第19話 受け継がれた息吹
自分が話した前世の話を否定も笑いもしなかった青年に、李音は好感を抱いた。
「あっ、あの・・・ お名前を伺ってもいいですか?」
「あぁ、失礼。僕は、
青年は、名前の入った美しい虹と海のカードを差し出した。
「わぁ。キレイな写真。ありがとうございます。」
受け取ったカードの写真に李音は心が揺れた。ひどく懐かしい気がする。
〈さっき見たばかりの人魚の前世の光景だわ。あの虹の島・・・ そうだわ。虹の島、虹の橋にそっくり。〉
激しく胸が高鳴る。思わず李音は、また左胸の上に手を当てていた。
「どうかされました? ご気分でも?」
令桂は、とても心配した様子で李音の顔を覗いている。
「いえ。大丈夫です。何でもありません。本当にとても素敵な写真ですね。」
微笑む李音の様子に安心したのか、軽く頭を下げ令桂は下へおりて行った。
〈虹の島は本当にあるのかしら? やっぱりあの前世は本当なの?
この写真の場所は・・・〉
李音は、受け取ったカードを手帳に大事に挟み展示の写真の続きに向き直した。
写真は本当にどれも水の風景ばかりだった。どれも素敵だったが、さっき渡されたカードの写真ほど心揺さぶられる物はなかった。
どのくらい時間が経ったのだろう。あの激しい雨が止んでいる。背後でまた、階段を駆け上がって来る音がする。
「ねぇ、これ。よかったら。さっきの写真なんだけど。」
令桂が上がって来て1枚の写真を見せる。コルクの栓がされた透明なガラスの小瓶に、写真が納まっている。
「さっきの写真?」
李音が聞き直すと
「ほら。さっき僕が君の後ろ姿を撮った。」
「あぁ・・・」
令桂は小瓶を渡して
「君に。よかったらもらって。」
と微笑んだ。
「えっ? いいんですか?」
「もちろん。君の写真だからね。
ねぇ、そんな事より虹を見に行こうよ。雨が上がったんだ。見て。大きな美しい虹が、ほら。」
令桂は窓を指差した。
大きな虹が架かった街が見えている。
「あっ、待って。」
李音は携帯を取り出すと窓の写真を撮った。
「ほら、早く。虹は一瞬なんだよ。早く行かないと虹の橋が消えちゃうよ。」
「虹の橋?」
令桂は、李音の手を取って階段を急いで下りて行く。
カフェを出て通りを抜けると、大きな虹がビル群を囲むアーチのように架かっていた。
「虹なんて久しぶりだわ。キレイ。」
李音が嬉しそうに眺めていると、
「そう? 僕はよく見るよ。いつか、あの虹の橋の中を通れたらいいのに。って思ってる。虹の橋をくぐると体中に虹色の粒がたくさん付いて、それを付けたまま戻って来るんだ。どう? 面白そうじゃない?」
令桂は、虹から目を離さずにいっぱいの笑顔で話した。
「えぇ。いつか叶うといいですね。」
令桂の横顔に向かって李音が言うと、
「あぁ、いつか。その時は、君も一緒に。」
令桂は、まだ繋いでいた李音の手をしっかりと握った。不意に力のこもる握られた手の感触に驚いて、李音はもう一度令桂を見る。その時、令桂の首元の鱗のような破片が眩しく虹色に輝いた。
「あら、素敵なペンダントですね。」
「あぁ、これ? 僕のお守りなんだ。龍の鱗って言われている夜光貝なんだ。」
「えっ? 龍の鱗・・・」
「うん。龍の鱗って。海辺の小さな店で見つけたんだけと、不思議な昔話があるらしいよ。」
「どんな昔話ですか?」
「・・・うん。また今度。また今度、その昔話を聞きに僕の所へおいでよ。」
令桂は微笑んで黙った。李音も黙って頷いた。
「今日はなんだか不思議な天気ね。」
李音が薄くなり始めた虹を見つめながら言う。
「あぁ、そうだね。今夜は月食らしいよ。満月が消えてしまうなんてちょっと怖いけど、僕はドキドキするんだ。久しぶりに恋しいもの同士が一つに重なり合うみたいで。
でもね。こういう夜は惑わされちゃいけない。時に惑わされちゃいけないんだ。順番やタイミングをよく考えないと、大事なことを間違えて逃してしまうんだ。」
令桂の言葉にドキッとして、李音は繋がれたままの手を握り返してしまった。
沈黙のまま、握られた手に力が込められてゆく。どちらの力とも分からぬままそっと。二人の手は固く繋がれていく。
「そうね。恋しいものは巡り逢わされて、一つになる時が来るのでしょうね。
二つが別々に在るから惹かれるのよね。最初から一つだったら、互いが感じられないもの。」
李音が呟いた。
「あぁ、きっとそうだ。」
消えかけた虹を見つめたまま令桂が応えた。
風に揺れた木の葉から大きな雨粒が落ちて来た。李音の白いシャツが濡れた。
その少し透けたシャツの胸元に、珊瑚の枝のような紅い痣が浮かんでいる。
「さぁ、戻ろう。〈恋しい水の唄〉へ。」
令桂は李音の手を引き来た道をカフェへと戻って行く。
「えぇ、戻りましょう。これから撮りたい写真のお話も聞かせて頂けます?」
「えぇ、喜んで。君が聞いてくれるのなら。」
すっかり虹が消えた街は、いつも通りの夕景に近付いている。
今晩の月食を前に一新された空は、穏やかで薄い茜色に次第に染められてゆくのだろう。李音はカフェへの帰り道、またあの歌を口ずさんでいる。特別な人魚の唄を。
令桂はそっと耳を傾けている。
聞いている事を悟られないようにそっと。
決して忘れる事のない秘密の唄を懐かしんで。
恋心廻るとき、強かに人魚は唄う。 七織 早久弥 @sakuya-t
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