水底に語る者はなし
白神天稀
水底に語る者はなし
大学の夏休み。俺は小遣い稼ぎの為に日雇いで釣りのバイトをした。
船に乗って沖まで向かい、漁師のおっさん達の指示通り網の準備や魚を絞める作業。
少し疲れる仕事ではあったが、夏の気分にはちょうど良いバイトだった。釣った魚も賄いとして出て、ヒラメの刺身なんかも食わせてもらった。
「兄ちゃん、スーパーの魚でこんだけ美味いもんはなかっだろう」
「はいっ! 人生で一番美味しい刺身です! もっと良いですか?」
「食え食え。なんだ、線が細いと思ったら良い食いっぷりじゃねぇの」
昔ながらの豪快で気持ちの良い漁師達とのバイトは俺も気に入ってた。ただし一人を除いて。
「テメェ俺の分がなくなるじゃねぇか!」
「いっつ……」
「あ? んだテメェ、舐めてんのか?」
「おう、おめぇは兄ちゃんと仲良くしろ」
「チッ……」
ヤンキー崩れの粗暴な男が一人いた。年齢は同じぐらいで、常にしかめっ面をして乱暴に殴りつけてくる嫌なヤツだった。
おっさん達の言うことは一応聞くが、陰で転ばされたり殴られたり、地味な嫌がらせをさせられてた。
「悪ィな兄ちゃん。怪我してねぇよな?」
「ええ、このぐらいは……」
「すまねぇな。アイツは親も手に負えねぇらしくってな。追い出そうにも逆上して仕方ねぇんだと」
聞くに彼は親から金を巻き上げて毎日パチンコ三昧。酒とタバコが切れたら学生相手にカツアゲをする、なんて絵に書いたような不良だった。
ハッキリ言って関わりたくないし、おっちゃん達がいると攻撃してこないから、船に乗ってる間は漁師の後をついて回ってた。
「そうだ兄ちゃん、ちと準備する事があっからよ。代わりにこの竿見ててくんねぇか?」
「えっ、俺がですか!? 俺の力だと竿ごと持ってかれちゃいそうですけど……」
「かかった時に呼んでくれくれりゃ良い! ただ竿と水面をジッと見ててくれりゃそれで」
「は、はぁ……」
「じゃあお前らは後ろだ。兄ちゃん、こっからはよ〜く集中すんだぞ」
おっちゃんは竿の先から糸の続く方へ指を指す。船より少し前の方へ俺の視線を導いた。
「ここらは暴れる魚が多い。水面が揺れてんのか、掛かってんのか分かりにくいから、目を逸らさず見てるんだぞ」
「は、はい。分かりました」
「おし、じゃあ任せたぞ!」
言われた通り、竿の先をジッと見続けた。
おっちゃん達はバタバタと忙しなく動く。
あまりの騒がしさに気になっていたが、指示通りに竿から糸の動きだけを見て集中を研ぎ澄ました。
「おーし、餌入るからなー。魚が来るぞー」
直後にドボン、と大きな水音が聞こえた。
そこから数分後、おっちゃんの言った通りに魚が寄ってきて次々に掛かってきた。
「よっしゃ、来たぞ来たぞぉ。兄ちゃんはクーラーん中に魚詰めれるだけ詰めといてな」
「はい!」
「落ち着いたら休憩や。新鮮なブリの刺身食えんで」
しばらくは魚の大漁が続いて、俺も網の回収やブリを捌くことで大忙しだった。
包丁もいつもより血が滑ってる気がして上手く持てなかった。
それもなんとか乗り切って、俺とおっちゃん達は刺身を堪能していた。潮風を感じながら食べる新鮮な魚はいつも美味だ。
「よーしお疲れ様さん。港に着いたらお給料渡すな。封筒は分厚いぞ〜」
「ははっ、楽しみです」
今日の日給で何を買おうか、なんてことを考えていた。その矢先にふと思い出した。
「ところで、あの人は?」
「あの人?」
「ほら、あのヤンチャでオラついてた人……」
「さあ? そこら辺で小便でもしてるんじゃねぇか? ハッハッハッハ」
おっちゃん達は揃えたように笑い続ける。
「まあ、兄ちゃんが言ってるのが誰かは知らんが、そんなやつはきっと船には乗せてたらいかんからな」
「特に、親父さんやお袋さんも手を焼くようなやつはまあ、沖の方でもぷらっと散歩にでも行きたくなるんだろう」
「これなら困るのもいないだろうしな!」
潮風より冷たい何かが背中を走った。
一瞬箸は止まったが、少ししてからまた刺身を口にし始めた。味は変わらず美味い。それで良い。それだけを感じて愛想笑いを浮かべていた。
撒き餌の正体も、やけに血で濡れていた包丁も、今は考えない。俺は考える必要がないのだから。
ただもう、このバイトは二度と出来ないかもしれない。
どれだけ集中して竿先を見ていたとしても、命乞いの声と悲鳴だけは波の音でも掻き消してくれないのだから。
水底に語る者はなし 白神天稀 @Amaki666
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