美の造反者


 その日私は、父親の鞄から煙草を二本くすねて、それをティッシュペーパーに丁寧に包むと、制服のポケットの中に潜ませた。

 家を出るとやや白飛びした冬の快晴の空は殊の外眩しくて、私は目を細めた。

 寒空の下に射す陽は軽快で、夏の猛々しいそれよりも、細めた目に徐々に馴染んでゆく光の淡く滲んだ柔和な感じが、何かの始まりを私に意識させた。


 私は学校までの道のりをマフラーに鼻を埋めて歩いた。埋められた顔から覗く視線だけが耽々と前を見据えていた。

 手袋はしなかった。代わりに、私は両手をポケットに突っ込んだ。ちり紙の柔らかさ、その内側に隠された二本の細長い形、弾みのある感触、軽やかな質量、これらの調和の中に微妙な均整で成就しているこの言おうようもない充実感、この、どこか完成された心象の結晶物。私の右の手の指先はこれを弄びながら、純粋で危険な楽しみを味わっていた。

 この不正の悦びは、私の心に浮ついた全能感をさえ覚えさせた。この二本の持つ効果、それも、確かな実際的な効果が、私の不条理な全能感に根拠を与えてくれるように思われた。私の心はこの乾いた冬の空のように晴れやかだった。


----


 校門をくぐると、私はすぐに花壇へ向かった。私の期待した通り、冬の長い夜はひたむきに霜柱を育てていた。私はそれに足を差し入れて、その一部分を巧く裏返した。そして、もう一つ別の個所も、同じようにして裏返した。

『この綺麗な白い塊が、黒い土の中に眠っているんだ。私がそれを暴かなければ。全て暴いて、壊してしまわなければ』

 春になれば外界に対して健康な美しい花を憚りなく咲かせるであろうこの花壇の、冬の秘密の美の淫靡さに、私は私の悪意の拠り所を見た。花の、植物の、この慎ましやかな原罪の徴。爛漫とした、肉と粘液との介在せぬ、色とりどりの痛ましい性的抒情詩。我々が花を愛でるのも、我々がアフロディテに仮託させた性の神聖さをそこに夢見るからではあるまいか?

 その花の秘密を、その根にあるもう一つの実相を、私は既に知っているのだ。

 どうして私が、文句ひとつ言わずに、花壇の世話だなんていう面倒な役回りをひとりで引き受けていたのか、この瞬間になら合点がいった。美と結託している、いや、違う……今この瞬間、美への造反を、私は、首魁している。


『ヘルメス! ヘルメス! ヘルメス! ……』

 私は私の建てた美の偶像の名を心中で何度も誦しながら、その青空の下に晒された二つの白い輝きの面の片方を悉く踏みにじった。そして、残りのもう一方は、私の共謀者になるかもしれぬ何者かのためにそのままにして去った。


----


 午前の体育の授業の間に、私はひとり抜け出して空になっている自分の教室へと向かった。

 他の教室での授業の行われている気配に、日常をその外から見遣る際の非日常の持つ、他人の家の閨房を盗み見るときのような危険と好奇とを孕んだ罪悪感を覚えながら、余所者の浮ついた足取りで、私は誰もいない廊下を速歩で渡った。

 教室の前に着くと、人の気配のないのを慎重に伺いながら、中に這入った。

 教室の中へ一歩進むと、私は後ろ手に扉を静かに閉めて、少しの間その場に立ち尽くした。

 薄暗い室内は、男子生徒の脱ぎ散らした学ランと、陽に褪せた橙色のカーテンを透過する淡い光とに満ちており、この野卑で洗練されていない、しかし、どこか周到さをも感じさせる世界の裏の秘密の印象に、私は強く心高鳴らせている自分を発見した。今私の眼前に広がる光景は、誰彼の意図を微塵も必要とせずに、連綿とした永い時の流れの中で、自然の為すままに任せて、どこの学校のどこの教室にもあり得る形で、秘密裏に用意されていたのである。美は、海岸線を徐々に侵していく潮のようにして、表の世界の預かり知らぬところで裏の世界を侵食していき、我々の皮下で脈打つ血潮が思わぬ条件下で、その血潮と同位相の美の波長と干渉し合うそのときに、全く不可解な倒錯した官能的疼きを我々に味わわせるのである。

 これが内密に企てられた世界の美の正体であった。見慣れた教室の裏側に、こうも精緻に養われた一つの認識が隠されていようなどと、誰に想像できたか? よしんば想像できた者がいたとして、それの暴露される瞬間に、あの霜柱を踏みにじる際の悦びの、汎人間的な業の深い有様を適用し解明してみせることのできた人間が果たしていただろうか? 美への造反を決心した人間にしか、少なくともそれは不可能なのである。

 私は確かに選ばれている。私には美に歯向かうだけの資質がある。それだけではない、私にはそれを破壊するだけの力がある……

 美の本質を暴きたてる。暴き立てるだけではない(それだけなら私でなくともできる!)、その美の形態を踏みつけにして、元来ただの土くれに過ぎぬその実相を、この美という偶像に思い出させてやるのだ。

 私は私の犯行への確信の強度を高めていく毎に、胸の高鳴りを尚強くした。やがてそれは激しい興奮と前後の不覚な陶酔とを齎して、私の足はそうと意図する前に既に赤見の机へと向かっていた。


 彼の席の前まで来ると、粗雑に畳まれた制服が机上に置かれていた。この美の落としていった野卑なものの形跡を目の当たりにしても、最早私の心は痛まなかった。しかしまた、この教室の机の上に脱がれた制服の、日常を意に返さぬどこか惑わしい不遜な印象に、私は一瞬、罪の告発への恐れを思って躊躇った。が、そのとき、彼の脱いだズボンにそのまま残されているベルトのバックルの金属の反射が、私の目を射て、その無機な閃きの冷たさが、私の冷徹な勇気を幾らか繋ぎとめてくれた。

 まだ目の前の現実から投げ出されるわけにはいかぬのだ。

『まだ少し。あと少し』

 私は革命を前夜に控えた造反者の、抑えるに抑え難い血の脈打ちを、己の耳に聞いた。


----


 これらの陶酔の最中で、犯行それ自体は極めて速やかに行われた。そのあまりに速やかなことは、犯行と認識との間に横たわるべき隔たりを忘れさせる程であった。それはまるで、犯行という本来であるなら一瞬間に凝縮されるべき行為の一時点を、それに至るまでの私の内省生活をも含めた長い期間にまで押し広げた結果、行為と呼べるかさえも極めて曖昧な微温なものに見せているようでもあった。

 それか若しくは、私の犯行があくまで遅効性のものであり、犯行はそれが為された瞬間では完全には成就せず、私の手を離れた後もまだ時間と蓋然との助けを待つ不完全さを残していたから、そう感じただけなのかもしれなかった。そのような意味に於いては、私の犯行はまだまだ意志薄弱な甘えたものであったと断ぜずにはおれない。然るに、犯行とはそれを夢見る当人が、行為そのものとそれにより引き起こされる結果とを一緒くたに夢見ているのでなければ、(正にそのような己の悪意を悪意そのものとして把持し切れていない善意の弱さによって)尚のこと卑劣で悲惨な結果を招くことの屡々なのである。


 私の罪は、態々紙面に認めることすら憚られるほどに、重さを持たぬつまらぬものに見えた。

 私は父親からくすねた例の二本の煙草の内の一本を、彼の学ランの裡ポケットに忍ばせた。ただそれだけなのである。

 私のした行為それ自体のつまらなさは、(当時の私くらいの年齢の子供たちにとってのみ適う)煙草という物体の複雑で多分な含みを持ったある種の権威を勘定してみてやっと、その有意さを確かめることができた。そしてまた、この煙草という一つの能力(と、これを有意にする如上の権威)でさえも、犯行現場であるそのときの教室の背徳的な空気の中に模糊として霞んでしまい、行為が認識以上の実感を伴わぬまま、罪は精神薄弱の自己免罪の中で、殆ど私の気がつかぬ間に犯されてしまったのである。

 私のしたことは、謂わば官給された地雷を茂みに仕掛けておいて、その能力が実際に行使されるかどうかということについては(つまり、己の行為により実際に何が齎されるかということについては)、それを成した外ならぬ自分自身の良心にかけてすら一切関知せぬという(つまりは想像力の入用となるような辛苦の一切を免除してやるという)、人間心理に精通した老獪な戦術によく似ていた。


 もし私が、勤勉で全うな犯罪者であったなら、もっと爽やかに、道徳的に、罪を犯せていたであろうに……

 しかし、これで良かったのだ。美への造反は、ややもすれば、それ自体美への従順になりかねない。犯罪こそ、恐らくは私が如上に述べたような世界の裏側に巣くった美という内患の、その温床になっているはずであるから。


----


 体育の授業が終えて、学ランに着替えなおしても、赤見は己に仕掛けられた悪意による異変に気が付いていない様子だった。

 彼の懐中に確かにあの危険な一本が、まるで寄生虫のように宿主も知らぬうちに忍ばされている、そしてそれの片割れのもう一本も、私の懐中に、同じようにして忍ばされている。この事実は、まるで私がこれまでに用意した裏の世界を彼と共有しているようで、私をいくらか満足させた。

 彼がこの秘密に気が付いたとき、つまり、世界の裏側の実相に触れたとき、彼は私の企てた美とそれへの造反に共鳴して、私の同志となるはずなのである。そして、美の王国を追われた支配者はその美しい顔貌に嘗てない苦渋の色を浮かべて、我々の世界は、その懊悩の下に初めて完成するのである。美と世界との融和などあり得ない。苦しみによってこそ、世界は美を地上的なものにまで貶めて、このことによって、この世界の完全性は成就するのである。

 美を世界の構造の中に再び組み入れてやるのでなければ、全ては誤謬になってしまうという私の恐れは、恐らくは美が世界から余りに隔てられているように見えるという私の主観によって極めて独善的に確かめられていたに過ぎないのだ。

 しかし、この場合、もし私の独善的主観を仮に真であると措定するにしても、造反者を自認する私の立場はやはり危うくなり、寧ろ美の方こそが世界に対する造反者であるのだと定める方が、より自然かつ合理的なやり方であったことは言うまでもない。

 約まるところ、私の反抗心は極めて思春期的な凡庸なものの域を出ず、仮想敵を定めなければ自己同一性の確立すら危ういという幼い焦慮に、私は急かされていただけのことなのだろう。


 本当に美は世界(つまりは私)と、対置されていたのだろうか? このような疑問を抱くだけの余裕は、今でこそ持てる郷愁的なメランコリーに過ぎないのである。


----


 昼休みになった。

 他の生徒が思い思いの時間を過ごす中で、教室を後にする生徒らの一団に紛れるようにして赤見もまた退室していくのを、私は見逃さなかった。私はその後を付けた。

 彼の目的地には目星がついていた。彼の後ろについて行きながら暫らくすると彼は先ほどの一団から外れて独りになった。私は尚も彼を追続けた。


 果たして彼が向かったのは音楽室だった。ここで、二人は逢引きをするのである。

 私は隣の準備室に忍び込んだ。騒音による苦情のために吹奏楽部の朝練習が廃止になった後でも熱心に運指の練習に来る或る吹奏楽部員が、準備室の施錠を怠りがちなことは、よくそのことで叱られている彼の姿を見て私は知っていた。

 毎週木曜日のこの時間に先生はいない。私の中学校の音楽教師は非常勤だったから、しかも木曜日は午後の授業だけという具合で、授業開始のぎりぎりにまで現れない(生徒には過剰に厳しいくせに自分には甘い)先生の不精によって二人の世界は護られていたのである。

 私は音楽室へと繋がる扉に背を凭せて座りながら、この肌寒く薄暗い部屋の中で独り、隣室の気配に耳を澄ましていた。

 二人の会話は朧気ながらに伝わっては来るけれど、その内容までは判然としなかった。ただ、二人が親し気に話していることだけは、間々私の耳に零れ入ってくる晩夏の大瑠璃の物悲しいさえずりのような二人の笑い声によって、それと知れるのであった。


 やがてピアノの音が私の耳朶を打った。

 流麗とした一小節と、その後に繰り返される辿々しい一小節とが交互に演奏され、恰も大人と子供がじゃれ合っているような違和感を私に覚えさせた。しかし、その違和は決して不和にはならずに、謂うなれば、親が子と共に戯れているときの和気あいあいとした雰囲気がそこにはあった。

 二人はピアノの練習をしているのである。あの女子生徒が講師で、赤見が生徒なのだ。


 まず講師が範を垂れる。感情たっぷりに演奏される『主よ、人の望みの喜びよ』は、恰も慈悲に満ちており、それでいて私の感情を一層逆なでした。

 その後に、生徒が範に倣う。ただでさえ一定しないテンポは、最初のミスタッチに誘発されて畳みかける誤りのためにひどく調子外れで、無様な有様である。

 そんな生徒の演奏を聴くと、講師の方は更に調子づいて、これ見よがしに最初の一小節目から七小節目までを続けて弾き始めた。彼の前で良いところを見せたいのだろう。しかし、その弾きぶりはバロック音楽らしからぬ抑揚の過剰のために、原曲の主題の静謐さは湿っぽい感情に曝されて、バッハの負い目の一つとてない朗らかで神聖な歓びの音楽は、それより下等な人間的愛情の暗く厭らしいとさえ呼べる程の悦びの音楽にまで貶められて、私には、こんな彼女の露骨な心情の表露が、醜くて、醜くて、ならなかった。


----


 私は余りにも辛いこの数十分の間を、一体どのような心持で耐え果せたのか、今となっては見当もつかぬ。ただ、一つ言えることは、その間私を確かに繋ぎ止めていたであろう叛逆の意思は、これ迄私が縷々と語ってきたような観念的な地に足つかぬ妄執にのみ支えられていたのではなく、もっと地上的な、汎人間的な執着心によって、支えられていたのだということである。

 この執着心が、私にはどれだけ格好悪く思えたか、しかも、その趣味は今でも続いているのだ。告白しよう、私は今この場に及んでも尚、多くの嘘をついているのだということを。ただ、あえてこのような告白をせずとも、恐らく私という人間の裸の姿は、それら数々の嘘を通してみることで、真実をそのままに語る口よりも一層真実味をもって、そこに顕れているはずである。


 二人の逢瀬の終わりを告げる予鈴が鳴った。惜しむような会話と靴音が聞こえてきた。扉が開いて、それがしっかりと閉められたことを確認すると、私は今まで背にしていた扉から音楽室の中に這入った。

 鍵を預けているということは、先生は、二人が休み時間にここを使っていることを知っているはずである。知らなくてもよい、それは然したる問題にはならぬであろう(より重要なのは、この音楽教師の疑り深さと嫉妬深さである)。

 本当なら、赤見が独りで練習をしに来ているときにやるのがよかった、が、しかし、そのようなタイミングはなかなか訪れぬし(そもそも例の吹奏楽部員の怠慢に頼らねばならぬ以上は尚のこと好機は望むべくもないし)、それについてもどうにでもなるだろう。

 今私がすべきことは、この音楽室という場所にもある世界の裏側の実相を、人知れず巣くった美の厭らしさを(あの二人の世界の正体を!)、悉く暴きだして、それを破壊してみせることなのだから。

 どうせ破壊してしまうのなら、細部の事情など大した問題にはなりはしない。繊細な仕事を期待される爆弾などありはしないのだ。ただ、私が用いるのは爆弾ではなくこの一本の煙草だ。ほんの些細なものだ。この些細なものを彼らの座っていたピアノの椅子の上に置いておく、私のしたことはただそれだけである。

 最早行為とさえ呼べぬ、認識とほとんど地続きな私の犯行は、しかしそこに確かな破壊への意志を孕んでいたのだ。爆弾を使わずに、そればかりか、行為らしい行為すらも経ずに、事前に準備された意図によってのみ破壊を為そうとしたのである。これこそ芸術ということではあるまいか? 芸術で以て美を破壊するのだ。なんて痛快なことか。


 直に生徒が集まり、少し遅れて先生も駆け込んでくるに違いない。

 私はするべきことを済ませると、準備室の扉に内側から鍵をかけて、音楽室の扉から外へ出た。

 鍵を持った生徒が二人と入れ替わりで来るに違いないが、開いている扉を見ても特に訝しがることはないだろう。それに、当の二人でさえ、自分たちが確実に鍵を閉めたのだということを、自信をもって証言できるだろうか? もしできたとしても、どのみち私が不利になるようなことは有り得ないだろう。


 誰にも怪しまれぬように注意しながら私は音楽室のそばから離れると、少し遠回りをしてから自分の教室へ戻った。

 私は赤見を、ヘルメスを、ちらりと見た。何も知らぬ彼がそこにはいた。良心が少しも痛まなかったと言えば嘘になる。しかし、裏腹に、私の心は驚くほどの不敵な幸福感に満ちており、この少年も、他の少年と同じようにして見ることができた。

 なんてことはない、少しばかり容姿の良い、ただの男の子に過ぎないではないか。

 果たして美は損なわれたのであろうか? 確かに、私の建てた美は、他ならぬ私自身の手によって損なわれたらしい。そうでなければ、私が斯様にして、この没落した美の支配者の姿を正視できたはずはないから。

 私のした行いについても、時間があるべき結末へと導いてくれるはずであった。もちろん、私の思う通りの結果にならないことだって十分にあり得た。しかし、芸術がそれを為した当人の思惑通りの能力を発揮することは寧ろ稀であるから、仕方あるまい。


 これらのことよりも、私には損なわれた美という観念が、私の思う以上の悲惨さで以て心象に表れてこないのが不思議だった。思い出してみれば、あのヘルメス像も、腕を欠損していた。しかし、その欠損が不具の感じを与えるということは決してなかった。

 単に想像力の補完による美の恢復というのでは、これは余りに浅薄な解釈であるように私には思われた。

 『いったいこれはどういうことだろう?』

 塑像に過ぎぬ私の人生がそれを悟るには、夥しい時間と、老いによる諦念にも似た楽観が必要だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヘルメス 坂本忠恆 @TadatsuneSakamoto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ