第二部 塑造

美の凋落


 彼に値する何ものもないのと同じように、彼もまた何ものにも値しなかったのである。


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 私がヘルメスと直接話すことを恐れたのは、私が彼に綽名したこの神の名の伝説に迷信深い慄きを感じたからというわけでは勿論なかった。彼は私の脳裡に美の表象そのものとして固着していたから、美という観念それ自体の持つ「触れ難い」という性質は、今現前する美の表象それ自体に適用してみた場合には「触れてはならぬ」という倫理に変移するのであった。そして、この現実する美としての倫理に最も忠実だったのは、私ではなく寧ろ彼の方であるように思われた。少なくとも、私はそのように信じようとしたのだ。

 ヘルメスが日陰の生徒であったことが、自然が彼に叙したしかるべき位格だったということは前述したとおりであるが、この美の宿命的孤立は彼に何らの悲壮をも感じさせぬように見えたばかりか、彼自身その与えられた身分を自ら望んで接受しているという風ですらあった。しかるに、このことは全く、私の理想が恣意的に描いた美の肖像に過ぎなかったのである。

 美は馴れ合いを求めぬ。あらゆる落伍したものの中にあってその貴さの疵付かぬ類まれなものこそ美である。かるが故に美とは孤独である。孤独であらねばならぬ。

 私が疑いなく美に付したこれら諸々の公理は、それが日陰の性質を持っていることを全くの負い目とせずに、反対にその逆説的手続きで以ていやが上にもその美の地位を揺るぎないものにした。このことは、彼の持つ美の本来の力が可能にしたことではなかった。寧ろそれは、美を籠絡しようとする芸術的方法論によるものであった。私が彼を美しいと思うやり方には明らかに意識下での計算が働いていたからである。

 意識的な美。解釈的な美。例えば花を、それが花であるが故に美しいと感じる無為の不能の審美を、私の解釈的審美は侮っていた。私は彼について、例えば簡素な定理に(美と近縁の)真理という言葉を付してそれを己の才知の裡に捕えようとする科学者の自惚れに似たやり方で、つまりは自身の解釈の能うその尺度に於いて、私は彼を美しいと規定しているに過ぎなかった。いや、確かに彼は美しかった。しかし、彼がただ美しいというだけの脱力感に、この徒労にも似た感性の消耗に、私の己惚れた審美は我慢がならなかったのである。

 私が「美しい」と一言すれば、全ては忽ち「美」を得るのである。ここに私の類まれなる尺度が立ち現れるのである。決して美が類まれなのではない。私の用いる尺度の能うその深度において、美の類まれなる性質が規定されるのだ。

 美と結託しているという自意識(或いは、美を養っているという自意識)。ヘルメスの美に対して私が肥らせたこの自意識は、終にはあるしかるべき帰結に逢着したのである。ここに於いては、美は本来の性質に回帰するように私には思われた。それは、見られる客体としての(もっと押し並べて言えば、感受される客体としての)、美の本然であった。

 果たして私が存在していなかったとして、彼の美は完成しただろうか? こんな問いかけは、私には愚かしく、そして虚しく、響くのだった。


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 チャイムの音が午後四時を打った。

 そのすぐ後に沸く同級生らの喧騒は、余剰な精力と無恥との漲る暗い情熱によって、窓外の遠方に棚引く夕闇をこちらへ招来するかに思われた。彼らのこの放課後のどよめきの、どこか不気味な、不遜な、暗い水面に浮かぶ波紋のような妖光の感じが教室に瀰漫した。その波光はじりじりとヘルメスに触れるかに見えてどこまでも遠かった。この怪異にも似た縺れた遠近感は、私たちと彼が、同じ時間同じ空間に存するということさえも殆ど信じなくさせるほどだった。

 窓際の席のヘルメスは、陽の零落れてゆく空の暗藍色を背景に、居住まいを正したままの姿で、そのまっすぐな視線を前方へと注いでいた。黒板を見ていたのではない。そこにはもう何も書かれてはいなかったから。

 両手は辞書大の分厚い便覧の上で微動もせず重ねられていた。それは最早肉の美ではなかった。もっと硬質なものの持つべき美であった。その美は彫刻の持つべき美であり、その眼差しは、彫られた眼の持つべき眼差しであった。

 いったい、彫られた眼は何を見るのだろうか。或いは何も見ぬのか? 彫像の持つあの虚ろな視線のいはれは、彼らがただ生命いのちを持たぬというその一点にのみ所以しているのだろうか。己から見ることの決して能わぬという美の不能の性質が、ただ見られる物質としてのみ存在しているという美の虐げられた本然が、ヘルメスの肉の上に表れて、彼をあの硬い孤独の殻で覆ってしまい、終にはその眼さえも盲いらせたというのか?

 果たして、この孤独の殻とは、正しくこの宇宙のことなのではあるまいか? 己を囲うすべての空間が、存在が、己の外側に無限の広がりを持つというこの自己排他的な無力感は、殊彼の場合に至っては、真理を己の才知の裡の有限物として捕らえてしまうという美の傲岸な圧縮作用によって、その硬質な殻の印象に化転せられているのであろうか? 彼を覆うこの教室という空間、私を含む夥しい数の俗衆、宇宙の事象のすべてが、彼を排斥し、彼を孤独にしているように見えてその実、彼の皮膚の上に貼り付く垢のようなものに過ぎぬと考えることは、私の解釈の生み出した美の無為の結論の、その最も著しい倒錯の一つであった。

 美は、斯くの如きあてのない思惟の行く末に、虚無の網を張って私をいつでも捕えようとした。美は、何も見ぬように見せておきながら、しかし、如実に見ていたのだ。彫像のあの虚ろな目は、我々の内部にその視線を投げて、眼前の無為な景色とのその照応の中に、我々の内的な虚無を暴きだしていたのである。


 美に見られているという自意識の、何と恐ろしいことか。


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 徐々に、そして確実に、昼の世界を征服しつつある夜の帳は、ヘルメスの身体に媚びるようにその輪郭を覆っていき、彼の瞑想的な神秘の殻をなお深く、厚く、そして美しく見せた。

 私はこのとき、宇宙が、その偉大な闇で大地に接吻をし、この美の支配者に額づくさまを、確かに見た。

 確かに見たのだ……


 そのときだった。ある女子生徒の一人が、彼に何やら声をかけたのである。

 『斬首だ!』私は咄嗟に心の中でそう叫んだ。この無礼者は、いったいどのような料簡で、この美に捧げられた夜の闇の祈祷を、破ったというのか……


「ねえ、赤見くん」

「ああ、船木さん、便覧、ありがとう」

「赤見くんが忘れ物をするなんて、珍しい」


 彼女は隣のクラスの学級委員長だった。小柄な、銀縁の眼鏡をかけた、日陰の少女。きっと彼女も、自分は特別な、周りとは違う人間だと思い込んで、傲っているに、違いない。


「これ、昨日徹夜してかいたんだよ。それで朝寝坊して、便覧を忘れてしまったんだよ」

 ヘルメスは言いながらカバンから薄桃色の日記帳を取り出すと、栞の頁を少女に示した。

「あっ、これ」

「好きだって言っていたよね?」

 私の席からも、書かれた文章の辿々しい筆致と、流行りの漫画アニメの拙い模写が、一瞬だけ、チラりと見えた。


「上手よ! 上手!」

「そんなことないよ。君に誘われるまで、やったことなかったんだもの」


 私には少女のあからさまな阿りが心底腹立たしかった。


「次は私の番ね。何を描いてきて欲しい? なんでも描いてあげるよ」

「ええと、そうだな……」


 しかし、そのようなことはどうでもよかった。

 見られるべき美が、見られるべき客体としてのまま、己もまた見られる客体を生み出すと言う矛盾は、私にはあまりにも不可解だった。そこには解き難い強力な矛盾の力があった。それは殆ど天変地異のようですらあった。私は背筋が怖気立つのを覚えた。(唯一、彼の描いた絵が美しくなかったと言うことだけが、私には救いだった)


「あは。そんな難しいの、私に描けっこないわよ!」

「ははは。そんなことないさ」


 少女が笑った。それにつられて、ヘルメスも、笑いだした。しかも、声をあげて、笑ったのだ。


 こんなことが許されるのかと私は考えた。しかし、どうやらそれは許されるらしいのである。考えれば考えるほど、それは許されてしまうのだ。

 迂闊だった。私は、本当に迂闊だった。解釈を拠り所にしていた私は、解釈をすることによって反対に、どれだけこの考えから免れていたことであろう。即ち、ヘルメスの中に、この美の形態の中に、それとは不相応な、譬しへも無く尋常な精神の宿っているという、この考え、もとい、事実から。

 美が「おもう」ということを、美が、「感ずる」ということを、しかも、尋常な精神でそれを為すということを、なぜ私はこんなにも恐れたのか。


 私は憎しみの差した眼でヘルメスを見た。

『見るのは私の方だ。お前ではない、私だ。だから、お前は何も見るな、何も話すな』

 私の心中で唱える呪詛の言葉など彼に届くはずもなかった。

 私は、私の抱く危うい美の観念に、それまでの間破局の予感を一切覚えなかったと言えば、嘘になる。嘘になるが、しかし、私は芸術家の傲岸な眼の悪辣な暴力性を、何処までも過信していた。己が美しくないのなら、腕力で美を征服するまでである。この場合の腕力こそ、私にとっての解釈(芸術的策動)の力であった。そして私は、この芸術家の凶暴な目を、生身の肉体に注ぐことで、彼自身を、一つの作品に仕立てようと企てたのだ。生命あるものを芸術として扱うということは、そのものから精神を奪うということであり、即ち、そのものを殺すということである。何故なにゆえ死骸が己を夢見よう? 芸術家により生命を奪われ、ただの見られる対象になり果てたその土くれに過ぎぬ美の形態が、それを作り出した我々を一切見返さぬであろうという美への専制的態度には、正に、芸術的営為、知的活動、解釈の習慣というものが、極めて倒錯した性衝動の抑圧の裡にあることを証明していた。

 エロスとタナトスの顛倒。このネクロフォリア的矛盾を、美という背理法によって、私は一つの解、「ヘルメス」へと導いたのである。


 矛盾の上に立脚せられた美の方程式は、その土台となる公理のでたらめな脆弱性のために、斯くも些細な打撃とともに、脆くも崩れ去ったのだ。


 そのときの私はいったいどんな眼をして、ヘルメスを見ていたのだろう。そのときの私の姿を見たとしたら、彼は一体何を思ったのだろう。美の凡庸な精神に去来すべきそれら諸々の嫌悪の念を空想してみることは、私の解釈の強度に増長され、私をどこまでも苦しめた。

 このときの私の視線は余りに無力だった。見る主体としての権利を奪われた私には、解釈の力で美を恣にするということは最早不可能だった。

 あの笑顔には届かない!

 私は拒絶されているのか……?


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 この迅速なる美の凋落の中に、この、彼の破顔の笑みの中に、珠の砕ける須臾の白銀の閃きを見た気がしたことは、こればかりは、私の解釈による誇張ではなかった。

 誇張の一切夾雑せぬ、美の、厭らしいほどに裸な姿であった。


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