後編

あの日、今にも死にそうな顔をして。だけどその瞳の奥には「死にたくない」という意思を秘めたあの人を見た、その時から。

ボクはずっと、あなたの抱えたそんな矛盾に、恋をしている。


『生きるのに疲れた』

そんな、何度目かも分からない彼女からの救援信号に、ボクは慌てて、彼女と暮らす部屋へと足を向けた。

一緒に暮らしている、というか、ボクが勝手に住み着いてあれこれ施しを受けている彼女は、完璧で真面目な仮面の下に、ひどく構われたがりで、寂しがりな性質を隠している。

それは、普段は綺麗になりを潜めているのだが、しかし、ふと彼女のこころが弱った時に、ひどく面倒な衝動と共に、発露するのだ。

「死にたい」という、どうしようもない衝動と、共に。

ボクに毎回こうやって連絡をしてくる事からも、彼女はきっと、本当に死にたいと思っているわけではないのだろう。なんなら、初めて死のうとしている彼女と出会った時だって、彼女はあまりにも分かりやすく「死にたい」という気配を醸し出していた。誰かに、死のうとしている自分を止めてほしいと。そう、目が訴えていた。

要するに、面倒臭い構ってちゃんなのである。

そんな、側から見ればなんとも面倒臭い性質を抱えた彼女のことを、ボクは、どうしようもなく愛している。

愛しているから、彼女がこうやって助けを求めれば、ボクはたとえ、バイトのシフトが入っていたって、彼女のことを優先してしまう。

パタパタと、スカートの裾を揺らしながら、ボクは彼女の暮らしているアパートの階段を駆け上がる。どうか間に合いますように。そんな願いを拳の中に握りしめて、ボクはようやく辿り着いた彼女の部屋の玄関のドアを開けた。

「はるかちゃ〜ん、帰ったよぉ〜?」

そう声を張り上げて、ボクは彼女が居るであろう部屋へ、足を進める。カタン、と小さく物音がしたから、きっと彼女はまだ生きているのだろう。ひとまず安堵の溜息をついて、ボクはそっと、部屋のドアを開けた。

目に飛び込んできたのは、予想通りの光景。おそらく首を絞めようとしたのだろう、椅子の脚に結ばれたロープを握りしめたまんま微動だにしない彼女を背後からそっと抱き締めて、それからボクは、彼女の耳元で優しく囁く。

「だめだよ、はるかちゃん」

彼女の細い身体が、ボクの腕の中で震える。あと一声だ。ボクはもう一度、彼女にそっと囁いた。

「ボクを置いて、死んじゃだめだよ」

そう囁けば、彼女の手のひらからロープがするりと滑り落ちて。

ああ、よかった。ボクはここで、ようやく、心の底から安堵した。


彼女は死にたがりだ。だけど、決して、本当に死にたがっているわけではない。

それがただのボクの想像で、本当はきっとそうじゃないことくらい、ボクはとうの昔に、気がついている。

だから、彼女が「死にたい」と言えば、ボクは必死に止めるし、彼女の「死にたい」の理由を、少しでも払拭してやりたいと、そう、思う。

だってボクは心の底から、彼女に死んでほしくないって、そう、思っているから。

一目惚れだった。初めて、心の底から好きだと思った。

あの、今にも死にそうな彼女の繊細な心に。ほんの少しだけ垣間見えた、この世への未練に。そんな矛盾を抱えた、哀れでどうしようもないこの人に、どうしようない、恋をしている。

好きだから、死んでほしくない。好きだから、生きていてほしい。そう思うのは、そう思ってしまうのは、どうしようもない、ボクのエゴだ。彼女に押し付けてはいけない、ボクの願いで、ボクの醜い執着なのだ。

彼女のこころは、きっととうに摩耗し切っていて。初めて出会った時には、ほんの少しだけ残っていた未練だって、きっともう、どこにもない。

だからきっと、彼女がこの世に留まる理由は、何にもないはずなのだ。

それなのに。

「……優樹は、優しいね」

だってこんなにどうしようもないわたしを、見捨てないでいてくれるんだもの。

そう言って、彼女は、諦めたような顔をして笑うのだ。

ちがうよ、はるかちゃん。

ボクはあなたが思うほど、優しい人間じゃないよ。

だって、本当に。本当にボクが優しいひとだったなら。

あなたのことなんて、とうの昔に見捨てていたよ。

あなたが死にたいなら死んだらいいよって、あなたからの連絡なんて全部無視して。

あなたが死んだって、そんなの気にしないまま、いつもと変わらない生活を送ってる。

だけど、それができないのは。

ボクがどうしようもなく酷い人で、どうしようもなく、あなたのことが好きだから。

だからボクは、きっと。今日も、明日も、あなたのことを傷つける。

あなたが「優しさ」だと称した、ただのエゴで。あなたのことを、ずっと、ずっと。

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わたしの隣の希死念慮 一澄けい @moca-snowrose

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