。

 口内いっぱいに広がる瑞々しく甘い果汁。

 それはまるで熟した愛媛ミカンを食べているかのような食感だった。


「嘘だろ? 酸味はあるのに、酸っぱくない? なぜか甘いぞ」

「うふふ、すごいやろ? それこそネットで話題になった『ミラクルフルーツ』の力なんや」

「ミラクルフルーツ?」

「解説するで。ミラクルフルーツとは西アフリカ産アカテツ科の果実で、人間の味蕾みらいを誤魔化すミラクルな成分が含まれているんや。味覚修飾物質とか言うんやて。要するにな、次に食べたものを何でも甘く感じさせる脅威の果実なんやで」

「へぇ~これは面白い。珍しい体験だな」

「効果は三十分程だから焦らんでもいいけど、そのままケーキの部分も食べてくれんか」



 スポンジ部分は二段重ねで間にパイナップルとキウイフルーツが挟まれている。

 とことん酸っぱい果物を集めているわけだ。

 それでも甘い、酸味があるのに甘いなんて初めての経験だった。

 酸っぱい物が苦手な僕でもたちまちケーキを食べつくしてしまった。



「うーんこりゃ度肝を抜かれたな。奈々子らしい奇抜な悪戯そのものじゃないか。イタズラ妖精のレモンケーキか、奈々子の個性がよく出ていて可愛いらしいよ。これならきっと大人気間違いなしだ」

「せやな……そのはずなんや。これで何も間違っとらんはずなんや。でも……」

「どうしたの? 何か気に入らないことでも?」

「いや、ええわ。ネットの人気ってそういうものやし。売上が一番大切やさかい」



 僕にはその時、なぜ奈々子が浮かない表情を見せたのか判らなかった。

 その理由が判明したのは、いよいよ店がオープンして看板メニューの販売が始まったその後のことである。



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