第6話
「……到着、ね」
「はい、そうみたいです」
ダクトをしばらく這った二人が到達したのは、薄暗い地下通路だった。分厚い埃が地面に積もっているが、時折行き交いがあるのか足跡がある。
だが、真っ暗なせいで他は何も見えない。
(……差し詰め、後ろ暗い品はここで仕入れているのね)
ライトで辺りを確認した静香は立ち上がり、軽く埃を叩く。ルカも立ち上がりながら小声で訊ねる。
「ここからどこに逃げるのですか?」
「そうね。西の方に逃げようと思うけど――まずは、クロノスを突破しないと」
「……え?」
目を見開いたルカに静香は苦笑いをこぼしながら視線を通路の先に向ける。
「見えなくても分かるわ。管理用通路を使っているのはすでにクロノスは学習しているはず。なら、その出入口にクロノスを置いて封鎖しているはずよ」
静香はそう言いながら鞄を開き、中から拳銃を取り出す。弾倉を三本取り出すと、二本は後ろのポケットに収め、一本は拳銃に装填する。さらにサングラスも取り出してTシャツの襟口にフレームを引っかける。
拳銃のスライドを引いて薬室に弾丸を送り込むと、鞄をルカに手渡した。それからライトを消して彼の手を引く。
「私の後ろについてゆっくり進みなさい。絶対に前に出ないように」
「は、はい……でも、暗闇で見えないんじゃ……」
ルカの声を聞きながら静香は前に進み出る。ライトの恩恵が絶えた通路は真っ暗闇だ。神経を研ぎ澄ませながら拳銃の銃口を上にし、顔の横で構える。すり足でゆっくり進んでいく。
その視界は――ルカの言う通り、見えない。だけど。
「察することはできるわ――ルカ。ここで待機。絶対に音を出さずに待つ。私が合図したらすぐに来る。いいわね」
一方的に押し殺した声で告げると、静香は滑るように闇の中を進んでいく。
空洞音と地上の震動が響く不気味な地下空洞。時折響き渡るのは、地下鉄が近くを走っているのか、ずずん、ずずんと重たい震動だ。灯りがなく、気配もない中を手探りで進んでいく――だが、目を凝らせばわずかだが、物の輪郭が見えてくる。
(……ここを抜けると、大きな通路と合流する)
待ち伏せに、適した地点だ。
その合流地点が視界に入ったところで、静香はサングラスを目で覆う。そして足元に落ちている手頃な石を拾うと、ゆっくりとした動作で放る。
その石が派手な音を立てて地面を転がった瞬間――視界を焼く紅い閃光が迸った。
暗闇に慣れた目にはあまりにも明るすぎる閃光。だが、静香はサングラスでそのダメージを抑え、冷静にその光線の発射源を確かめる。
(数は三つ――いけるわね)
流れるように物陰から出ると、拳銃を両手で保持して引き金を数度引く。鋭い発砲音が重なって鳴り響くと共に、鈍い金属音が響き渡った――命中だ。
だが、その達成感に浸ることなく、静香は別の物陰に向かって跳躍。瞬間、彼女の立っていた場所を掠めるように紅い閃光が迸っていく。
静香は物陰から一瞬だけ顔を出し、敵の位置を把握すると迷わずにさらに駆け出す。
柱から柱へ。柱から物陰へ。駆け出る、と見せかけて逆に方向に駆ける。
静香の動きを正確に追随しているのだが、その光線は彼女を捉えられない。
(甘いわよ。私が何年一緒にクロノスと仕事をやってきたと思うのよ)
確かにクロノスの視界センサーはナイトビジョンも搭載しており、暗闇でも動ける。レーザー光線は装填には最短で3秒時間がかかる。
そのわずかな時間に距離を詰めるのは容易い。尤も、クロノスはそれも見越したうえで先読みし、狙いを定めているようだが――。
(狙いが正確なら、逆にそれを避けて動けばいいだけのことよね)
静香にはクロノスの演算が手に取るように分かる。
無論、それは人間が一瞬だけ上回ってくるのみ。クロノスはいずれはそれも学習し、それを上回った動きをしてくるはずだ。
だが――この短距離ならば、この先読みだけで十分だ。
「……っ!」
次の光線が放たれる直前、静香は鋭く横へと跳んだ――クロノスがその射線上に入るように。直後、光線を放とうとしたクロノスががくんと動きを止める。
フレンドリーファイア防止の安全装置が働いたのだ。
その隙に静香はもう一体のクロノスへと肉迫。至近距離から顎の下の関節部分に銃口を突きつけ、引き金を絞る。直後、脆弱な部分を銃弾が駆け抜け、破壊――クロノスが機能を喪失する。
続けざまにその身体を盾にするようにして、静香は残りのクロノスに向けて残りの銃弾を全て吐き出す。十発以上の銃弾がクロノスに殺到、その一発が頭に当たった瞬間、ぐらりとクロノスの身体は傾き、がしゃんと地面へ崩れ落ちた。
静香は素早く身を翻し、壁に背をつけながら左右を窺う。敵の気配がないことを確認すると、鋭く奥に向かって声をかける。
「ルカ!」
「はい!」
少年が鞄を持ち、急いで駆けてくる。静香は銃の弾倉を入れ替えながらライトを取り出すと、小走りに地下通路を駆けていく――クロノスが無力化されたのはすでに連絡が行ったはずだ。
それなら他のクロノスも駆けつける。その前に離脱しなければならない。
(そのための抜け穴も――確か、この辺なら……)
地下通路の途中――通路の隅に目が吸い寄せられる。鉄の蓋の表面に刻まれているのは鉄道会社のマーク……。
(これだ)
静香は足を止めると、拳銃をその鉄の蓋に向けて発砲。蓋のロックを火花と共に破壊すると、その蓋を足で蹴り開けて下を見る。
その下に見えるのは――線路だ。
「地下鉄――丁度いいわ。合図をしたら一斉に降りるわよ」
「……まさかと思いますが……」
「ええ、そのまさかよ」
ずずん、ずずん、という重低音がどこからか響き渡ってくる。近づいてくる物音に無表情なルカは若干、表情をこわばらせている。
少しだけ垣間見えた感情に静香はその手を握りながら声をかける。
「大丈夫――私が、味方だから」
何があっても、たとえ国家を敵にしても。
『人の命を平然で見捨てる国になぞ、仕える道理はない』
老いた祖父の声を思い出しながら、静香は微笑みかけるとルカは覚悟を決めたように手を繋ぎ返し、力強く頷いた。
(行こう――この子を逃がすためならば、たとえどこまでも)
必要なら、他国に亡命することも厭わない。
耳を澄ませていると、足元が徐々に明るくなってくる。
その音が最大限に近づいた瞬間、静香はルカの手を引いた。
「今っ!」
その合図と共に静香とルカは宙に身を躍らせる。
次の瞬間、二人の真下に鉄道が駆け抜けていった。
◇◇◇
『――No.53、目標をロスト――』
『推定ルートを検索――対応開始』
モニターに浮かぶコマンドを眺める男は深くため息をこぼした。
「やれやれ、また逃しましたか。どうやらあの焚書官は優秀のようですね」
「冗談を言っている場合ではないぞ。立花くん――『対象』を逃しては意味がない」
「それは失礼いたしました。さすがに笑ってはいられませんね」
男――立花はモニターから視線を外し、後ろを振り返る。
そこは立派な事務室だった。革張りのソファーや高価そうな調度品。用意された執務机や椅子も一級品だ。そしてその椅子に深く腰掛けている初老の男性もまた、品のいいスーツに身を包んでいる。
その男性は自分の時計を見ながら、立花に視線を移した。
「一体、彼女は何者だね」
「焚書課所属の職員、後藤静香。現在調査中ですが、どうやら公安からの出向のようですね。なるほど、道理で腕が立つわけだ。銃をどこで仕入れたかは気になるところですが」
「……まさか、公安が関わっているのか?」
「いえ、まさか。あちらで動きはありません」
「なら構わん――内閣府に感づかれる前に、さっさとケリをつけねば。立花くん、例の書類は準備ができたかね」
「ええ、もちろんですが――本当にやるのですか?」
立花の怪訝そうな声に、初老の男性は悠々とした様子で頷いた。
「無論だとも。あれは活かしておいては国の害になる。早々に摘まなければなるまい――そのためならもはや、手段は選んではおられんよ」
「……分かりました。ではこれを」
立花は持っていたタブレットを男性の目の前に差し出す。そこにはコマンドが入力されている――『焚書宣言』――。
「焚書命令の上位にあたる、焚書宣言。これで法務省管轄のクロノス全機を焚書に動員することができます――ただ、これに同意されると他の省庁から感づかれる可能性があります。よろしいですね」
「ああ、分かっている。やってくれ」
その言葉と共に初老の男性はタブレットに指を押し当てる。
『承認されました――焚書宣言を発令します』
その電子音を聞いた立花は恭しく頭を下げて告げる。
「では――対応を急がせていただきます。法務大臣」
◇◇◇
魔導書は笑わない アレセイア @Aletheia5616
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます