第3話

 二月十四日。


 男子は皆少なからず落ち着かない日なのかもしれない。ただ、高校三年生であれば、学校には行かずに受験直前ということで、自宅や予備校の自習室で勉強している。試験当日だという人もいるだろう。


 類にもれず、ぼくも自分の部屋で朝から勉強していた。そわそわして身が入らなかった。でも、第一志望の結果がわからないのだから、第二志望も受かるつもりでしっかりやらなければ。


 昼食を食べて、ゆっくりと襲ってくる眠気と戦いながら勉強していると、チャイムが鳴った。


 母は買い物に出ているらしく、何度もチャイムが鳴る。仕方なく、インターフォンで「今出ます。少々お待ちください」と応答する。


 急いで玄関のドアを開ける。眠気に囚われいて、すっかり油断していた。


 目の前には、結衣が立っていた。


「あっ」と、ぼく。急に心臓がビートを上げて存在を主張する。


「こんちはだよ。バレンタインのチョコを持ってきた」


 そう告げると、結衣は持っていた紙袋から、見覚えがある包装された小さな箱を取り出す。

「はい。義理チョコ」といって手渡してきた。


 その『義理チョコ』という言葉に衝撃を受け、ぼくのハートは落下したチョコレートの様に割れていた。彼女は続けて何か言っているが……よく聞こえない。


「はい。それと友チョコもね」


 先ほどよりも少し大きめの箱を取り出した。どうやら、ぼくはさらにもう一つチョコを渡されようとしているらしい。事態に理解が追いつかない。


 えっと、義理で友で……。呆然としているぼくを気にせずに、結依はお構いなしに二つ目のチョコを渡してきた。


「じゃ、第一志望受かるといいね。でも、次の試験もしっかりね」

 と爽やかに告げると、またねと手を振り、にっこりと微笑むと颯爽と去っていった。


 続け様に同じ女の子から二個も貰うことを想定していなかったぼくは、右手と左手にあるそれぞれの箱を交互に見ていた。


 二個も貰えたけれど、本命ではないよな……。


 ぼくがもらったのは、結依が売り場で買った一番高いものではなかったから。


 何より本人から『義理』と『友』と告げられたのだから。なんとか理性を保ってその結論に辿り着いたが、喜ぶことも悲しむこともできない状態になっていた。


 抽選で一等は当たらなかったけれど、二等と三等が当たりました、というような気分だ。嬉しいのだけれど、本当に欲しかったものには、手が届かなかったってことだ……。


 自室に戻り、二つの箱を机の端に置いた。椅子に座って、解きかけの問題を見る。さっぱり内容が頭に入ってこなかった……。


 *


 二月下旬の第二志望の大学受験も無事に終わった。


 そして、三月に入った。


 寒い日も減ってきて、日も長くなった。三月四日の金曜日。運命の日。つまり、第一志望の合格発表の日だ。今日の午前十一時に発表される。


 当然、ネットで合否の確認ができるし、大学のキャンパスにも貼り出される。ぼくは、大学のキャンパスに行くことにした。ネットで合否を目にするよりも、五感で感じたいと思ったのだ。感傷的になっていると思う。


 行きの電車の中では、落ち着いてとても静かな気分だった。けれど、最寄駅に降り立ち、大学に向かうにつれて、緊張感が増していった。


 キャンパスに入り、合格発表が貼られている場所へと進む。時刻は十一時十分。もう貼り出されているはずだ。


 ひときわ大きな声が響く。胴上げをしていた。合格した受験生を体育会系の先輩方がお祝いしているのだ。その横では、親子で見にきていて結果に落胆している人たちもいる。


 ぼくはあらためてスマートフォンに撮った受験票の番号を確認する。今朝から何度確認したことか。


 その番号があることを祈り、貼り出されている合格者の番号一覧を目で追いかけていく。番号は連続していない。落ちた番号は記載されないからだ。


 ……あった! 


 スマートフォンの写真をもう一度見る。そして貼り出された番号も見る。間違いない!


 熱いものが込み上げてくるのがわかった。静かにガッツポーズを取っている自分がいた。


 嬉しさで震える手で、貼り出されている番号をスマートフォンで撮る。文字もうまく打てないけれど、なんとか親に合格したというメッセージを写真と一緒に送る。そして、結依にも……


「合格した! 春からよろしく!」


 そして、ぼくは空を見上げた。あ、今日はこんなにいい天気だったんだ。雲ひとつない快晴だった。



 帰りの電車の中で、スマートフォンにメッセージが届いた。結依からだった。


 「おめでとう!」と告げるアニメ付きのスタンプが何種類も打ち込まれてきた。ぼくはあらためて自分の努力が報われたと感じた。


 *


 家の玄関の前で、寒そうにして結依が待っていた。


「おかえりー。そして、おめでとう!」

「ありがとう。でも、どうしたの?」

「ふふっ。あげたいものがありましてね。はい、これ」


 彼女から差し出されたのは、あの時買ってたチョコレート。一番高かったやつだ。


「第一志望合格チョコレートです。……略して、本命チョコ!」


 そう言って、いつものにこにこした顔で受け取れとばかりに、ぼくの胸にチョコを押し付けてくる。


 あ、ああ。そうか……。


 天から類まれな才能を授けられたギフテッドな、幼馴染。


 天才だけど、ちょっと変わった、女の子。


 世間とズレた行動が当たり前な、彼女。

 

 自分がすっかり空回りしていたことに気づいた。常識なんて通じないんだ。知っていたはずなのに。ぼくは素直に受け取った。


 確かに言うよ、第一志望を『本命』って。


 そして、意を決して、結衣に告げる。


「あ、あのさ、明日、買い物に付き合ってくれないかな?」


「明日って土曜日か。午後ならいいよ」


 なんだかわかっているよという雰囲気で彼女は答えた。


「じゃ、午後一時に、女神が丘駅の北口改札で待ち合わせで、どうだろう?」

「ふふっ。わかった! じゃ、明日ね」


 そう言って、嬉しそうに微笑んだ後、彼女は自分の家に帰っていった。


 *


 土曜日の午後十二時五十五分。


 待ち合わせ場所には、先に結衣が来ていた。


 今日も長い黒髪をおろして、濃いグレーのコートに赤いマフラーをしている。ロングスカートに黒いブーツ。もう温かくなってきたのに、寒がりは相変わらずだな。天才に磨きをかけるようなメガネが一層凛とした印象を与えているけれど、雰囲気はいつもより柔らかい。


「何の買い物?」なんて聞いてこない。お互いもうわかっているから。


『義理チョコ』と『友チョコ』と『本命チョコ』のお返しを、用意しないといけない。


 三月十四日は、ホワイトデーだ。

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ギフテッド・バレンタイン 凪野 晴 @NaginoHal

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