第2話

 電車の中では、隣同士に座席に座り、お互いの近況を伝えた。


 こっちは受験勉強一色なのに、結依はもう大学入学までの休みを満喫しているそうだ。


 図書館で本を読むのが好きだったが、最近はタブレット端末で電子書籍の読み放題にハマっていると。


「本好きにとって、読み放題の電子書籍は最高だよ! 気になった本を値段も気にせずに好きな時に読めるんだ。食事の時も、お風呂の時も、寝る時もいつでも」

 

 結衣にとっては言語の壁なんてないから、本当に世界中の本を読めるのだろうな。ちょっと羨ましい。


「ところで、デパートには何を買いにいくんだ? そろそろ教えてくれてもいいだろ?」


「えー、もうちょっとで大神町駅だよ。もう少しがまんしてね。というか当ててみてよ」

 と、にこにこしながら英語で言ってくる。


 これまでの付き合いから、何か新しいことに興味を持ったんだろう。今日は、それに付き合わされているのだ。


 電車は終点の大神町駅に到着する。改札を出たところで、結衣の英語モードは解除された。


 正直、ホッとする。英会話は言いたいことを英文として考えながら話すから頭が疲れる。彼女はそんなことはないのだろうけれど。


 デパートに着くと、一階で各階の案内図を確認して、結依は下りのエスカレーターへと向かっていった。ぼくは後についていく。


 向かう先は、デパ地下だった。エスカレーターを降りると、そこは特設売り場になっていた。二月の一大イベント、バレンタインチョコの売り場だ。


「買い物って、チョコレート?」と聞くと、結衣は大きくうなづいた。


 ぼくは正直とても驚いた。結衣がバレンタインに興味を示すなんて。これまで全くなかったからだ。基本的にこのようなお祭りごとには、動じないタイプで何もしないのだ。


 ……つまり、付き合いの長いこのぼくですら、結衣からチョコをもらったことがない。


「どんなチョコを買ったらいいか、よく分からないからさ。教えてもらいたいなと思って、今日はお願いしたの」


 空いた口がふさがらなかった。付き合ってほしいと言われた買い物が、正直、バレンタインのチョコだとは思わなかった。普通に考えて、男子を連れて買いに行かないだろう。


 いや、待て待て。結依は誰にチョコレートをあげるつもりなんだ? 


 途端に僕の頭の中は、得体の知れない不安が渦を巻きはじめた。

 

「……あ、あのさ、チョコを買ってどうするの? お父さんにあげるのかな?」


 自分で言っておいて恥ずかしくなった。なぜ、お父さん。そりゃ結衣にとって身近な異性の一人だろうけれど、女子高生相手に聞く対象じゃないだろう。

 

「うん。お父さんの分も買いたいな。わたし、バレンタインチョコあげたことないんだよね」


 ぼくの問いかけに律儀に答えてくれる彼女。なんだかフォローされたようで、嬉しいような、悲しいような、複雑な気分になった。


「じゃ、他の人の分も買うんだ? ……だ、誰にあげるのかな?」


 だんだん自分がしどろもどろに言葉を発しているのに気づく。変に緊張している。手にじわりと汗がにじむし、ちょっと頭が熱い。


「えー、とりあえず、秘密。チョコレートを買うのに相談相手が欲しかったんだよ。リサちゃんや恵ちゃんは受験だからね、邪魔しちゃ悪いと思って」

 と言って、にこにこしながら、秘密にするのは当然だという雰囲気を纏っている。


 友達に気を使うのは素敵だと思うけれど、ここにも受験生がいませんかね?


「いろいろあって迷うね。どれも美味しそう!」と付け加えて売り場を見渡している。


 見事にこれ以上聞くなという感じで、心のカーテンを閉められた。


 とりあえず、結衣はいくつも買いそうなので、カゴを見つけて荷物持ちを引き受ける。心中穏やかではないが、平静を装う。たぶん、いつもよりぎこちない動作になっていると思う。

 

 売り場をゆっくり周りながら、気になったチョコのサンプル陳列を見ていく。格子状に区切られた箱の中に様々な形をしたチョコが並んでいるもの。プラスチックの瓶の中に、一つひとつが個装されていてバリエーションが豊富なもの。チョコだけでなくクッキーなども詰め合わせられているもの。実に様々だ。そして、値段も。


 結依はやはり何人かにあげる予定のようで、大小様々に選んでいく。ぼくの意見も時に採用され、いくつかがカゴに入った。値段の高いものもあった。数は十個近くになった。


「えっと、これで大丈夫かな?」そう言って、彼女はカゴの中のチョコを数える。

 

 納得したようにうなづくと、ぼくからカゴを取り、レジに向かいつつ、

「買ってくるから、そこらへんで待ってて」と告げられた。


 おとなしく、他の買い物客の邪魔にならなそうな場所に移動する。小さなため息がでた。暇つぶしにスマートフォンを確認する気にもならない。


 結依は誰にあげるのだろう。いろいろ買った中に、本命チョコがあったのだろうか。考えても答えがでないことだ。とわかっていても、思考は止められなかった。


 今どきは、友チョコといって同性の友達にあげるものや、自分へのご褒美に買うものもあるらしい。義理チョコという線もあるな。ああ、考えてもしかたないのに。

 

 しばらくするとレジをすませた結依が手提げ袋を両手に持ってやってきた。荷物持ちの任務は解かれていないらしく、ひとつを持たされた。


「それじゃ、帰ろう。買い物は済んだし」


 やることを終えたら、あっさりと撤収モードのようだ。ぼく自身も受験生として時間が惜しい。素直にそれに応じた。デパートを出て駅へと向かう。


 駅の改札を抜けたら、……英会話教室が再開された。


 *


 数日後、ぼくは第一志望の大学を受験した。


 コンピュータやソフトウェアが好きなぼくは、情報学部に入ることを望んでいる。


 外で友達と遊ぶよりも、パソコンに向かっている方が楽しいと感じていた。父親がシステムエンジニアだったので、小さな頃からパソコンに触れやすい環境だったのもあると思う。


 書いたプログラムが、パソコンの中で思う通りに動くのは面白い。ちなみに、天才少女の結依様は、プログラム言語にはとんと関心がないそうだ。


 第一志望の大学は、様々な学部がある総合大学。ぼくの学力ではぎりぎり。そして、結依が通うことが決まっている大学でもある。


 中学までは一緒だったけれど、高校は別々だった。彼女はこの大学の附属高校に通っていて、ぼくは公立高校だったのだ。


 自分がとことん勉強してみたい分野の学部があって……気になる女の子が行く大学なら、挑戦する価値はあるだろう。そんな動機だ。半年以上、これまでの人生の中で一番勉強してきたと思う。


 バレンタインチョコの件は気になっていなかったと言えば嘘になる。あの時からずっと気になっていた。本命チョコがあるか、帰りの電車での英会話でも結局聞けなかった。その後、彼女からのスマートフォンへのメッセージもなかった。


 試験の手応えは、得意な情報と物理、結依に鍛えてもらった英語は自信があった。数学の出来次第。そんな感触だ。でも、もう試験は終わってしまった。これから努力をしても結果は変わらない。


 第二志望の試験が約二週間後にあるけれど、よほどのことがない限り、そっちは落ちない自信があった。


 やはりとても緊張していたのだろう、家に帰るとどっと疲れが出た。その日は、いつもより早く寝てしまった。翌朝までぐっすりだ。


 翌朝、スマホのアラームがいつもどおりの時間に鳴り響く。眠気を殺しながらスマホに手を伸ばす。昨晩にメッセージが届いていたことに気づいた。


 結衣からだ。短く、一言。


「明日かな? 試験がんばれぃ!」


 いやいや、ちょっともう試験終わってるんですが! と心の中でツッコミを入れる。


 見事に目が覚めた。そして、同時に脱力した。ほんとズレているよなぁ。


「昨日終わったよ」と短い返事を送る。既読や返事はない。まだ寝てるんだろうな。


 部屋のカレンダーを見る。第一志望の受験日と第二志望の受験日が目立たせてあるけれど、その間の……十四日の日付に目が止まった。


 チョコがもらえるかもと期待している。そんな自分を発見して、目をつぶる。短いため息が出た。

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