第533話 【新生の翼】


   *


 空に消え去る、邪悪の残滓ざんし……


「………………」


 それは、誰でもない“魔王”の覇気の消失を意味していた……


 夜が終わり、光が満ちる。新生を祝福するかのような朝日が、鴉紋の全身を照らしていく――


 地平に満ちる神秘の“光”――新たなる生命が芽吹き、緑が生い茂っていく。


「…………」


 黒の稲光消え去り、消失していく“天魔”の力……

 全身を覆う黒く強靭なる肌が、彼本来の色味を映し出し、徐々にと消失を始めていく。


「なぁ……ダルフ…………」


 右の灼眼しゃくがんが色を失い、視力も失せる。そこには虚空を向いた黒い瞳だけが残った……


「なんだ……」


 柔和な声が、鴉紋にすぐに言葉を返していた。


「お前は……どんな、になるんだ」


 割れた額より血を垂れ流し、もう立ち上がる事さえ出来なくなった魔王――否、“”を、ダルフは側で見下ろした。


「王……帝王、俺が……?」

「言葉を選べよ……腑抜けた返答だったら、俺が許さねぇ」


 鴉紋の視界には、もう闇が差し始めていた。その全身は目もあてられぬ姿へと変わり果て、曲がった左足が草原に残される……


「俺は……俺はっ」


 厳しい顔付きでダルフを見上げる黒の視線……しばし逡巡しゅんじゅんした後、ダルフは鴉紋の真っ直ぐな視線を見つめ返し、今心にある純粋なる気持ちを、何も飾り立てる事もなく口にする事にした。


「誰かの幸福に、共に喜び……誰かの悲劇に、共に涙を流せる」

「……」

「そんな“帝王”に……俺は……なりたい」


 何処か、幼稚で、つたない言葉……最期の時に、自らに盟友への……

 ――おそらく、厳しく破天荒なこの男に対して、まるで意にそぐえないとも思われる弱々しい言葉を、ダルフは吐露してしまった。


「…………」

「……っ」

「………………そうか」

「――!」


 思わぬ微笑に、ダルフは目を丸くして鴉紋の側に座り込んだ。

 無表情ではあるが、とても自分を嘲笑する様な態度はうかがわれない……宿敵であり好敵手であったこのが、何を思っているのか考え知れない。


「…………」

「鴉紋……」


 ――だがしかし、何か晴れやかな気持ちがダルフを満たし、気付けば仰向けに倒れ伏せた鴉紋と共に、何処までも深い蒼穹そうきゅうを眺めていた。


 光降り注ぎ、風に草木が揺れる。花の香りが何処いずこより、二人の鼻腔を甘く掠めていった。


「…………」

「…………」


 流れる雲は細く、緩やかで。うららかな“世界”が、二人を包み込み続けた……


「ダルフ……結末を付けろ……」

「…………っ」


 何時しか二人を遠巻きに眺める様に、固唾を呑んで周囲に寄り集まった人間達。彼等は皆恐恐としながら、もう何の抵抗の手立てもない鴉紋を見詰めていた。


「…………」

「この……イカれた世界に……終止符を……」


 深淵のような瞳でしばし足元を見下ろしたダルフは、側に突き立てていたフランベルジュを掴んで立ち上がると、鴉紋の頭上で剣を構えた……


「うっ……うう…………っ」


 しかし、宿敵を見下ろしたダルフの視界が、止め処もなく溢れ始めた涙に、かすみ始める。


「……っ……ぁ…………」


 それは何故なのか……

 あれ程憎んだ怨敵の最期を前にしながら、ダルフが落涙を続けるのは――


「ぅっ……ぅ……あもんっ」

「…………やれ」

「ぜんぶ…………ぅ……おまえは……っ」

「やれ、ダルフ……統制を失った世界を再び束ね上げるは……を討つ、絶対的力……それ以外に……無い」


 フランベルジュの切っ先を、しかと鴉紋の心臓へ向け……

 ――ダルフは誓う。高尚なる、騎士の名にかけて。


「人……と、ロチアート……いや、との共生は……」

「……」

「俺が必ず叶える」


 涙を振り払い、ダルフがそう言ってのけると、鴉紋は虚空を仰いで鼻で笑った。


「叶うわけねぇだろ……」

「…………っ!」


「……だが…………――」


 “新生”を遂げていく世界が、歓びの声を上げているかの様に、ざわわと緑を風に撫でた――


 遠く、崩壊した修道院で、陽光に照らされた二人の少女が起き上がった――


 ――思わぬをその目に見下ろし、ダルフの口が半開きとなる……


「ぁ………………っ」


 

 神秘の朝日に身を照らされ、その黒き肌を消し去っていく鴉紋は……

 赤き瞳も消え去って、今生のあらゆるしがらみから解き放たれていった鴉紋は……



      まさしく“人間”として――――


と……そう思う」






 




 








 刃物を刺し込む鈍い音が、静まり返った世界に響いた。


 ******


 夏の草原を駆け抜けていく二人の少年が居る。

 並走する彼等は、何やら競い合うかの様にして、この先の丘の向こうに見える、剥き出しの断崖を目指している様だ。


「へっへ〜んっ! 俺のが足が速いぞアバル!」

「待ってよダリオ、一体何処まで競争するの〜っ」


 ダリオと呼ばれた活発そうな少年は、短い金色の髪を揺らして、力一杯に夏の日差しの中を走り抜けていった。


「また転んで服を汚したら、お母さんに怒られちゃうよーっ、ねぇ聞いてるダリオ〜?」

「な〜にがお母さんだ! 甘えん坊め!」


 アバルというらしい気弱な少年は、耳が隠れる程の黒い髪を汗に濡らしながら、必至に腕を振るっていた。


 元気に野を駆け抜けるダリオの方が少し早い。丘を越えて大きな岩を飛び越えていく。しかし僅かに背後、額の上で濡れた前髪を躍らせるアバルは、赤い視線で前を覗き、何やら前を行くダリオの歩幅に合わせ、わざと出遅れる様にしている気がしてならない。


「いっくぞーー!!」

「またやるの〜っ、ヤダよ〜」


 そんな事など露知らず、元気な少年の金色の瞳が、積乱雲のそびえた蒼天へと向かう――


「行くぞアバル! 先に大きいを捕まえた方が勝ちだ!」

「食べられない鳥を持って帰ったら、僕またお父さんにゲンコツされちゃうよ〜っ」

「メソメソしてんじゃねぇよ! 今夜は鳥のステーキだぞ! お前の母さん好きだったろう?」

「僕の方がもう食べ飽きたんだよ〜っ」


 断崖を目指す少年達は、高き丘を駆け登りながら、まるで失速する事もない。このままいけば、大地の果てる絶壁の先端で、目も当てられぬ悲劇が巻き起こるであろう……


「うるさいなぁ、うちの父さんと母さんは鳥肉が大好物なんだ! 今日も獲って帰って、喜ばせてやるんだよ!」

「うちのお父さんとお母さんは、お魚の方が好きだよ〜っ、も〜っ」


 ダリオを左に、アバルを右にして足並みを揃えた二人の少年は、肩を並べて視線を突き合わせる――


「せーので行くぞ!」

「あぁも〜っ」

「せ〜のっっ――――!!」


 崖を越え、空へと飛び出した二人の少年――……


 大きく笑って歯抜けを見せたダリオ。

 その右翼からは氷の翼が、その左翼より、白き雷の翼が揃う――


 今に泣き出しそうな顔で、眉をしょぼつかせたアバルの左翼からは炎の翼が、そして右翼より、黒き雷電の翼が開いていった――


 空を飛翔する二人の少年。

 快活な笑い声が、二つの太陽が照らす、光に満ちた世界を飛び上がっていった――


 ジリジリと虫が鳴いて、遠くの草原から動物の声がした……











   *


 新生した世界は、“帝王”ダルフ・ロードシャインの手に収められた。


 彼の統べる世界は平等をうたい、永く泰平を守り続ける。

 自然を大切にし、生物と共存し、人々は安寧に腰を下ろす。


 世界に一つ残された奇跡の大陸は、国として、こう呼ばれる事となった。










 ――と。

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【悪逆の翼】 渦目のらりく @riku0924

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